瑞穂島 1
トラ4032船団が新たな拠点と定めた島は、「耳成」と「海棠」の乗組員から、「瑞穂島」と言う仮称で呼ばれていた。原住民が呼ぶ島名は全く違うらしいのだが、日本人的に見て自国語の方が親しみを持ちやすいので、寺田ら船団幹部もこの島名で呼ぶことにした。
日本人が元の島の名とは別に、日本的な名前を占領した島や都市に付けることは別に珍しいことではない。例えばアメリカ領であったウェーク島は大鳥島。アッツ島は熱田島、キスカ鳴神島、そして占領に失敗したがミッドウェー島には水無月島と言った具合だ。都市としては、英領シンガポールを昭南市と改名していた。
さて、ようやく自分たちの基地と出来る陸地を得られたことは、トラ4032船団の将兵や乗組員らに大いなる安心感を与えたが、ただ単に土地を得たところで、何ら意味はない。そこを住める土地にしなくてはいけない。
船団に乗り込んでいた設営隊隊員らは言うに及ばず、手すきの水兵や船員、さらに航空隊関係者も土方仕事に動員されていた。
「ああ、早く空を飛びたいよ」
地面に鶴嘴を突きたてながら、平田賢人は不満タラタラな声を漏らす。
「おい。中野中尉に聞かれたら張り倒されるぞ。その空を飛ぶために、一刻も早く飛行場を造らなきゃならないんだぞ、て感じで」
賢人の愚痴を聞いていた同僚の佐々本が注意してくる。
「そりゃ頭じゃわかってるんだけどさ、俺たちこの世界に来てからこんなことばっかりやらされてないか?」
「それはま、そうだけどさ。命令だから仕方がなくない?」
二人はパイロットであるが、それ以前に軍人である。命令された以上、その仕事はしなければならない。
「それにさ、どっちにしろ飛行場がないと飛べないし」
船団に含まれる3隻の空母は、入泊後は燃料節約のために停泊したままだ。もちろん、搭載している航空機は飛ばせるはずがなかった。
現在活動している航空機は、島の周囲の索敵を行う巡洋艦「蔵王」に搭載された水上機くらいで、それも艦からではなく、砂浜に設けられた仮基地から行われている。
空母の搭載機はと言えば、格納庫にしまわれて最低限の整備兵が付けられているだけだ。
空母の搭載機をとばすには空母を動かすか、陸上の飛行場に移す以外にないが、空母は先の理由から出港できない。そして陸上の飛行場は、今まさに賢人たちが建設中であるから、もうどうにもならない。
「だからさあ、さっさと飛行場を造るしかないぜ。愚痴言ってる暇があったら、手動かせよ」
「わかってるよ」
武に言われるまでもなく、賢人は地面に鶴嘴を突き立てた。
「何?あの娘から有益な情報を聞き取れただと?」
「はい」
旗艦である軽空母「駿鷹」に戻った寺田を、予備学生出身の川島少尉が待っていた。
眼鏡を掛けて細めの如何にも学者様な外見をしている彼は、大学時代に南洋諸島に暮らす原住民の原語を研究していた。そのため彼は、言葉が通じない難民の少女の原語を研究するように寺田から命じられていた。
その彼、かつて言語学者の金田一京助がアイヌの人々からアイヌ語を聞きだすのに使ったのと同じ方法を用いた。すなわち、全く訳のわからない絵を見せて、「これは何?」にあたる言葉を聞き出し、そこから彼らの使う単語を聞き出していった。
もちろん、単語を少しずつ聞き出していくのだから、彼女らが使う言語を把握するには相当な時間を食う。それでも、彼女らの使う言葉の欠片が掴めただけでも、大きな前進であった。
この過程において、ようやく彼女の名前がルリアと言うのもわかった。
「で、その有益な情報とは何なのかね」
「はい。それは、先日我が方の艦艇と戦闘を行った艦の国籍です」
「ほう。で、相手の国は何と言うのかね?」
「はい。マシャナと言うようです」
「マシャナ……それが、あの旗の国の名前で間違いないのだな?」
「はい。彼女に旗を見せて、開口一番そう言いましたから。まず、間違いないでしょう」
「ふむ。聞いても無駄だと思うが、どんな国なのかはわからないよな?」
「さすがにそこまでは」
ようやく彼女の話す言語を理解し始めた彼に、そこまで聞き出すのを期待することは無理であった。
「わかった。ごくろう。引き続き、彼女の言葉の翻訳作業を続けてくれ。それから、何か入用はあるかね?」
すると、川島は難しい注文をつけてきた。
「できれば、彼女につける人間を増やして欲しいです。自分と久保さんたちだけでは、色々と限度がありますので」
物ではなく人を要求してきた。
「人か」
