平穏は遠し ①
「敵艦・・・見えずか」
偵察機より発進されたその報告に、聞いていた誰もが安堵の息を吐いた。電文を読んだ二見自身、その顔には激務による疲労が、色濃く表れていた。
昨日突然の敵の工作員による破壊工作と、それに続く空襲と敵艦隊来襲により、辰島は大混乱に陥った。
幸いにも空襲は敵の練度不足に助けられて僅少の被害で済んだ。そして、最も警戒した敵艦隊も辰島の航空隊と瑞穂島より派遣された増援の航空隊によって、なんとか撃退した。
とは言え、敵が残存戦力を結集するか別動隊を送り込んでいる可能性も捨てきれず、辰島に展開する日本軍はその後も緊張を強いられた。
航空隊も整備兵、パイロット含めて基地の被害復旧や、再度の出撃に備えた補給や整備に、わずかな仮眠だけであたった。
幸いだったのが、夕方に瑞穂島からの追加派遣部隊が到着し、戦列に加わったことであった。これらには整備兵や陸戦隊員も同乗しており、疲労のピークにあった辰島の隊員たちにとって、干天の慈雨に等しい存在であった。
加えて瑞穂島を空母「勇鷹」を旗艦とする艦隊も出撃しており、万が一敵が再攻撃を仕掛けて来てもある程度対応できる体制が整った。
そうした援軍の助力もあって、2日目の朝には12機の偵察機を出撃させることに成功した。
そしてこの偵察機のいずれもが敵の発見を報告せず、また敵信を傍受していた通信室からも、近海で敵が行動している兆候なしと報告を受け、敵艦隊の完全撤退がほぼ確実になった。
「お見事でした。二見司令官」
と彼の背後から労いの声を掛けるのは、トエルだ。
「いえ、殿下の働きもお見事でしたよ。ただ今後は是非ともお控え願いたいところですがね」
エルトラントの姫であるトエル。その彼女が今回の戦いで空母1隻の撃破に貢献したのは間違いない。協同とは言え、低速弱武装の練習機でのこの戦果は特筆するべきものだ。
しかし二見からしてみれば、友好国の姫にもしものことがあったら外交問題である。今回は1機でも稼働機が必要だった切迫した状況だったのでやむなく出撃を許したが、こんなことはこれっきりにして欲しいというのが、二見の感想であった。
「そうですね。善処いたします・・・それで司令官。今回の攻撃では、島内に敵の内通者がいると思われますが、それは我が国の民の誰かの可能性が高いと考えます。誠に遺憾なことですが」
「でしょうな」
今回の空襲の発端となった電気設備や電話回線への破壊工作は、マシャナの工作員が行った以外には考えにくい。そしてその工作員が潜んでいるとすれば、この島に移り住んだエルトラント人の可能性が極めて高い。
エルトラントはついこの間までマシャナの占領下にあり、マシャナ軍は撤退したものの工作員を残した可能性は十分にあった。むしろ、日本国を含む対マシャナ連合の情報を得るためにも、工作員を残さない方が不自然であった。
「ただ今は敵の工作員の捜索に人手を割いている余裕はありません。基地を含めた復旧の方が優先事項なので」
敵の攻撃を撃退したとはいえ、敵の破壊工作と空襲からの復旧作業はまだ終わっていなかった。
飛行場に関しては攻撃隊出撃のために復旧を急がせた結果、なんとか機能を維持している。しかし島内に目を向ければ、未だに普通箇所の電話線は多数あるし、基地への空襲の外れ弾や墜落した敵機、発射した高角砲弾の弾片により被害を受けた住宅も多数ある。中には火災が発生したものの、消防車の数が足りず(そもそも消防車自体ほとんどない)燃えるに任せるしかない住宅もあった。延焼を防ぐために壊した住宅もある。
こうなると家を失った住民も発生し、日本国としてはその避難場所の設営もしなければならなかった。
干支諸島は現在日本国領に編入されたとはいえ、元はエルトラント領。さらに日本国編入後も、エルトラント人が多く住んでいる。その人々を無下に扱うようなマネをすれば、両国間の外交関係にヒビを入れかねない。
そのため、二見はこの問題にも慎重かつ冷静に対処する必要があった。
「んで結局俺たちはこっちに戻るわけか」
「仕方がない仕方がない。第一はボロボロなんだから」
ボヤく武に、それを窘める賢人。2人は敵艦隊の撤退が確認された翌朝、第二飛行場へと機体共々戻って来ていた。相も変わらずの急造飛行場が、2人を出迎えた。
舗装もされていない滑走路に、管制塔や格納庫もなく、バラック小屋やテントが並んでいる。ただ2日前と違うのは、飛行場のあちらこちらに急造の対空陣地が設けられ、さらに燃料の入ったドラム缶を始めとする危険物を収める掩体が分散されて築かれていることであった。
