平穏は遠し ④
「アハハハハ!貴様本当に女に縁のある奴だな!!アハハハハ!!!」
と腹を抱えて笑っているのは、辰島で現在最も高い地位の軍人である基地司令の二見大佐だ。そして笑われて苦々しい顔をしているのは、彼に敵工作員拘束を報告にしに来た賢人である。
二見は今回の敵工作員の正体が女であると知り、笑っているのであった。賢人がこの世界に来てこの方、女性絡みで色々話題を提供しているのは有名だった。
「勘弁してくださいよ。ルリアたちのことでも手を持て余し気味なのに。これ以上女がらみで厄介ごとを持ち込まれては堪りませんよ」
そんな2人の背後では、三式指揮連絡機の胴体に括りつけられた担架から、敵の工作員が降ろされて病院へ運ばれていくところだった。
小型の三式指揮連絡機では、機内に患者を寝かして運ぶのは難しいので、機体の胴体側面の外側に担架を厳重に固定して、運んできたのであった。当然患者は吹きさらしになるので、一見すると恐ろしい輸送方法に見えなくもないが、こうした方法は米軍も沖縄戦などで実際に行っているから、決して珍しいわけでもない。
そうして運んできた工作員の正体が女であったことに、二見はバカ笑いしていた。と言うのも、賢人と武の2人がこの世界に来てから、やたら女と縁のあることは、日本軍内部では有名な話になっているからだ。
「まあな。でも、これで工作員の女がお前に惚れたら、それはそれで話としては面白いがな」
「あのですね司令。自分は軍人ですよ。酒の肴じゃないんですから」
「ああ、わかったわかった。工作員を生け捕りにしたことについては、武勲だから上に上申しておこう。そうすれば、次は兵曹長。もしかしたら少尉への昇進も夢じゃないぞ」
「少尉ですか・・・」
女がらみの厄介ごとはともかくとして、少尉への昇進は大いに賢人の心を揺さぶるものであった。
軍隊は基本階級社会であるが、帝国海軍の場合は特に尉官以上の士官と、上等兵曹以下の下士官・兵の間に厳然たる差がある。それは給料や食事と言う待遇であったり、部隊の指揮権であったり、また天皇に仕える立場と言う意味でも大きい。
そのため兵や下士官で海軍に入った場合、まず准士官である兵曹長(陸軍は准尉)に達するだけでも難しい。
賢人にしても、予科練卒業後はもちろん偉くなりたいという願望はあったが、何せ高確率で戦死する戦時下の航空兵である。下士官の場合は兵よりはまだマシだが、それでも戦局の厳しさから准士官になれるかさえわからず、そのため出世に対してあまり現実味がなかった。
しかしこの世界に来たことで状況が大きく変わる。初級士官や下士官の不足から、トラ4032船団司令部、さらにその後継の日本国政府も含めて、戦功による特進を行わざるを得なかった。
第二次大戦期、ドイツやアメリカなどでは戦時における武功による特進は比較的あたりまえであったが、日本の陸海軍では多少昇進速度が速まった程度で、劇的な特進は行わなかった。
だから昇進と言う点で言えば、賢人を含め多くの人間が異世界に来た恩恵を得ていると言えた。
「ま、昇進については正式に辞令が出るだろうさ。そうでなくとも、戦功を挙げたんだからビールやサイダーとか、持てるだけ持って行け。主計には俺の方から言っておく」
「ありがとうございます!ありがたく頂戴いたします」
酒や甘いものと言う嗜好品は、軍隊にとって士気を維持する上でなくてはならないものだ。ましてや戦闘や監視任務など、激務続きの状況では余計にその重要度が増す。
それを好きなだけ持っていけと言うのだから、賢人ならずとも満面の笑みを自然と浮かべてしまうものだ。
指揮所を辞し、賢人はまず三式指揮連絡機の元へと向かう。
「ルリア」
「あ、お帰りなさい。報告は終わったの?」
傍で補給と整備を手伝っていたルリアが、賢人の方へ振り向く。
「ああ。それでルリア、司令がビールやサイダーを好きなだけ持って行って良いって言うから、主計科に取りに行くぞ」
「本当!二見司令もやるじゃない」
「まあ、そんなに持って行けないけどね」
三式指揮連絡機は輸送機ではない。後部座席にスペースがあるとはいえ、そんなに荷物は積めない。だから持って行けるビールやサイダーの本数も、そんなに沢山は積めない。
「でも、もらえるだけでもありがたいじゃない」
「だね」
例え1本だけだったとしても、もらえるだけありがたいと言うものだ。補給が滞れば、そんな1本さえ手に入らなくなる。その苦しみについては、ガダルカナルやニューギニア帰りの兵隊からよく聞かされる話であった。
2人は主計科に出向き、早速受け取りに入った。
「平田兵曹、司令より窺っております。ビールとサイダーを1ダースずつと、つまみ代わりの缶詰が少々。出せるのはこれだけになります」
二見は約束通り主計科に根回しをしておいたようで、2人が出向くと既に木箱に入ったビールとサイダー、缶詰が置かれ、出迎えた下士官が指をさす。
「では、遠慮なくいただきます」
「もらいます」
「割らんように気をつけください」