今「瑞穂島」は開発の真っ最中だ。港湾施設に陸上施設、飛行場に油田や各種資源の採掘と、やることは山ほどある。そのため、手空きの人間を投入しているが、全く足りない。だから優先順位をそれぞれにつけて、建設を始めている。
ちなみに優先されているのは、最低限の宿舎と指揮所に飛行場施設、そして油田と製油施設だ。
そんな状況下で、ルリアには現在通訳(と言えるほどではないが)として川島を、さらに身の回りの世話をさせるために、従軍看護婦の一団から交代で日に1人ずつ派遣させていた。
ただし、二人とも人間であるから四六時中つけるわけにはいかない。それに加えて、川島は彼女の言葉を研究する時間を要求している。また看護婦たちは、看護婦の職務が多忙であることに加えて、女性であるため「駿鷹」に長時間居づらいと言う事情があった。
だったらルリアを彼女たちが現在乗っている船を移乗させてしまえと言う意見もあった。しかし、ルリアは現在のところこの世界を知る貴重な人間だから、手元から放すのは危険だと寺田は考えていた。
そのため、彼女は病状が回復しつつある現在、「駿鷹」の士官室を一つを空けて、そこに住まわせていた。しかし、今後彼女が全快すれば、現状のような閉じ込めたままにしておくのも問題があるだろう。
つまり、彼女は貴重な存在であるが、寺田らには色々と扱いにくい存在でもあるのだ。
「人のほうは大石参謀や、艦長たちとも話し合って融通できる人物がいないか考えよう」
「よろしくお願いします」
その日の夕食時、寺田は早速大石参謀に「駿鷹」の岩野艦長と一緒にフライ中心の献立の食事を食べながら、川島から頼まれた件について話し合った。
「手空きの人間なんていないでしょう」
現状を良く知っている岩野は、そう言い切った。
「しかし、何時までも川島少尉だけに任せておくのも差しさわりがあるだろう」
「それはそうですが。今手が空いている人間などいないでしょう。まあ、それこそ若い水兵にでも従兵代わりにやらせればいいんじゃないですか?」
従兵とは、士官の身の回りの世話をする水兵のことだ。確かに、身の回りの世話をすると言う意味では、間違っていない。
「けど、彼女は女ですよ。しかも、こちらの言葉が通じません。普通の従兵の仕事がそのまま通用するとは思えませんよ」
大石が冷静に指摘してきた。
「それに、彼女の存在はそう大っぴらに出来ませんし」
ルリアの存在は、既に船団内に広まっている。船団内にそもそも女子の絶対数が少ないのだから、当然と言えば当然だ。ただし、彼女がどのような人物であるかについては、ほとんど知られていない。それは早めに寺田たちが彼女を他の乗員から隔離したためだ。
これは彼女が将兵から万が一なことをされる可能性もあるし、加えて下手に彼女に情報を与えることと、逆に彼女から情報が漏れることを警戒しての措置だった。
つまり彼女がスパイであって、この船団の情報が敵に漏れること、加えて彼女の口からこの世界に関する情報が流れて、将兵に動揺が起きる可能性を寺田たちは考慮していた。
後者に関しては、彼女が日本語を喋れないのであるから、そう心配することではないのだが、念には念を入れたわけだ。
「つまり、比較的抜いても大丈夫な人材で、なおかつ彼女をあしらうのに適当な人物が良いと言うことだな」
「あしらうのに適当と言うなら、本艦の衛生科の人間になりますが、彼らも忙しいですし」
収容したルリアの面倒をしばらく見ていたのは、「駿鷹」の衛生科の人間たちが。彼らは現在、トラ4032船団が抱えている貴重な医療ならびに衛生関係者であるため、引っ張りだこだ。
ただ単に医療行為を行うだけでなく、この島の水や食物が危険ではないかと言う防疫方面の研究も行っていた。こうした分野の仕事は、その手の専門家しか出来ない。
「あと彼女について良さそうな人間は……」
寺田の言葉に、岩野が口を開いた。
「例のパイロットたちはどうですか?彼女を最初に見つけた」
「士官と下士官だから、悪くないと思いますよ。それに、彼らは連日飛行場造りの土方仕事をやらされていますから、女の相手の方が喜ぶんじゃないですか?少なくとも、力はいりませんし」
大石がそんな予測を立てる。
「しかし、そうなると飛行場の建設に差し障らないか?」
「そこは設営隊と上手く諮るしかありませんな。ただ水上機基地が既に稼動していますから、数日の遅れなら許容できましょう」
「よし、ではその案で行こう」
こうして、ルリアの新たな世話係が指名されることとなった。
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