いずれも航空機用機銃を簡易な塹壕の中に急ごしらえの銃架で設置したものや、土嚢や盛り土で形成した簡易なものでしかない。
それでも整備兵たちがモッコやシャベルと言った人力で作り上げたものなのだから、充分上出来と言えた。
わずか2日間のうちに、完成したばかりの急造飛行場は前線飛行場の色を濃くしていた。
もっとも、空襲を受けて戦闘を行った第一に比べると、第二飛行場は敵の襲撃を受けておらず、被害を受けた様子は全くない。加えて、市街地から離れた場所にあるので、第一のように避難民が押し寄せている様子もなかった。
「それに、家焼け出された人にこんなこと言うのは酷だけど、避難民でごった返すよりはマシだろ」
「まあな」
マシャナの空襲と、それによって市街地に被害が出たことは、島民たちを強く刺激した。当然と言えば当然である。ついこの間まで、彼らの国は敵に占領されていたのだから。加えて直接焼け出された島民は、着の身着のままで衣食住全てを絶たれたに等しい。
必然的に、多くの島民が日本軍に庇護を求めてくるわけで、彼らは守備隊の駐屯地と第一飛行場に殺到した。
これに対して、二見は当初は戦闘中ということもあり、医療活動など切迫事態への対処のみを行っていた。人員に余裕がなかったためである。また戦闘中と言うこともあり、避難民の方もそこまで多くを求めなかった。
しかし戦闘が終了した現在、彼らへの本格的な救援活動が開始されていた。と言っても、そもそもの備蓄物資や設備に限界がある以上、できることと言ったら精々天幕の貸し出しや、飯盒炊飯による簡便な食事の配給くらいであった。
それでも、家を焼け出された人々にとっては有難い支援活動に違いなかった。だがそのために、現在第一飛行場周辺には避難民を含む島民たちが殺到していた。
もちろん、飛行場の人間はその対応に追われていた。
一方開設されて間もないことに加えて、市街地から遠く離れている第二飛行場は平穏そのものであった。島民たちの多くは、まだこの飛行場の存在にすら気づいていないだろう。
その第二飛行場に、2人は戻されていた。
機体を急ごしらえの掩体壕に引き込み、補給と整備を整備兵たちに頼む。敵艦隊は去ったとはいえ、戦時下であるという状況に変わりはない。だから24時間、いつでも出撃できるようにしておく必要があった。
「しかし、敵の工作員が島のどこかに潜んでいるようじゃ、おちおち夜も眠れないな」
「ああ、全く。俺たちまで不寝番だからな」
敵の工作員が島内に潜んでおり、その捜索もままならない現状では、受け身になるしかない。すなわち、基地や飛行場の警備体制を強化するということだ。特に敵の活動を許しやすい夜間の警備状況を、強化する必要があった。
それはここ第二飛行場も同じで、人員不足から賢人と武もその警備のローテーションに加えられていた。
「でも、まあそれも明後日までだ。明後日には瑞穂島からの増援が到着する。そうなれば、島内の捜索も行われるだろうし」
現在の所、瑞穂島への増援は空路中心で微々たるものであったが、2日後には敵工作員の捜索と島内の守備隊強化を目的とした派遣将兵を乗せた輸送艦が到着することとなっていた。
その人員が到着さえすれば、辰島の将兵のオーバーワークも解消されるはずであった。
「とにかく、早い所風呂入って仮眠しようぜ。お前は00:00からだろ?」
「ああ。賢人も、02:00だったな」
2人はそれぞれ割り当てられた時間に備えて、早めに休まなければならなかった。
そんな2人の耳に、発動機の音が聞こえてきた。
「この音って?」
「T6型機みたいだな・・・トエル少佐たちだ」
黄昏の空をバックに飛んできたのは、トエルとルリアのT6型機だった。2人の飛行機は、脚を出して着陸態勢に入り、そのまま着陸した。
「相変わらず上手いね」
「ああ。でもどうして2人が?」
「とにかくお出迎えに行こうぜ。曲がりなりにもお姫様たちだからな」
「ああ」
見事な着陸を決めたT6型機は、賢人たちの零戦同様掩体壕へと収容された。そして、収容後2人が機体から降りてきた。
「少佐たちまで、如何したんですか?」
武がトエルの、賢人がルリアの手をとって地面に降りるのをエスコートした。
そんな2人に、トエルは事も無げに言った。
「私たちもこっちに配置されたから。だからよろしくね、平田兵曹に佐々本兵曹」
「「はあ!?」」
2人の間抜けな声が、黄昏の空へと吸い込まれていった。
御意見・御感想お待ちしています。




