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新天地 ⑤

「まったく、どうしてこんなことになるかね~」


 伝声管越しに、後席に座る武の愚痴が聞こえてくる。前席で発動機の調子を確かめていた賢人は、伝声管をとる。


「仕方がないわな。命令だから」


「だけどさ~。いきなり慣れない水上機で潜水艦に乗れとか、無茶じゃないか?」


「他にやれる奴もいないし仕方がないだろ」


 とは言うものの、操縦桿を握る賢人も緊張を覚えずにはいられなかった。地上の滑走路ではない、水上を滑走して離着水する水上機なのだから、当然操縦感覚は違ってくる。おまけに、滑走路は不動だが水面、特に波のある海面は下手をすると操縦桿をとられて機体を損傷させたり、最悪ひっくり返るなんてこともありうる。


 だから賢人は慎重に操縦を行う。


「行くぞ!」


「おう!」


 賢人がスロットルを入れると、発動機が唸りを上げる。ただ普段聞きなれている発動機よりも小馬力であるせいか、2人にはどこかその音が小さく感じられた。


 2人が乗り込んでいるのは、零式小型水上偵察機である。


 日本海軍には零式と名の付く水上機が3種類あり、このうち水上偵察機は三座双フロートの機体で、水上艦や基地航空隊で使用され、長距離偵察や対潜哨戒等の任務に使用される。日本国でも各種任務に投じられて、非常に重宝されている。


 二つ目の水上観測機は複葉複座の三フロート機で、こちらも水上艦や基地航空隊で使用されるが艦隊決戦時の弾着観測任務を念頭に置かれて造られた機体だ。そのため、敵艦隊上空での強行偵察を見越して、ある程度の空戦性能を持たされているのが特徴と言える。


 そして今2人が乗り込んでいる小型水上偵察機である。小型と名の付く通り、その大きさは水上偵察機や観測機に比べれば小さく、2人乗り双フロートの機体はどことなくひ弱な印象を与える。実際、発動機の馬力はわずか300馬力で、最大速度も200km代と言う、第二次大戦で使用された機体としては、むしろ低性能と言うべき機体だ。しかし、それはあくまでスペック上の数字である。零式小型水偵の真価は、潜水艦に搭載できるという特性にこそある。


 潜水艦の任務の一つに、偵察任務がある。しかしながら、潜水艦自体が持つ索敵能力はそう高くはない。水中に潜れば潜望鏡とソナーだけが頼りとなり、また水上では艦橋の背が低いために、水上艦ほど遠方を見通せない。


 そこでその索敵能力を向上させるべく、潜水艦に航空機を搭載してより広範な範囲を偵察できるようにしたのが、日本の巡洋潜水艦の一部である。


 潜水艦に航空機を搭載するというアイディア自体は日本の専売特許ではなく、イギリスやフランスも試みている。ただし、英仏のそれは結局試験的なそれをでなかった。


 一方日本海軍はその実用化に成功し、それどころかさらに発展させて潜水艦に攻撃機を搭載するという無茶までしている。


 ちなみに、その潜水艦搭載攻撃機である「晴嵐」を日本国は1機だけではあるが、保有している。アメリカが戦後接収した機体であるが、言うまでもなく現在の日本国では利用する宛などない。何せ母艦となる潜水空母「伊400」型がない以上、潜水艦搭載機としての真価を発揮させようがなかった。また基地から発進する水上攻撃機として使うには、あまりに贅沢で貴重すぎる。


 量産して潜水空母とセットで利用すれば、その価値は計り知れないが、1機だけはそれもできないし、万が一壊せば複製も難しくなる。


 結局「晴嵐」はいつの日にか再び大空を舞うことを夢見て、瑞穂島の格納庫で防錆塗装を施されたうえで、厳重保管されているのであった。


 閑話休題。


 で、今賢人たちが乗りこんでいる零式小型水上偵察機は、潜水艦上での運用を前提に設計された特殊な機体だ。


 潜水艦の艦体は小さい。そして海に潜る。だから空母や巡洋艦等で機体を取り回すのとはわけが違う。海水が入らない耐圧用格納筒、それも潜水艦の小さな艦体に合わせた超小型なものに納めなければならない。


 そのため、機体はその格納筒に合わせて極力小型に、それでもって分解格納できるように組み立て式となっている。しかも、単純に組めればいいというわけではない。


 潜水艦の特性は海に潜れることである。そしてそれ自体が潜水艦を敵の脅威から守る有効な手段となる。海中に身を隠せば敵から発見されずに済むからだ。しかし逆に言えば、海中に潜るゆえに水上で使える武装が極端に制限された潜水艦では、海上に浮上すれば無防備な姿をさらすということになる。


