新天地 ⑥
「聴音!付近に艦艇は認められるか?」
「こちら聴音。聴音機になんら反応なし」
「ふむ・・・」
聴音室からのソナーにおける敵発見は確認できないという報に、潜水艦「コッド・クラブ」艦長の松中少佐は小さく頷く。
「潜望鏡深度まで浮上!」
浮上が掛けられると、タンク内の水が押し出されて艦が軽くなり、浮力が掛かる。深度計の針が回り、徐々に0へと近づく。
「潜望鏡深度!」
「浮上停止!・・・潜望鏡上げ!」
「潜望鏡上げます」
潜望鏡深度まで達したところで浮上を停止させるとともに、松中は潜望鏡を上げる。モーター音と共にせり上がった潜望鏡。その接眼レンズ越しに、彼は海上の様子を探る。
「波は穏やかだな・・・よし、付近に敵影なし・・・浮上!」
360度回転させても敵影を認めなかった松中は、浮上を命令した。
「タンク・ブロー浮上!」
潜望鏡深度で浮上するのを止めた艦体が再び浮き上がり、水を掻き分けて海上へとその姿を現した。そして大して時間を置かぬ間に、艦体に設けられたハッチが次々と開き、中から双眼鏡を持った乗員が飛び出す。もちろん、万が一の敵の存在に備えての行動だ。
一方発令所内に残る松中は。
「電探回せ!」
「電探回します」
海中にいたため停止していたレーダーを使用させる。敵が逆探を使用する場合、電探波を出すのは自らの位置を暴露するという意味で危険な行為であるが、現在のところマシャナ軍が「コッド・クラブ」に搭載されているアメリカ製レーダーの電波を認知しているとは思われておらず、松中は気にすることなく作動させた。
仮に敵の逆探に引っかかったとしても、電探を使用して敵を先に見つけた方が総合的に有利という判断もあった。
「艦長、電探にも敵影を認められず」
「了解・・・水測、しっかりやれよ!海図のない未知の海域なんだからな」
「わかっております」
熱田島を出港して3日。「コッド・クラブ」熱田島からみて南西約700kmにある陸地の近海を遊弋していた。
トラ船団を中心とした旧日本軍が転移したこの異世界は、これまでの観測の結果などから、地球とほぼ同大の惑星であることが判明している。
ただし陸地の配置などは大きく違っており、そしてその全貌は明らかになっていない。地球で言うところのユーラシア大陸にあたる大陸を支配するマシャナ帝国と、周辺諸国が対立して戦争を長年続けているため、詳細な調査がなされておらず、もちろん交戦している相手の国家の領域に関しても未知の部分が大きい。
もちろん鹵獲した敵の地図や、捕虜から引き出した情報からある程度の推測もできるが、かといって完全になるわけがない。
そのため「コッド・クラブ」はその調査作業に充当されたわけで、地球で言えばカムチャッカ半島にあたる北洋の調査に赴いていた。
もちろん、未調査の海域であるからまともな海図はない。そのため、松中は操艦にあたって細心の注意を払っていた。暗礁に座礁でもしようものなら、味方の救援を期待できないこの海域では死に直結しかねない。
「艦長、電探でも付近に敵影認められず」
電探を操作する通信室からの報告に、松中は頷いた。
「よし、俺も上がるぞ。先任士官、後頼む」
「は!」
あとのことを先任士官に託して、松中は防寒用のコートを羽織って、ラッタルを昇り艦上へと駆け上がった。
ハッチの外に顔を出すと、途端に太陽の光が目に入る。晴れてはいるようだ。ただし、北洋の冷気がコートを着ていても体を震わせ、肌に刺すようだ。
「どうだ?天候と波は?」
先に外に出ている古参の下士官に声を掛けると。
「穏やかなものですよ。怖いくらいです」
弾んだ声が返ってきた。
「そいつはありがたい」
松中も双眼鏡を手に周囲を見回すが、確かに天候はこの海域にしては珍しい所々に雲があるものの晴れ、波も風も弱かった。
そして西に双眼鏡を向ければ、陸地が見えていた。それが島なのか大陸かなのかさえも現状わからないが、だからこそ調査しなければならない。
「よし、水偵発進準備!」
松中は搭載水偵の発進を決断した。
「水偵発進準備!作業員は甲板へ!搭乗員出撃用意!」
「ほら来た!」
「ああ」
搭乗員待機スペースのベッドで横になっていた賢人と武の2人は、ベッドから飛び降りるとすぐに飛行用具を身に着けていく。いつでも飛べるように飛行服こそ着ていたが、救命胴衣や飛行眼鏡をさすがに四六時中着装しているわけにもいかない。
「よし!」
「行くぞ!」
手早く装着を終えると、事前に搭乗員が通るのを指定されたハッチから甲板へと上がる。
「組み立て急げ!」
「デリック上げ!」
甲板上では作業員が機体を格納筒から引き出して、組み立てに入っていた。
