索敵 6
「無電を受信した?」
水偵発進の報を待っていた重巡「蔵王」艦長の田島樹大佐は、通信室からの報せに表情を険しくした。
現在無電を発進する味方は、数百海里隔てた海域を捜索している甲乙の挺身隊か、紺碧島に残留している艦船以外にありえない。しかしながら、それらの艦艇はいずれも敵対勢力による発見を警戒し、緊急時以外の無電封止を行っている。
無電が入ったと言うことは、緊急事態が発生したことを意味する。
「甲か乙の挺身隊からか?それとも紺碧島からか?」
ところが、やってきた通信科の士官から紙を受け取った田島は、目をむいた。
「これはどう言うことだ!?」
紙に書かれていた電文の内容は。
『ワレ クチクカン カイドウ カイゴウ ヲ モトム イチ ホクイ ジュウキュウド サンフン トウケイ ヒャクサンジュウゴド イップン』
(我 駆逐艦 「海棠」 会合 を 求む 位置 北緯 十九度 三分 東経 百三十五度 一分)
「おい、本当にこの内容だったのか!?」
「はい、自分たちも二度確認しましたが、日本語の平文でこの内容でした」
「海棠」と言う名の駆逐艦はトラ4032船団を構成する艦艇の中にはない。そもそも、田島には聞き覚えのない艦名であった。
「副長、艦籍簿を持ってきてくれ」
「了解」
田島は副長の姫野中佐に帝国海軍の艦艇の名前と艦長名が記された艦籍簿を持ってこさせる。これを見れば現役の艦艇の名と、艦長名がわかる。艦長名も記されているのは、上官や同階級でも先任であることを調べられるようにだ。
姫野が艦籍簿を持ってくると、田島はそれをめくって「海棠」と言う名の駆逐艦があるか探す。「海棠」とはリンゴのような赤い実をつける植物のことだ。植物の名をつけるのは、命名規則で二等駆逐艦か、現在建造が進められている小型の「松」型駆逐艦となっている。
「ないな」
「ありませんね」
調べてみたが、「海棠」と言う駆逐艦は現在の帝国海軍の艦籍簿には存在しなかった。
「どう言うことだ?通信科が夢でも見たのか?」
「まさか」
「じゃあ、偽電か?それとも幽霊か?」
その時、古参の下士官が声を上げた。
「ああ!?」
「どうした?」
「艦長、そりゃ本当に幽霊かもしれませんぞ」
彼の言葉に、その場にいた全員何を言っているのか全く理解できなかった。
「どう言うことだ?分かるように言ってくれ」
「「海棠」は十年くらい前に、日本海での演習中に行方不明になった「若竹」型の二等駆逐艦ですよ」
「何!?」
「若竹」型は帝国海軍でも数少ない二等駆逐艦だ。二等駆逐艦とは、排水量が1000t未満の駆逐艦のことで、1000t以上の一等駆逐艦を補完する目的で、かつては多数存在された。しかし、その後軍備計画が一等駆逐艦で統一されたため、現在は建造されていない。
「若竹」型は二等駆逐艦としては最後に建造された型で、大正時代の艦だ。現在では旧式化が進み、哨戒艇へ転籍したり、専ら船団護衛に従事したりと、日陰の存在である。
もちろん、艦籍簿には未だに健在の全ての艦が載っているが、「海棠」と言う艦の名はなかった。既に喪失している艦なら、確かになくて当然である。
だが、事故で沈没した筈の艦が、どうして今になって無電を送ってきたのか、全く理解出来ない事態だ。まさしく幽霊と言って良い。
「どうしますか、艦長?」
「確認せんわけにはいかんだろう。だが、電波を出すわけにはいかないしな……よし、索敵機を1機、無電の発信地点に回そう。そうすれば、幽霊の正体も判明するだろうさ」
この田島の決断のために、本郷たちの水偵は一端発進を取りやめさせられたのであった。
艦長命令によって発進を止められていた本郷機は、15分ほど遅れてようやく打ち出された。そしてその針路を、艦長から指示された北緯十九度三分、東経百三十五度一分へと向けた。
「しかし、行方不明になったはずの駆逐艦が通信を送ってきたって、本当なんですかね?」
「さあな。だが、艦長直々の命令じゃ拒否するわけにもいかんからな。幽霊だろうがが何だろうが、一度確認してみんことにはな」
「通信科の連中、ついに発狂したんじゃないんですか」
「おいおい。それは言いすぎだろ」
発進した水偵の3人の会話の内容は、必然的に今回の命令変更の元となった駆逐艦の無電に行く。10年近く前に沈んだはずの駆逐艦から電文を打ってくるなど、常識的に考えればありえない。
だから3人とも、本当に「海棠」なる駆逐艦が存在しているとは、はなから信じていなかった。
しかし指定された座標に近づいたところで目に入ってきた物が、3人を驚愕させた。
