老指揮官
指揮官の寺田少将を現役復帰から予備役招集に変更しました。調べた所、帝国海軍では将官の現役復帰はほとんどなかったとのことなので。
どこまでも続く蒼い空に白い雲。海は冬のためか多少うねりはあるが、船の航行を妨げる程の物ではない。そのうねりも、南下しているためか、徐々に落ち着いてきているように感じられる。
艦橋の気温も、出港したときは初冬と言うこともあって冷え冷えとしていたが、徐々に暖かくなっている。それもすぐに暑いに変わるだろう。
かつて海軍に奉公していた時も、遠洋航海などで南洋や南方に向かう時はこうであった。住み慣れた日本とは全く違う気候に驚き、体調管理に苦戦したものである。いや、厳密には今だって久方の南洋航路の気候の変化に、体が追いついていないような気がする。
「歳かな?」
トラ4032船団を指揮する海軍少将、寺田光之助は少しばかり寂しげな表情をしながら漏らす。
「何か仰りましたか?指揮官」
そんな彼の言葉を耳にしたのか、前を向いていた空母「駿鷹」艦長の岩野圭二大佐が顔を向けてくる。
「いいや、何でもないよ。艦長。ただの愚痴だよ」
フッと小さく笑いながら、寺田は岩野の言葉を流した。自分が年寄りなのは自覚しているが、あえて自嘲の言葉を口にしたなどと、他人に言う必要もなかった。
「左様ですか。ならいいのですが」
「ああ、気にしないでくれ。それよりも、艦長は艦長の仕事をやってくれ」
「わかりました」
そう言うと、岩野は前に向きなおり、双眼鏡を手にする。彼を始め、乗員が出港以来ピリピリしているのが、寺田には強く感じられた。
(余程敵潜水艦が恐ろしいのだな)
寺田には敵潜水艦の恐ろしさがあまりピンと来ない。一応話として、最近米潜水艦の跳梁著しいと言うことは聞いていた。まもなく海上護衛総司令部なる、海上護衛専門の部署が出来るのも知っている。
しかし、そうは言われても7年前に一度海軍を退き、今年に入って急遽応召され復帰した彼には、理解は出来ても実感が伴わない。
寺田はこの年64歳。4月にソロモン諸島ブーゲンビル島上空で戦死した故山本五十六海軍大将よりも4歳も年上で、海軍兵学校も3期先輩である。海軍兵学校の総合成績を表すハンモックナンバーは、卒業時126名中の63番と、ど真ん中であった。優秀で天皇より賜る恩賜の短剣を貰えるほどではないが、一方で落第生と言うわけでもない。可もなく不可もなくと言う具合だ。
そして彼の人生も、可もなく不可もなくであった。海軍内で早いとは言わないまでも順調に昇進し、大佐での予備役入りも免れ、7年前の春にはついに少将にまで昇進した。しかしその年の暮に体調を崩してしまい、翌年4月に侍命、予備役編入となった。
とは言え、その時の寺田はそこまでショックを受けなかった。定年までは勤め上げられなかったが、それでもなんとか将官にまで出世できた。歳も将来を心配するほど若いと言うわけではない。少し早いが退役して隠居の身に入ることも悪いことではないと、その時の彼は思った。
しかし予備役に編入された直後の昭和12年7月7日に、支那事変が勃発したことで状況が大きく変わる。世間は一気に戦時色となった。そして昭和16年12月8日には、日本の支那大陸(中国大陸)進出で関係が悪化していたアメリカを中心とする連合国との間に戦端が開かれ、大東亜戦争が始まってしまった。
戦線が支那大陸から、一気に太平洋全域に広がったことで、必要とされる戦力は膨大な物になった。国内の現役世代の男たちは、次々と赤紙と呼ばれる召集令状によって召集され、激しさを増す戦場へと赴いて行った。そして、寺田の元にも昭和18年も半ばを過ぎた頃に、突然召集令状が届いた。いわゆる応召と言うやつだ。
こうして予備役ながら海軍へ戻った寺田に命じられたのが、船団の運航指揮官の仕事であった。運航指揮官とは、海軍の命令で編成された船団の運航を指揮する海軍士官のことである。通常は大佐クラスの人間がなることが多く、実際寺田が会った人間の多くは自分と同じ歳、中には年上の老大佐ばかりであった。
そんな中で将官である寺田が召集されたのは、今後編成が予定されている、より大規模な船団の運航の指揮を行う司令部に迎えるため。と、一応は聞いていたが、どこまで本当か彼にはわからなかった。
とにかく、命令が出てしまった以上、寺田には従う義務がある。彼は久々に海軍の制服に袖を通すと、トラ4032船団の指揮官として着任したのであった。
出港してから四日目の昼、船団は父島西方海域を進んでいた。ここに至るまで、時折敵潜水艦への警戒として対潜運動である之字運動を行ったり、空母「瑞鷹」や「麗鳳」、それに重巡「蔵王」の搭載機を対潜哨戒に発進させたりしつつも、今の所は何ら異常のない単調な航海であった。
(しかし、船団の指揮って言うのは、退屈な仕事だな)
口には出さないが、指揮官席に座った寺田は何度もそう思っていた。
