火蓋が切られる時
発進した5機の水偵は、各々の定められた海域に向かい、そこで夜明けまで索敵行動を行う。
発動機音によって、機内は喧しい筈なのだが、本郷以下3人の乗員たちは、まるで一切の静寂の中にいるように感じていた。
首を上げて天蓋越しには星空が見えるが、水平に見ると真っ暗な世界が広がる。おぼろげに島影と白い波打ち際が見えるが、それも高度を上げると徐々に闇の中に溶け込んでしまう。
機首の方に目を向けても、発動機の音が聞こえてくるだけで、回っているプロペラすら闇の中に沈んでしまっている。発動機から漏れる排気炎は、予め消炎管を整備兵が取り付けているので、抑えられている。もし消炎管がないと、眩しくて操縦できない可能性さえある。
夜間飛行をするには、色々と苦労が多い。
「機長」
「なんだ風間?」
「今日は敵さん出てきますかね?」
「さあな。出てきたとしても、この闇の中だからな。電探のないこいつで見つけるのは、ちょっと苦労するかもしれない」
ようやく艦艇に電探が搭載されはじめたが、航空機用はまだまだだ。
双眼鏡で海面を見てみるが、漆黒の闇の中に艦影を見つけ出すのは用意ではない。
「しかし、敵は高速なんですよね?航跡を見つけるのは簡単なんじゃないですか?」
「そりゃ、確かに何もない海面よりは見つけやすくなるけど、さすがにこの広い海面じゃな」
海は広大である。そんな広大な海上においては、全長が数百mある大型艦でも小さな点にしかならない。昼間であっても、見逃す可能性は十分ある。増してや夜となれば尚更だ。
「とにかく、朝までがんばるしかないな」
「了解」
しかし、その後数時間。何も見つからないまま単調な飛行が続く。3人は時折眠気覚ましに特配されたコーヒーを口にしたり、航空用弁当を食べたり、雑談したりしながら気を紛らわせる。
「日の出まで2時間か。こりゃ今日は不発かもしれんな。風間、他の機から連絡は?」
「何らありません」
風間が扱う無線機にも、何ら動きはなかった。動きがないということは、他の4機は何も発見できていないことを意味した。
「まあ、最初から上手く行くわけないか。左文字」
本郷は操縦の左文字を呼び出す。
「はい」
「予定通り、日が出たら帰るぞ。燃料は持ちそうか?」
「もちろんです。発動機周りに何ら異常はありません」
燃料消費量は一定ではない。エンジンの調子が悪かったりすると、好調な時よりも余計に食うことがある。また気象条件で風が強い中を飛ぶことで、やはり燃料消費が大きくなったりもする。
今日は発動機も快調で、気象条件も良好だから燃料消費量もカタログデータどおりのようだ。
「よし。この退屈な仕事も「機長!」
本郷の言葉を遮るように、伝声管越しに風間が叫ぶ。
「どうした?風間?」
「7時の方向の海面に、航跡らしきもの!」
「何!?左文字、機体を傾けてくれ!」
「ようそろう!」
海面を見やすいように、本郷は機体を傾けさせた。下に広がるのは、真っ黒な漆黒を纏う海面である。本来であれば、そこから航跡を見つけ出すのは難しい。
しかし。
「見えた!」
本郷もしっかりと、航跡を視認出来た。それはまさに、航跡が光っていた。
「そうか、夜光虫か」
夜光虫は、波など刺激を受ける発光生物のことで、南方の海などではよく見られる。この夜光虫が泳ぐ海を船が走ると、当然船が起こした波によって夜光虫は刺激され、発光する。結果、航跡がまるで光っているように見える。
「左文字、注意して降下しろ!正体を確かめる!」
「ようそろう!降下します」
左文字は機体を旋回させながら降下させる。もちろん、慎重にだ。下手に焦って敵に所在をばらして対空砲火を受けたり、操縦ミスしてドボンでは余りにも恥ずかしすぎる。高度計と速度計、機体の傾きに注意しつつ、夜光虫が浮かび上がらせる敵に接近する。
「どうです?」
「よくわからんが。海防艦か、それよりも小さいかもしれん。そこまで大きな船じゃないみたいだぞ」
闇の中、航跡の形とわずかに浮かび上がるシルエットから、本郷はそう判断した。
「機長、無電打ちますか?」
「おう。打て」
「はい」
通信士の風間はすぐに電鍵を叩いて通信を送る。
(ゲタ1 ゲタ1 カク カク)
ゲタ1は今回3人の水偵に振られた符号で、カクは確認のことだ。敵発見を知らせる緊急信号だ。
その通信の最中、突如として闇の中に二条の光線が出現した。
「お!探照灯を点灯したぞ!」
どうやら相手も気づいたらしい。
「どうしますか?機長」
「お返しだ。こっちも吊光弾を投下するぞ」
「了解!」