「はい。割ったら第二の皆に申し訳がたちませんからね」
2人は木箱を手にして、機体へと戻る。そして、後部座席に厳重に固定して積み込んだ。
「よし、それじゃあ行こ「平田!ルリア!」
荷物を積み込んで出発しようとした2人に、背後から聞きなれた声が掛けられる。
「「中野大佐!」」
2人にとって馴染みの顔の上官、中野だった。
「おう、第二へ帰るのか?」
敬礼する2人に答礼しながら、賢人の前に立った。
「はい。二見大佐からビールとサイダーの差し入れがあったので、それを土産に」
「そうか。短い距離だが、気を抜くなよ」
「わかっております・・・大佐は?」
「俺か?俺はこれから病院行って工作員への取り調べに立ち会うのさ。そのために瑞穂島から派遣されたんだしな」
中野は今回、工作員の確保に協力するためやってきた。おそらく尋問に立ち会い、その情報を持ち帰るのも任務の内なのだろう。
「大佐も大変ですね」
「偉くなる分、仕事も増えるってことだ・・・で、工作員を捕まえた手柄は2人のもんだってな?」
「はい。恐縮です」
「えへ」
褒められて嬉しいのか、ルリアも上機嫌に笑みを浮かべる。
すると、中野がチョイチョイと賢人をだけを手招きする。
「何でしょうか?」
賢人が訪ねる。もちろん、小声でだ。
「お前が捕まえた工作員、女らしいな」
途端に賢人はげんなりする。
(またそれかよ)
「大佐。その話はよしてください。あんまり考えたくありません」
「バカ言え。お前そろそろ真剣に嫁さんのこと考えなきゃいけないぞ」
「結婚ですか。それはその内・・・」
「その内っていつだ?まさかこのいつ終わるかわからん戦争が終わってから、とか言うんじゃないだろうな?」
「それは・・・」
現在日本国はこの世界における大国マシャナと戦争状態にあるが、その終わりがいつになるかさっぱりわからない。と言うのもそもそも日本国、その前身であるトラ船団がマシャナと戦争を開始したいきさつは、ほとんど成り行き任せに過ぎない。
この世界に現れたトラ船団が偶然出会ったマシャナと戦闘状態に入り、そのままズルズルと戦火が拡大したのが現実である。
このため、日本国はマシャナ帝国と何ら繋がりがなく、コンタクトができていない。無論日本国は捕虜や同盟国から提供された情報を元に、無線などでの呼びかけをしているが、その結果が芳しくないことくらい、賢人ら下士官・兵にもわかる。何せ戦闘態勢が何時まで経っても解除されないのだから。
こうなると、戦争が終わる目途など立つはずがない。
一方賢人自身は、ルリアが好きだ。仲間として女性として認めている。ただこちらの関係も成り行きで出会って、ズルズルと今まで接してきたので、2人とも互いに相手が傍にいて当たり前。なので、ルリアの気持ちはわからなかったが、少なくとも賢人としてはわざわざ結婚を急ぐ理由もなかった。
「いいか。戦時下だからこそ、早く結婚しておくべきなんだ。死ぬ直前になって悔いても、後の祭りだぞ。それに、今だからこそルリアを嫁にも出来るしな」
「それはそうですけど」
本来帝国海軍軍人の結婚は、かなりシビアだ。恋愛結婚が不可能ということはないが、どのような場合であっても上官の許可が必要となる。さらに、厳重な身辺調査が行われる。この場合で、外国人や水商売に関係している者、思想的に問題ある者、さらに本人は良くても親族に該当者がいたりすると、不許可になってしまう。
だから本来であれば、ルリアとの結婚は難しい。
しかしながら、異世界に飛ばされたことがこの規定を無意味なものにした。と言うのも、その後ある程度民間人が加わったとはいえ、日本国籍保持者の男女比は圧倒的に男性が上と言う、歪な状態になってしまったからだ。加えて、身辺調査をする捜査機関もないし、作っている余裕もない。
こうなると、子孫を残すためになりふり構っていられなくなる。結局のところ、日本国政府は海軍軍人の婚姻規定を「停止」として、瑞穂島の島民やエルトラントから割譲された干支諸島の島民、マシャナの帰順兵からの嫁入りを許可することとなった。しかも、将来的に日本人の血を引く者を増やすために、一夫多妻を許可する動きまである。
仮にもし、現在ルリアとの結婚を中野に申請したとしても、何ら問題なく許可が出るのは間違いない。
「ま、その件に関してももう少し考えておくことだな」
「はあ・・・」
「じゃ、まあそういうわけだ。俺も取り調べが終わればそっち行くから、よろしく頼むぞ」
言うだけ言って、中野は去って行った。
「ねえ賢人。大佐と何話したの?」
「・・・空の上で話すよ」
「?」
怪訝な表情をするルリアを隣席に乗せ、賢人は三式指揮連絡機の発進準備に掛かった。
「コンターック!」
整備と給油が完了した機体は、快調だった。
「じゃあ、行くぞ」
「う、うん」
機体は何ら問題なく飛び上がる。お土産と、もやもやした気持ちの2人を乗せて。
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