遭遇 1
艦名に間違いがあったので、2月12日夜に訂正しました。
「麗鳳」率いる小戦隊は、海戦から2日後にトラ4032船団に合流した。船団は発見した島にそのまま留まっていた。
「紺碧島ですか?」
旗艦「駿鷹」の会議室に、今回の戦闘報告のために出頭した「麗鳳」の坂本艦長は、船団指揮官の寺田少将から、この島に仮称が付けられたことを聞かされた。
「ああ、今後拠点となる島だからね。名前ぐらいは必要だろう。船団内で公募して、一番多い票の名前を付けたよ」
「なるほど」
占領した島に独自の名前を付けるのは、開戦から何度も行われていることだ。例えば英領シンガポールは昭南島。米領ウェーク島は大鳥島と言う具合だ。ただし、今回のような元の所有者も名前もわからない例は初めてだろうが。
「しかし紺碧島ですか。中々にロマンチックな名前じゃないですか」
「他にも秋津とか、瑞穂、大和や旭日なんて案も出たけど、それは数がばらけたからね。まあ、私としてはこの島にふさわしい名前だから、これで良いと思うよ」
「確かに、美しい島です」
「で、だ。坂本艦長、今回君たちが撃沈した不明艦についてだが」
「はい、報告書は既に完成しております。それから、敵艦や敵の旗につきましても、記憶を頼りにした不鮮明なものですが、一応参考までに絵の上手い者に描かせました」
「これがそうか……駆逐艦かね?これは」
「大きさはそうですが、速力は「山彦」よりも遥かに上だったとのことです。また魚雷発射管や高角砲らしき物もなかったとのことです」
「どっちかと言うと、高速の砲艦だね」
砲艦とは、小口径砲を数門搭載した軍艦の一種だ。帝国海軍では、中国の揚子江の租界警備目的の河川用砲艦を多数装備している。大きさは駆逐艦以下だが、駆逐艦のようなその他艦艇ではなく、外交上の理由から菊の御紋章を取り付けた戦艦等と同列の軍艦となっている。
そして寺田の推測は、あながち間違っていなかった。
「この国旗も異様だな」
寺田は敵艦の掲げていた国旗の絵を見ながら、唸る。もちろん、それは見たこともない絵柄に形だからだ。
「大石君たちも、この旗に見覚えは?」
「ありません」
「ないですね」
「さあ」
参考のために予め呼んでいた大石参謀や岩野をはじめ各艦の艦長、そして商船の船長たちも首を傾げるだけだった。
「とにかく、新たな脅威が出現した以上、いざという時の対応を考えておかにゃならんね」
「それもありますし、今後我々がどうするかと言うのも切実な問題です」
大石参謀の言葉に、召集された艦長や船長の表情が曇る。
「麗鳳」による捜索の結果、日本本土は消失しており、船団は完全に孤立してしまっていた。それはすなわち、船団に必要な燃料や各種補給物資を得られる目処すら立たないことを意味していた。
「参謀、改めて船団にある物資の現状について教えて欲しい」
「は、まず切実なのが燃料です。各艦は本土出港時点で満タンに重油と軽油を搭載していますが、これを使い切りますと、船団内のタンカーに搭載されている分のみとなります。その総量は、全艦船を1回満タンにして終わってしまう量です」
大石の報告に、皆が天を仰いだ。この量では、そう長くは持たせられない。
寺田も表情を厳しくするが、それに言及するより先に、他の物資の確認を進めさせる。
「食料につきましては、各艦2週間分以上はありますし、輸送船に搭載されている分もあります。しかし、それについても生鮮品は1週間と持ちません。以後は米や味噌、缶詰中心になります」
「缶詰か。野菜の缶詰、あれは三つ葉以外食えたもんじゃないだろ。特に、里芋はいただけないぞ」
「そうですね、あれはまるで砂か泥を食べるようなものですから」
その寺田と大石の冗談に、参加者らから笑いの声が起きる。冗談で笑えると言うことは、まだ完全に余裕を失っていない証拠だ。
「この島で、何らかの植物を採取することは出来なかったのですか?」
と質問するのは、戻ってきたばかりの駆逐艦「山彦」艦長、戸髙中佐だ。
「それについては、既に調査させた。だが残念なことに、この島には船団全ての人間を満たせるほどの食用植物は期待できないとのことだ。また栽培についても、水の量が不十分で、大量生産は期待出来ないそうだ」
「魚介類については、豊富だそうですね。最悪、海藻を代用すると言う手もあるでしょう」
と言うのは、海防艦「沖津」艦長の千堂孝明大尉だ。制服を見る間でもなく、明らかに予備士官からの応召者という年嵩の男だが、陽に焼けた肌は如何にも海の男と言う井出たちだ。