吊光弾とは、照明弾のことだ。空中にて発光し、パラシュートが付いているためにゆらゆらとゆっくり落ちていく。昨年ガダルカナル近海で行われた第一次ソロモン海戦では、ガ島周辺に遊弋する敵艦艇を見事に映し出し、第八艦隊の夜戦を大いに助けた。
「投下!」
「ようそろう!」
吊光弾が投下されると、すぐに空中に眩い光源が発生する。内部に詰められたマグネシウムが焚かれることで、強烈な光を発する。そしてそれによって、海上がまるで真昼のように照らし出される。
「敵艦視認!」
吊光弾一発の点火時間は短い。素早く敵影を確認しなければならない。眩むような光の中で、本郷は双眼鏡越しに敵を確認する。
「見えた!やっぱり海防艦くらいだ!」
照明弾の下にその姿をさらけ出した艦は、トラ船団に加入している海防艦とほぼ同等か少し小さいくらいだ。艦の中心部にブリッジと煙突があって、前後に小口径らしい砲が合わせて3基ほど見える。また甲板上を動き回る乗員らしい姿も確認できた。
「左文字、そのまま旋回し続け・・・・・・回避!」
敵艦の艦影の中にパッと光る閃光を認めるやいなや、反射的に本郷は回避運動を命じた。その後に激しい対空砲火が来ると思ったのだ。
しかし、そんな彼とは対照的に、風間がのんびりと言う。
「機長。慌てることはありませんって。見てください、敵さん明後日の方向に撃ちあげていますよ」
「何?」
敵艦を再度見ると、チカチカと対空機銃らしい閃光が見える。しかしながら、そこから伸びてくる曳光弾の弾道は、確かに本郷たちのいる空域とは全く違う方向に伸びていた。
「下手くそめ!」
「どうしますか?機長」
「撃ちたきゃ撃たせておけ!あんなもん当たらんわ!」
その闘志は買うところであったが、明後日の方向を撃っているのでは、当たるはずもない。そうなると、呆れるしかない。
「まあ夜間ですから」
左文字がたしなめる様に言う。実際夜間の対空砲火というのは、早々当たるものではない。
「にしたってなあ。探照灯も点けているんだし、もう少しマシな狙いつけられんものかね」
既に落とした照明弾は落下し切って消えている。そのため、闇空には敵艦から探照灯の二条の光だけが伸びている。
レーダー射撃がようやく始まったこの時代において、闇夜の中で敵機を狙う術は限られている。その中で、ポピュラーと言えるのが探照灯で敵機を照らし出し、それ目掛けて攻撃を行うものだ。
当然のことであるが、この場合探照灯はしっかりと敵機の機影を追って射撃しなければならない。
星明りに浮かぶ敵機の影や、そのエンジンの排気炎を狙うという方法もあるが、これは余程視力のよい人間でなければ無理である。
狙いを付けずに、どこかにいる敵機に対して撃ちまくるというのも一つの手ではあるが、これで敵機を落としたいなら相当数の対空火器を揃えなければならない。
今眼下に見える敵艦のような数挺の機銃では、よほどどころではない幸運にすがるしか、撃墜できる見込みはない。逆に、その発砲炎で自らの位置を暴露するだけだ。
「なら機長。いっちょやってやりますか。下手クソな敵さんに、撃つって言うのがどう言うことなのか、教えてやりましょう!」
左文字の声に、本郷は躊躇なく頷き、すぐに風間に声を掛ける。
「風間、行けるか?」
「いつでも行けます。むしろ、今か今かと待ってました」
「よし。左文字、降下しろ。敵艦に一撃を加えてやるぞ。海面や敵艦に注意しろ!」
「わかってます」
左文字は機体を降下させ、敵艦に接近する。敵艦は相変わらず機銃を滅多やたらに撃ち上げている。こちらのエンジン音を狙っているのだろうが、その狙いは不正確で明後日のほうに弾を撃ちだすばかりだ。
「高度50!」
「風間、敵の銃座を狙って一撃加えろ!」
「ヨーソロー」
風間は搭載した20mm機銃弾を装填すると、レバーに手を掛ける。
「左文字兵曹、そのまま頼みます」
「おう!」
操縦する左文字も高度計と速度計を頼りにしつつ、彼が撃ち易いように機体を安定させる。
「用意・・・・・・・撃て!」
敵の機銃を捉えた一瞬、風間はレバーを引いた。
普段使う7,7mmとは格段に違う発射音と反動が彼を襲う。それに耐えながら、敵艦に1個弾倉を全て撃ちきった。闇の中で数回、着弾と思しき閃光が光る。
そして、少しすると敵艦から小さいが炎が上がるのが見えた。
「よっしゃ!」
「よくやった!」
「ざまあ見あがれ!」
3人の搭乗員は、敵艦に一撃を加えたことに狂喜し、腕を振り上げた。
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