「平田兵曹長参りました!」
「佐々本兵曹長参りました!」
2人が艦橋に上がり敬礼すると、松中が答礼する。
「御苦労。敵影もないし天気も落ち着いてる。だから急だが飛んでもらうぞ、いいか?」
「はい!」
「いけます!」
慣れない潜水艦生活ではるが、幸い今のところ2人の体調面に問題はない。そして空を見回せば、充分に飛べる天候だと2人も思った。
その後発進から帰還までの時間や、万が一の際の対処法に関する細々とした打ち合わせを行う。これは事前に航行中から決めていたことだが、発進前に再確認である。
その間に、甲板上では水偵の組み立てが済み、デリックで海面へと機が降ろされる。凪いでいるとはいえ、洋上での発動機始動から発進までを行わなければならない。中々に骨が折れる作業だ。
「発進準備完了です!」
「よし!2人とも頼んだぞ!」
「「は!」」
敬礼をすると、ラッタルを駆け下りて後甲板へと向かう。そして賢人と武も、波による艦と機の動揺に注意しながら慎重に乗り移り、機体のコクピットへと入った。ちなみに今日は操縦が武で、偵察席に賢人が座る。
「よし、エナーシャ回せ!」
フロートに乗っかっている水兵にエナーシャを回させる。
「離れろ!」
波の音があるので大声で叫ぶ。そして水兵が「コッド・クラブ」に飛び移ったのを確認して。
「コンターック!」
発動機を始動した。航行中はずっと仕舞われていた発動機は、最初プスンプスンと不正音を立てたが、その後無事に始動してプロペラを回し始めた。
「よし!」
手早く操縦系統や発動機周りに異常がないか確認する。もちろん、発動機の暖機運転も念入りにだ。本来はそんな悠長なことしていられないが、敵影は見当たらないということで、余裕を持ってすることができた。
「発動機回転数、筒内温度ともに異常なし!」
「了解・・・舫外せ!」
海上に降ろされた後も、流されない様に繋がれていた舫が外される。舫を外した水兵が甲板に上がったのを確認すると、武はスロットルを離昇出力の位置まで持っていく。
地上と違い、波の動揺に注意しての離水となる。ここで操縦を誤って波に脚を取られると、機体を損傷するのはまだいい方で、下手すると盛大に横転や転覆となる。
外洋では波を気にせず発進できるカタパルト発進の方が望ましいが「コッド・クラブ」にカタパルトがない以上こうするしかない。
ただ今日は松中の言った通り、風も波も穏やかなので、離水はそこまで難しいものとはならなかった。
数百mを滑走し、揚力を得た零式小型水偵は空へと舞い上がる。
「「よし!」」
2人は脱出のために開けておいた天蓋を閉める。とは言え、ホッとしていられる時間は短い。
機が上昇すると、早速賢人は双眼鏡で周囲の海上を窺う。地球と同じくこの惑星も丸いので、高さがほとんどない潜水艦からでは視界はそれほど確保できない。しかし飛行機でちょっと上昇するだけで、その視界は大幅に広がる。
その広がった視界の中に、艦や自分たちの脅威となるものがないか、賢人は目を凝らす。
「よし、艦の周囲に脅威無しだな」
早速電信機の電鍵を叩く。普段は操縦しかしないが、海軍の下士官である以上モールスはちゃんと彼も使いこなせる。
「じゃあ、予定通り1時間の遊覧飛行だな」
「おう!」
今回の飛行時間は1時間で、艦の周囲を円を描くように飛ぶ。一周するごとにその円を大きくしていき、最終的に艦を中心に半径20海里の範囲を偵察する。
もちろん、通常ではこんな方法での偵察などしない。しかし、ここは異世界。詳しい海図どころか、大雑把な地図もない場所なのである。それなのに天候だけは、地球の北洋と同じく悪く、飛行機には向かない。
いきおい偵察飛行機も、それこそ石橋を叩いて渡るような慎重なものにならざるを得なかった。
もちろん、天候の急変や機体に異常が発生した場合、万が一にも敵が出現した場合は即着水して撤収である。
そんな緊張感を強いられる遊覧飛行であったが、幸い天候の急変も敵の出現もないままに1時間が過ぎた。
その間、空中にも海上にも、そして高度を上げたことで内陸部まで見通せるようになった陸地にも、目ぼしいものは発見できなかった。
「時間だ。降りようぜ」
「ああ」
とにかく、無事に何事もなく時間が経過した。2人はそんな安堵の気持ちを胸に着水し「コッド・クラブ
に無事収容された。
「やれやれ、こんな飛行をあと何回やるやら」
「燃料が続く限りだろ」
せっかく空を飛べたというのに、、どこか釈然としない2人であった。
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