「それでも、船団の全ての人間の腹を満たすなど無理でしょう。それに、例え野菜が手に入っても、主食はどうするのですか?米がなければ死活問題です。我々はともかくとして、水兵たちは暴動を起こすかもしれませんよ」
と言うのは、徴用船「東郷丸」の長谷川船長だ。
「東郷丸」は戦前太平洋横断航路に配船されていた大型貨客船で、開戦以来その巨体を生かして物資や人員の輸送に活躍している船の1隻だ。今回の輸送任務では、ラバウル方面へ送られる海軍部隊の各種物資、機材、そして若干の人員を載せていた。船体を迷彩色に塗ってしまっているが、その優美なシルエットは健在である。
その船長である長谷川も、同僚が次々と戦死する中生き残って来た幸運の持ち主で、また戦前は外交航路の航海士を渡り歩いたベテラン船員でもある。
寺田はここ数日彼と付き合ってみて、その見識の高さと商船船員のまとめ役に大きな期待を掛けていた。長谷川は各商船の船長の中で古株であり、経験も豊かゆえに一目置かれていたからだ。
「その通りだよ、長谷川船長。現状すぐに飢えることはないが、食糧事情が悪化すれば、いずれ乗員の不満も大きくなる。いや、そもそも我々の上位組織が消えた現在、そうしたことを抜きにしてもタカが外れる可能性は大きくなったと言っていい」
現在トラ4032船団は、完全に孤立していた。彼らに命令を行う上位組織も、彼らが属していた組織も根こそぎ消滅している。つまり、彼らの身分を保証する物がない。それに加えて食料の不足などで不満が蓄積されれば、何が起きるか想像がつく。今のところは惰性で組織が維持されているが、一度水兵や下士官に不穏な動きが起きれば、抑えようがない。
歴史的に見て、水兵や下士官が反乱を起こした例は決して少なくない。直近だとロシア革命時や、スペイン内戦でその例がある。もちろんそうなった場合、指揮官たる士官はロクな目に遭っていない。
「そうなりますと、まずもって組織の結束を図り、さらには当面船団が活動できる目処を付けねばなりません」
と言うのは、大石参謀だ。
「そんなことはわかっている。問題は、それをどのような具体的な行動にするかだ」
「まず持っては、より大きな拠点を確保することだな。食料と燃料の確保に目処がつけば、乗員の士気もしばらくはなんとかなろう」
寺田の言葉に、すぐに意見が出る。
「しかし指揮官。今日までの2日間、偵察機でこの島の半径200海里内に陸地は発見出来ていません。より大規模な拠点となりますと、少なくともこの島よりも巨大で、しかも艦艇を停泊させられる泊地が必要となります」
重巡「蔵王」艦長、田島樹大佐の言葉に、寺田は頷く。
「その通りだ。だから私は、燃料の消費を覚悟で、偵察範囲をより遠距離まで向けたいと思う」
参加者たちが顔を見合わせる。燃料の補給の目処がない状況で、燃料を消費すると言うのは一種の賭けだ。不安が芽生えるのは仕方がない。
「指揮官、それは」
「わかってるよ、大石参謀。だが、このまま動かなくても燃料は減る。座して死を待つよりも遥かにマシだろう。それに、動いていれば将兵たちは仕事に集中できる。下手に遊んでいるほうが、今の状況では危険だ」
このまま動かない状況が続けば、多くの下士官兵は遊んでいる状態になる。しかし、何かしら仕事をすれば、少なくとも緊張感は持つこととなる。緊張感をずっと張り詰め続ければ、人間精神は持たない。一方で、緊張感がスッパリと消えてしまうと、それはそれで心に余裕が出る分、いらぬ不満や不安を惹起する。
寺田はそれを恐れていた。だから、多少の物資の浪費を覚悟の上で、船団の一部を動かす方針を決めた。
「この方針に異議の有る者は手を上げてくれ」
参加者は誰一人して手を上げなかった。他に良案などなかったのである。
「では、この方針で行きたいと思う」
「そうなりますと、我が艦の航空隊の出番ですな」
とやる気を見せるのは、帰ってきた早々の「麗鳳」の坂本だ。
「もちろん君の艦もだが、「瑞鷹」や「蔵王」にも大いに働いてもらいたいと「失礼します!」
寺田の声を遮るように、伝令の水兵が部屋の扉を開けて入ってきた。
「どうした?」
「指揮官、発進した哨戒機からの報告です。島の南南西30海里にて、漂流する漁船らしき小型船を確認したとのことです」
「漁船だと?」
彼らにとって、先の不明艦以上の大いなる出会いの始まりであった。
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