初海戦 上
舵を切ったことで、「山彦」は不明艦に左舷側を見せながら、その針路を妨害するように進む。
「目標との距離は?」
「約3500!」
互いに高速で動いているため、距離が縮まるのもあっと言う間だ。
3500mと普通の人間が言われても、かなりの距離と感じるだろう。しかし、互いに30ノット以上、相対速度にすると70ノット近い速度なのだから、あっと言う間に縮まる距離だ。それはつまり、一つ決断を誤ると、衝突する危険性を含む近距離と言うことになる。
「舵戻せ!」
「舵戻します!」
戸高は「山彦」が回答をし終える前に、舵を切るのを一端止めさせる。敵に完全な直角ではなく、斜めに正対するように仕向けたわけだ。
恐らく、相手から見れば「山彦」が自分たちの針路を妨害するように突っ込んでくる。そう見えるはずだ。
「さあ、向こうはどう出るか?」
戸高の問は、すぐに相手がその体を持って答える。
「不明艦、面舵を取ります!」
「やっぱりな」
海上において衝突の危険を回避する場合、互いに反対方向に舵を取るのが望ましい。相手は「山彦」との衝突を恐れて舵を切ってしまったわけだ。
加えて、現在「山彦」は不明艦に対して、浅いものの丁字を描いた状態にある。
この丁字を描いた場合、描いた方(つまり「山彦」)は敵に対して腹を見せることになり、的として大きくなると言うデメリットはあるが、全ての火器を敵に指向出来るメリットがある。逆に描かれた側(つまり不明艦)の方は、正面に指向出来る限られた火器しか使用できない。
この丁字を脱する意味からも、逆方向への点舵は理想的な選択であった。
ただし、それは敵が単艦であればの話だ。
「よし!こっちも取り舵一杯!「石狩」と不明艦を挟み撃ちにするぞ!」
「取り舵一杯!ヨーソロー!!」
「山彦」の後方には、追走している軽巡洋艦の「石狩」がいた。その「石狩」は不明艦の動きを読んで頭を押さえに掛かっていた。
戸高はさらに、その退路を「山彦」で押さえる体勢をとらんとした。こうすれば、相手は停止する。まだ相手が撃って来ていない以上、さらには不明艦が敵であるかすら判然としない状況で、戸高もさすがに発砲することはしなかった。
ところが、その時見張りの絶叫が響いた。
「不明艦発砲!」
「何!?」
刹那、艦から少し離れた場所に水柱が立つ。
「撃ってきたか……良いだろう。貴様らの今の砲撃、俺たちへの挑戦の意志と判断する!反撃するぞ、各主砲、準備出来次第、撃ち~方始め!」
それまで発砲準備をしていたものの、待機していた主砲配置の乗員は、この命令を受けて一気に色めき立つ。また艦橋トップの射撃指揮所でも、主砲発砲のための測距と計算が行われる。
かつての大砲は、基本的に目視照準で各砲が個別に発砲していた。しかし、その後技術が進歩すると、敵艦との距離や速度、角度、風速などから最適な砲の旋回角、仰角などが射撃指揮装置によって可能となり、艦橋トップなど見晴らしの良い場所に射撃指揮所が設けられるようになった。
各主砲は、この射撃指揮所から送られるデータを基にして、砲を旋回、俯仰させて発砲するのだ。引き金も射撃指揮所に設けられている。もちろん、指揮所がやられる場合もあり、その時は各砲が個別に発砲することとなる。
現在「山彦」は敵を後方から追う形になっているので、使える主砲は艦橋の前に設置されている、一番主砲だけだ。
「山彦」は「陽炎」型駆逐艦の1艦で、その主砲は連装の12,7cm50口径砲が3基だ。口径は砲身長のことで、口径×50倍の砲身長があることを表す。
世界最大最強の戦艦「大和」の46cm45口径砲に比べれば、ささやかな大きさかつ威力の砲であるが、開戦以来「山彦」はこの砲を敵艦に、敵機に、或いは敵陣地へ向けて撃ち続け、武勲を重ねてきたのだ。
開戦から1年近く経過した昭和18年1月、ソロモン海域における敵機の空襲で中破した「山彦」は、修理のため本土に帰還。その後長く修理と整備、さらに改装を受けて第一線を離れていた。
今回の戦闘が復帰後初めてとなる砲撃戦である。当然、砲術員の士気は高く、その手に力も篭っていた。
「目標!方位045!距離6000!速力40!」
「艦長、敵艦は高速にて離脱を図る模様」
不明艦は「山彦」の前方を、速度を上げて遁走しつつあった。その前に「石狩」が回りこもうとしているが、速力は相手の方が上であり、既に挟み撃ちする意図は破綻しつつあった。
それでも、戸高の闘志は衰えない。
「恐ろしく脚が速いな……主砲、撃ち方まだか?」
戸高は射撃指揮所の砲術長に問い合わせる。既に数回敵は発砲しているが、こちらはまだだ。
「もう少々お待ちください。敵が速いので、照準に苦労しとりまして」
「早く撃たんと逃がすぞ!多少いい加減でもいいから、とにかく撃て!」
「了解!撃ち方始めます!」
「撃ちー方始め!」
「て!」
射撃指揮所の砲術長が、引き金を引く。1番砲の2門が火を噴き、発砲煙が一瞬艦橋にも舞い込む。
「どうだ?」
戸高は双眼鏡で弾着を確認する。程なくして、目標の少し手前に水柱が立つ。
「全弾近弾!」
「やっぱり初弾命中とは行かんか……砲術長、ガンガン行け!早くしないと射程圏外まで逃げられるぞ」
「ヨーソロー」
(にしても)
戸高は双眼鏡で、改めて敵艦を見る。先ほどから何度かその姿を見てはいたが、ゆっくりと観察している余裕がなかった。
敵の大きさは、「山彦」とそう変わらない。全長120m程度だろうか。艦橋の前部に2基、後部に4基の単装主砲が見えるが、魚雷発射管らしきものはない。
艦体は飴色に塗られ、砲塔や艦橋などは曲線的、と言うより円柱を組み合わせたようなデザインをしている。戸高が知る限り、こんなデザインの艦艇をアメリカやイギリスが運用しているはずがない。強いて言えば、どことなくイタリアの艦艇を思い浮かべさせるが、そもそも掲げている国旗が違う。
目の前の艦艇が掲げている国旗らしき旗は、二等辺三角形の上部を赤、下部を金色に塗った二色旗だ。その真ん中に、短刀らしき物が描かれている。
(一体何者だ?)
