運ばれる者
海軍一等飛行兵曹(一飛曹)平田賢人は、艦内通路を前からやってきた少将の肩章を付けた老人に立ち止まって道を譲ると、敬礼をする。
「うん」
老人も答礼し、そのまま言ってしまう。
その姿を見送ってから、賢人は溜息を吐く。
「あんな爺さんが司令官なんだよな」
「ああ。何でも、戦死した山本元帥よりも3つも歳上らしいぞ」
同僚で予科練同期の佐々本武一飛曹の言葉に、賢人はげんなりとした顔になる。
「そんな人で本当に大丈夫なのかな?」
「大丈夫じゃないかもな。艦橋じゃ、ボーッと座っているだけで、命令とかはほとんど参謀に任せきっているらしいぞ」
「そうなのか?」
「本当だよ。艦橋に出向いた隊長が言ってるのを聞いたから、間違いない。ま、もしかしたらあの爺さん指揮官が指揮を直接するよりマシかもしれないけどな」
「それはそれでちょっとアレな話だな」
「まあ俺達にしてみれば、とにかくサイパンまで無事に辿り着ければそれで良いけどな」
「ああ、こんな船の中で出るに出られず死ぬなんて御免だからね」
二人は新たに編成された海軍273航空隊に所属している下士官パイロットであった。共に予科練甲飛9期生だ。予科練とは、下士官パイロットを養成する海軍予科飛行練習生の略で、甲飛とは中学校出身者からなるコースを示している。
二人が属した甲飛9期生は今年の1月に予科練を卒業し、その後実用機練習課程を積んだ後、前線の飛行部隊へと配属されている。二人は予科練時代から同じ班に所属し、その後の実用機課程での配属先も、飛行部隊も同じであった。だからツー・カーの仲と言って良い。
そんな二人は、今回新たな任地であるマリアナ諸島のサイパン島へ、部隊ごとトラ4032船団を構成する空母「駿鷹」で運ばれている途中であった。出港前に新たな配属先の辞令を貰い、機体をメーカーである三菱から新品を受領すると、それを横須賀で積み込んで彼ら隊員も乗り込んだ。
本来であれば、日本本土からサイパン島程度までの距離なら、直接飛んでいくのが手っ取り早い手段であった。賢人も武も、その方法でサイパンに行くと最初は思っていた。しかし、予想に反して移動手段はのんびりとした船旅となっていた。
これが平和な時代だったら優雅な船旅と楽しめたかもしれないが、生憎今は戦時。乗り込んだのは客船を母体にしているものの、れっきとした菊の御紋章を艦首にいただく航空母艦である。しかも航行する海は、敵潜水艦が出没する危険海域と来ている。
二人にしてみれば、気持ちのいい旅ではない。しかし、上からの命令である以上、下士官である二人にはどうにかなることではない。
「この空母が爆沈して、部隊全滅なんてなったら洒落にならないしな」
武は冗談めかして言うが、賢人はあまり冗談とも受け取れなかった。
「よせよ武。本当になったらどうするんだよ」
今回わざわざ海路となったのは、整備兵などの他の隊員や現地で使う様々な資材を一括して運ぶと言うことであった。そのため、「駿鷹」にはパイロットと機体だけでなく、サイパンで使用する整備機材や燃料、弾薬、そして整備兵や司令部など、部隊丸ごとで乗り込んでいた。
だからもし、「駿鷹」が攻撃されて轟沈するなどとなれば、部隊全滅という悪夢もありえる。
賢人は軍人であるから、死ぬのは怖れていなかった。しかし、戦う前に船の上で無駄死にするのは、当たり前のことだが嫌だった。それは武も同じである。
二人を不機嫌にさせている理由はそれだけではない。サイパンに着くまでのしばらくの間、空を飛べないと言うのもあった。
今回二人の部隊は空母で運ばれているものの、それは別に空母の搭載機として活動するためではない。あくまで空母に荷物として運ばれているだけだ。
こうした輸送任務の場合、空母と言えど艦上機の発着を考慮しなければ、艦内のスペースを使える限り使って荷物を搭載する。航空機もそれこそ格納庫から飛行甲板まで、極限まで詰めて載せている。だから本来、空母としては30機程度しか搭載出来ない軽空母でありながら、今の「駿鷹」にはなんと50機あまりの飛行機を搭載していた。