海軍士官であるならば、皆何がしか専攻した分野を持っている。大砲で敵と撃ち合う砲術。魚雷で敵を沈める水雷。最近では時代を反映して、航空機も入って来ており、花形はこれらと言える。つまり、こうした分野が花形とされると言うことは、当たり前と言えば当たり前だが、敵と最前線で戦うことを帝国海軍が重視していたと言うことだ。
ちなみに寺田の専攻は水雷で、水雷学校での教育も受けている、
しかしながら、船団の運航指揮はこれらの専攻のどれにも当てはまらない。そもそも、戦前の帝国海軍では船団の運航指揮などと言うものはほとんど想定していなかった。全く想定しなかったとは言わないが、少なくとも本気で取り組まれるものではなかった。
それがこの戦争では大々的に行われることとなったのだから、多くの海軍軍人が困惑せずにはいられなかった。寺田の場合もその一人である。
(まあそれでも、俺の場合はまだ幕僚がいるだけマシだな)
そう彼が考えた時。
「失礼します指揮官。今後の対潜哨戒に関して、「麗鳳」の坂本艦長から意見具申が来ていますが」
後から声が掛かった。
「ああ、内容は?大石中佐」
振り向くと、そこには参謀の大石武中佐が立っていた。
「はい。現在対潜哨戒は艦攻のみで行なっていますが、これに零戦にも三番を搭載して、艦隊の上空掩護を兼ねさせて行なわせたらどうか、と言うことですが」
「零戦で対潜哨戒は出来るのかね?」
「3人乗りの艦攻に比べれば心許ないですが、上空からの監視の目がより強化されるのは間違いないかと。敵潜水艦に対する威圧にもなりますでしょうし。私は悪くない意見だと思います」
「だったら、意見具申を受け入れる旨「麗鳳」に返信したまえ」
寺田は深く考えることもなく、大石の意見を受け入れた。その瞬間、周囲から冷ややかな視線が飛んだ気もしたが、無視した。
「わかりました」
大石は敬礼すると、早速「麗鳳」に連絡するため艦橋から出て行った。
「ふう。最近の戦は昔ほど楽じゃないな」
寺田が現役だった頃、航空機はまだ揺籃期の時代で、ようやく偵察や敵戦闘機との空中戦を行なう程度の物でしかなかった。機体も布張りの主翼が二枚ある複葉機で、凧もどきと言っても良かった。
しかしながら、その後航空機の性能は飛躍的に進化し、機体は外板もジュラルミンで覆われた近代的な金属機となり主翼も一枚だけの単葉機が主流となった。速度もついこの間まで最大で300kmがいい所だったのが、今では倍の600kmも珍しくない。
その運用も多岐に渡るようになり、船団護衛のために対潜哨戒飛行を行なうのも当たり前になりつつある。
航空機に限らず、電子兵器の発達も著しい。つい40年前の日露戦争では無線電信が最新兵器に過ぎなかったのに、現在では無線電話が登場し、さらに電波で敵を探知する電探まで登場している。
かつては全てを人の目に頼り、特に夜間などは敵を一刻でも早く探すために見張りの兵士の視力が戦いの鍵になった。しかし今では、電探と言う機械の目が数十キロ先の敵さえも発見してしまう。
今船団内で警戒を厳にしている潜水艦にしても、その電探を搭載して闇夜でも、しかも数隻のグループで船団や艦艇に攻撃を仕掛けて来ると言う。一昔前なら信じられないことだ。
潜水艦も、寺田が現役の頃は整備が進みつつあったとはいえ、主力兵器とはならず、その脅威もさほど大きな物ではないと考えられていた。
こうした兵器の発達は、寺田の現役時代から見れば、考えも及ばぬものであった。いや、そうした兵器の登場の兆しはあったかもしれないが、それにしても発達速度が早い。戦時ゆえのことであろうか。
古い頭しか持たない寺田にとって、こうした兵器を駆使して戦うことは当然ながら実感が伴わず、いざやれと言われても、全く持って自信のないことであった。
しかし、今回は幸いにも大石が幕僚として付けられていた。通常運航指揮官にはわずかな下士官と兵が直属の部下として付けられるだけで、指揮官は指揮を執る上で相談できる士官のいない、孤独な状況に置かれる。
船団の指揮と言う、慣れない仕事でその状況であるのだから、指揮官の苦悩は大きい。
だが、今回少将である寺田には一人だけだが大石が参謀としてつけられた。今年45になるという彼は比較的航空や電探などの電子兵器にも理解があり、寺田にとっては頼みの綱。悪く言ってしまえば、仕事を丸投げ出来る相手であった。
そのため、出港してからと言うもの、寺田は船団の指揮でわからないことや、先ほどのような意見具申があると、大石の意見を聞いて命令を出していた。事実上大石の意見を、そのまま命令にしているようなものである。
(これじゃあ嫌われても仕方がないか)
指揮官である以上、自分で考え決断を下し、命令を出すのが好ましい。しかし今の寺田は、大石に指揮を丸投げしているも同然であり、無責任に見られても仕方がなかった。
とは言え、彼自身充分な戦術への理解がないと自覚しているのだから、どうしようもない。
(中々ままならん物だな)
心の中で自嘲しながら、寺田はフッと小さく冷笑するのであった。
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