戸高の疑問を掻き消すように、「山彦」の主砲が咆える。さらに、少し離れた場所からも閃光が光る。
「「石狩」も発砲!」
「了解……砲術、「石狩」に先を越されるんじゃないぞ!」
「わかってます!」
砲術長に喝を入れる戸高。別に「石狩」やその艦長である与那覇大佐に含むところがあるわけではないが、同じ目標に撃ち始めた以上、自然と競争心が沸き立つものだ。
その後3斉射ほど空振りが続く。敵艦との距離は益々開くばかりだ。その高速に惑わされ、「山彦」も「石狩」も空振りを繰り返す。もっとも、敵艦の砲撃も同様で、「山彦」に対して至近弾にすらならない。
とは言え、一行に当たらないことに、戸高は焦りを禁じえない。
「ええい!早く当てないか!!」
と言う戸高の叫びを神が聞いたか知らないが、直後不明艦の後部に爆発が生じた。
「命中!」
「どっちの砲弾だ?」
「……「石狩」の模様!」
「!?」
「山彦」と「石狩」が不明艦とやり合っている頃、離脱した「麗鳳」艦上では、ようやく並べられた97艦攻が、暖機運転を開始していた。その数8機。本来は9機が最大なのだが、1機がエンジントラブルで脱落していた。
既に各機には搭乗員たちが乗り込み、発艦の時を待っている。
空母から航空機を発艦させるには、必要な風力を確保するために風上に艦を回し、出来る限り高速で走る必要がある。「麗鳳」は今当に、そのための変針を終えるところであった。
飛行甲板先端から出る蒸気が、真っ直ぐになる。これは艦が風上に対して直進している証だ。
「チョーク払え!」
パイロットたちが両手を振り、車輪止めを外すように整備兵に指示する。合図と共に、一斉に車輪止めが引き抜かれる。あとは、発進開始の合図を待つだけだ。
「石見、毛利。行くぞ!」
「「は、はい!」」
艦攻隊を指揮する青木健一中尉は、自分の機の部下たちに伝声管越しに声を掛ける。若いこれが初陣の搭乗員たちは、どこか緊張気味だった。
「落ち着け。訓練どおりやれば何も問題ない。石見」
「はい!」
「発艦するときは艦首の上下動に注意しろ。いきなり着水じゃ、話にならんからな」
「はい!」
「毛利」
「はい」
「戦果を確認するのはお前の役目だ。目を見開いて、しっかりとやれ」
「わかりました!」
操縦を任せる石見二飛曹も、電信席に座る毛利二飛曹も、本土でキッチリと訓練を受けてはいるが、実戦は今回が初めてだ。その緊張を見てとったベテランの青木は、彼らに声を掛け、それを解きほぐそうとする。
(ま、最初は誰だってこんなもんか)
自分も最初はこんな感じだった。と思い返しながら、彼は座席を一杯に上げて前方を注視する。
旗を持った士官が、命令を待って待機している。そして、青木ら搭乗員たちは、その旗が振られる瞬間を待つ。
1分ほどして、艦長の命令が出たのであろう。士官が旗を振った。
「行け!石見」
「はい!行きます」
操縦の石見がスロットルを離昇出力一杯まで入れ、ブレーキを解除する。直後、彼らを乗せた97艦攻はスルスルと走り出した。
両側のスポンソンでは、見送りの乗員たちが帽子や手を振っている。歓声も送っているだろうが、エンジン音に掻き消され、搭乗員たちには聞こえない。
魚雷を積んで重くなった艦攻であるが、艦が高速で起こす風を掴み始め、機尾が持ち上がる。
飛行甲板先端が迫り、車輪が蹴ると同時に、機体が一瞬沈む。墜ちるのかと、ヒヤリとする瞬間であるが、機体は直後に上昇を始めた。
両脚を収納し、3人を載せた艦攻はグングンと上昇して行く。
「ようし、後続機が飛び立ったら、予定通り行くぞ」
緊張する二人とは対照的に、青木はまるで散歩にでも行くような軽さで、伝声管越しの二人に言い放った。
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