当然詰めに詰めているから、飛行機を飛ばすことなど出来ない。載せる時も降ろす時も、デリックと呼ばれるクレーンで揚げ降ろし、載せる時は最寄の飛行場からトラックや鉄道で陸路港まで運び、逆に降ろす時は港から飛行場まで陸路運んでいくのである。
こんな状態であるから、次に二人が空を飛べるのは、サイパンに到着し、機体を降ろして飛行場まで運んで、そこで整備し終わってからのこととなる。
空を飛べないと言うことは、勘が鈍って操縦技量が落ちることを意味している。
それを少しでも補うために、二人を含めてパイロットたちは格納庫に搭載された機体の操縦席に入って、イメージトレーニングを行なっている。
二人が寺田少将と出会ったのも、格納庫から居住区への帰り道の途中であった。
「悪い悪い。俺だって船団が無事に到着してくれることを、ちゃんと祈ってるって」
「当たり前だよ」
賢人は呆れながら親友を見た。
しかしながら、二人の願いを天は聞き届けてはくれなかった。
「ふう」
自室に戻って来た寺田は、帽子を机の上に置き、上着を椅子に掛ける。そして自分自身はベッドに腰掛、煙草に火をつけた。深々と煙を吸い込んだ後、吐き出す。
部屋の中は幸いにも空調が効いているため、蒸し暑くなってきた艦内通路に比べれば快適な空間だ。しかし、そこもあっと言う間に煙草の煙が充満し、臭いが篭る。とは言え、喫煙者である寺田にはあまり関係のないことだ。
一服を楽しみ、煙草を灰皿に落とすとベッドに寝転がる。大石参謀と岩野艦長にすすめられ、これから3時間ばかりではあるが仮眠をとる。
既に夜となり、船団は米潜水艦の奇襲を怖れて最大限の警戒態勢に入っている。そんな状況下で自分だけ自室で休むことに、若干心苦しく感じられたが、体の方が疲れを訴えているため、素直に受け入れることにした。
従兵に3時間後に起こすよう指示して、寺田自身は自室として用意された部屋に戻ってきた。部屋は狭いが、狭い艦内で自室を用意されているだけあり難いと思わなければならない。
幸いにも、「駿鷹」は客船改造空母のため、他の軍艦よりはゆとりがあるように感じられた。
ベッドに寝転がりながら目を瞑り、寺田は考え込む。
(何とかここまで無事に来られた。何とかこのまませめてマリアナまで行って欲しいところだ)
寺田は決して、今回の作戦を楽観視はしてるわけではない。
このトラ4032船団が運ぶ物資や兵員は、最前線で厳しい戦闘を行っている部隊にとってノドから手が出るほどに望まれているものであり、そして絶対国防圏の防備を固める上で必要不可欠なものである。そのことを出撃前に再三再四言われた。
寺田は自分の双肩に掛けられている重責と言うものを、一応は認識していた。ただ一方で、近代戦に対する知識が充分でないが上に、潜水艦や航空機への脅威を実感しにくい。それ故に、大石や岩野ほどに警戒心を持つことが出来ないでいた。
(まあ、難しいことは分かる人間に任せるに限る。このジジイがしゃしゃり出ては、迷惑だろう……だが、それもそれで問題ありか)
寺田は多くのことを大石に丸投げしているが、その姿勢に反感を持つ者も多いようだ。帰りに通路で出会った下士官たちも、自分に敬礼こそ送って来たが、その視線からは敬意があまり感じられなかった。
(この老いぼれには、若い者の不満を背負う位が、ちょうどいいのかもしれん)
またも年寄りゆえかの自嘲気味の考えを脳内に抱きつつ、寺田は次第に大きくなる睡魔に飲み込まれていった。
寺田の意識が戻ったのは、それからどれ程の時間が過ぎてからだったのか。眠っていたのだからわからない。ただ後で確認した時刻から、自室に戻ってから2時間後のことだ。
突然頭の中に、凄まじい爆発音が響いた
ドグワーン!!!!!!
耳で聞こえたと言うよりも、文字通り頭の中に響き渡ったそれに、彼の意識は一瞬だけ目覚めた。
(魚雷!?)
だが、それを確認することは出来なかった。何故なら、次の瞬間には彼の意識は刈り取られ、闇の中に沈んでしまったのだから。
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