 そのため、浮上時間を極力短くするのが被発見率を下げるための鉄則となる。電探の装備やシュノーケルを装備をした後でも変わりはない。


 だから航空機を搭載する場合でも、その発艦と回収は最低限の時間で収める必要がある。つまり、結合や分解に際しても出来る限り時間を短くするということだ。


 零式小型水上偵察機は、そのために組み立て分解が容易なように設計されていた。


 そして日本国では、この零式小型水上機に関しても米国接収品とソ連への提供予定品などから合わせて3機を入手していた。この内1機はフリーランドの航空メーカーに譲渡され、模倣生産される予定となっている。


 残る2機に関しては、潜水艦での運用が当然ながら考えられた。何せこの世界には未知の領域がまだまだ広がっているのだから。


 しかしながら、運用できる潜水艦がなかった。「伊508」は水中高速潜水艦であるため、抵抗を増やすようなマネは憚られた。また「伊50」も「回天」搭載のためにカタパルトを撤去した後であった。


 そこで日本国では、代替カタパルトをフリーランドに発注する傍ら、耐圧格納庫も発注し、まずは耐圧格納庫のみを「伊50」に搭載して使用することにした。この場合カタパルトはないので、機体は一々デリックで海上に降ろすことになり、運用に大きな制限が加わるが、とりあえず航空機運用能力を先に獲得する方向で動いた。


 さらに「伊50」だけでは同艦がドック入りした時に、運用に穴が開いてしまう。


 そこで、トラック環礁の原爆標的艦の中から潜水艦を1隻修理、改装して戦列に加えることにした。これが「コッド・クラブ」で、同艦自身は米海軍に所属していた「ガトー」級潜水艦である。これを日本国では、運用可能なように整備するとともに、艦橋後方の武装を撤去してデリックと耐圧格納庫を設置して、水上機運用能力を付与した。


 こうして「コッド・クラブ」は零式小型水偵を搭載し、初任務として北方海域偵察の任務に就いた。


 しかしここで問題が起きた。パイロットの手配が出来なかったのである。本来であれば着任する筈のパイロットが、干支諸島へのマシャナ軍の空襲に伴う航空隊の再配置などで都合がつかなくなったのが理由だった。


 結局艦長の松中少佐は、航空機の運用を諦めて出撃したのであった。そして訓練を行いながら熱田島に寄港した。ここでの寄港は未知の北方海域への偵察に先立ち、乗員たちに休養を取らせつつ、最後に艦の整備をするのが当初の目的であった。


 ところが、彼が航空隊の門後司令を訪問すると、パイロットたちは天候のせいで思う様に飛べず、半ば遊んでいるという。そこで松中は、再び熱田島に寄港するまでの10日間、パイロットを貸してくれるように頼み、門後はそれを受け入れた。そして水上機の搭乗経験が多少とはいえある、2人が抜擢されたのであった。


 もちろん、抜擢された2人からすれば堪ったものではない。確かに空は飛べないものの、久方ぶりの平和でのんびりとした時間を邪魔されたのだから。特に賢人は新婚生活に、いきなり楔を打ち込まれてしまった。


 とは言え、上官命令である以上逆らうことはできない。


 そしてこういう時に限って間が悪いことに「コッド・クラブ」が入港した翌日は珍しく風も弱く晴れ渡り、2人は早速零式小型水上偵察機の試験飛行をやらされることとなった。


 どこか頼りなさは感じる者の、零式小型水上偵察機は軽やかに海面を離れた。


「どうだ?賢人」


「残念だけど、機体自体に大きな問題はなさそうだ」


 上空に上がり、一通り機体の様子を見るが、異常はない。これで異常が出れば、機体の不良を理由に出撃を断れるのだが、異常なしではそれもできない。


「やれやれ。臭くて狭い潜水艦に10日間かよ」


「仕方がない。航海手当がもらえるだけありがたいと思うしかない。結婚して色々と入用だろ?」


「この島で金使う場所なんかないわ!」


 武のことばに、賢人は苦笑した。


 艦に乗り込めばそれに伴う航海手当が、さらに飛行機に乗って偵察に出ればそれに伴う各種手当がつく。艦に乗る飛行機乗りは意外と高給取りなのだ。


 とは言え、現状妻であるルリアも軍人をやっていて、衣食住全て軍持ちであり、トドメに店もほとんどない極北の島では、金はあってもあまり意味がなかった。


 不機嫌なまま、賢人は機を着水させた。そして今度は武とポジションを交代し、彼にも操縦させて機体の調子を見させたが「呆れるくらいに問題なしだな」と言うとおり、彼も何ら異常を見いだせなかった。


 2人とも不本意ではあるが、潜水艦での任務10日間の乗り込み勤務決定である。


 こうして、あまりモチベーションも上がらないままに、2人は「コッド・クラブ」に乗り込んで、10日間の航海に出て行くのであった。



 


 

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