「機長、前方30に島影らしきもの!」
操縦の左文字の言葉に、本郷は慌てて双眼鏡をとった。
「島……なのか?大分大きいぞ。高度を下げろ、確認する」
「ヨーソロー」
水偵は旋回しながら、高度を下げる。
「機長、こりゃかなりでかいですよ!」
「その通りだ風間。少なくとも、紺碧島よりは遥かにでかそうだ」
目の前に現れた陸地は、孤島と言うイメージとはかけ離れた大きな島であった。いや、そもそも島であるかはわからない。もしかしたら大陸かもしれない。
「そろそろ連絡のあった座標だ。二人とも注意しろ!」
無電に記された座標近辺に差し掛かり、3人は目をさらにして地上付近を窺う。座標の位置は、ちょうど海岸線付近であった。
「機長、前方に湾らしき……あ!艦影です!」
左文字の言葉に、本郷は風防を開けた。そして身を乗り出して、見えてきた艦影を凝視した。
100mもない短い船体に、露出した小さな砲。そして、特徴的な艦橋前で一段下がった魚雷発射管用甲板を持っている。
「間違いない!「若竹」型の駆逐艦だ!」
信じられなかったが、それは間違いなく帝国海軍の「若竹」型駆逐艦であった。艦尾には16条の旭日旗もしっかりと確認できる。
「風間。至急「蔵王」に発進。我目標の駆逐艦発見すだ!」
「はい!」
風間はただちに暗号電文を起草し、「蔵王」に向けて打電した。
「まさか本当にいたとはな」
本郷機からの電文に、田島は文字通り呆然としてしまった。まさか本当に実在しているとは、さすがに信じられなかった。
「どうしますか艦長?」
副長の言葉に、田島は即決する。
「そんなの会合するに決まっているだろ。同じ帝国海軍だぞ」
田島は乙挺身捜索隊の最先任士官、すなわり指揮官だ。彼の決断は、乙挺身捜索隊の行動方針となる。
「わかりました。航海長。ただちに航路を作成」
「は!」
「船団指揮官へは連絡しますか?」
「もちろんだとも」
田島は艦橋内の時計をチラッと見る。偵察機の発進遅れや、進出するまでの時間などで、既に時刻は現地時間でも正午を回っていた。とっくに陽は高く昇っており、そろそろ昼食の時間だ。
幽霊駆逐艦の件で朝からバタバタして興奮してしまったが、冷静になると空腹であることに気づく。
「何時の間にか昼過ぎてたのか。どおりで腹も減るはずだ。副長、俺は昼飯食ってくるから、その間の隊の指揮を任せる。もし何かあったら、すぐに報せてくれ」
「了解」
田島は席から立ち上がると、昼食を摂るべく士官食堂へと降りていった。
「参謀、信じられるか?こんなこと」
「この世界に来てから、もう何が起きても驚けない気持ちですよ」
「むう」
丙挺身捜索隊の「蔵王」より受信した電文を前に、トラ4032船団指揮官の寺田は顔をゆがませ、大石はもう苦笑いするしかなかった。
今度は戦前に嵐で行方不明となったはずの駆逐艦の出現である。しかも、実際に「蔵王」の水偵がその姿を確認したと来ている。
「どうしますか?針路を変更して「蔵王」と合流しますか?」
現在寺田らの座乗する軽空母「駿鷹」は、駆逐艦「高月」と共に甲挺身捜索隊を組み、船団が待機する紺碧島への帰路にあった。
「いや、まだ敵艦隊が追跡してくるかもしれないし、それに我々は丙挺身隊の2隻から離れすぎている。仮に合流するにしても時間が掛かりすぎる。ここは「蔵王」の田島艦長に任せよう」
「わかりました。ところで、指揮官は「海棠」について何か御存知ですか?」
「まあ、行方不明になった時はそれなりに捜索も行ったからな。名前くらいは知ってるよ。結局生存者は見つからず終いで、ちょうど第四艦隊事件や友鶴事件のあった頃だったし、トップヘビーで沈んだってことになってったけな」
第四艦隊事件と友鶴事件は、いずれも荒天下で帝国海軍に属する艦艇が沈没、或いは大損傷を被った事件である。それまで建造された最新鋭艦艇が立て続けに被害に遭ったため、帝国海軍内部に衝撃を与えた。調査の結果、多くの艦が無理な設計によるトップヘビー状態であり、復元性や強度が不足していたのが原因と結論付けられた。
そんな時期に行方不明になったとあれば、そうした設計上の欠陥で沈んだと結論付けられるのは、仕方がないことであった。ただし、それがまさかこのような形で生存しているのは、さすがに予想を斜め上行くものであった。
「ま、案外俺たちもそうなってるかもしれんがね」
寺田はボソッと、少し寂しげに呟いた。
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