新領土と新戦力 ⑩
「ここは、これくらいの船が停泊するにはちょうどいい泊地だな」
「泰北丸」の船橋から、錨を降ろした湾を見回す小柴船長。この島に到着して3日目、前日の調査で湾内に危険な暗礁等の存在がなく、また船団を停泊させるには十分な深度があることが確認されたため、彼はこの日船団を湾内へ入れて投錨させた。
この島の湾は瑞穂島の泊地に比べると手狭で、紺碧島のそれよりもさらに小さい。トラ船団規模の何十隻もの大船団を展開するほどの広さはない。
しかし調査船団は3隻だけなので、全く問題なかった。また「泰北丸」は総トン数が3000トン未満の比較的小型な船なので、余計にそれくらいの船にはちょうどいいというわけだ。逆に1万トン近い「高城丸」には少々窮屈そうであったが。
湾は南側に外洋と接した口が開いているが、波は至って穏やかである。砂浜もあり、上陸用舟艇などを使って容易に上陸可能であった。
「島には誰もおらんようだし、これでこの島は我が国のものだな」
湾内に船団が入るのと並行して、小柴はようやく田中中尉を隊長とする調査班を島へと上陸させた。
まだ全島を見回ったわけではないが、現在の所調査班が何者かに遭遇したという報告は入っていなかった。加えて2日前の航空偵察でも、人工物や居住民の存在は確認されていない。
そのため、小柴らはほぼこの島を無人島だと判断していた。そして地図に載っていない、誰のものでもない島と言うことは、実質的に最初に上陸して国旗である日の丸を立てた日本国の領土にしたも同じであった。
紺碧島や瑞穂島はいずれも先住者がいたり、先に上陸された痕跡があった。そのため、この島こそこの世界で初めての、純粋な日本領と言うことになる。
もっとも、完全に自分たちの物にしたと言っても、その内容が良いかまでは別問題である。
「集落や基地を作る平野部はあるが、この気候じゃ畑作は無理だし、天候も荒いだろう。とても人が住める場所じゃない」
駆逐艦「山波」の艦橋から、目の前に広がる島の風景を見た艦長の小郡中佐、さらには古参の乗員たちは複雑な気分であった。
と言うのも、この新領土の風景が、彼らが以前赴いた北の戦場、アリューシャン列島のキスカ島やアッツ島に、スケールは違えどよく似ていたからだ。
1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー作戦と並行して行われたアッツ・キスカ攻略作戦で、日本軍はアメリカ領の両島を占領した。占領後は陸海軍による守備隊や水上戦闘機隊が置かれ、飛行場の建設も行われた。
しかし、北の自然環境は非常に厳しかった。冬は極寒で強烈な風が吹きつけ、夏も霧に覆われがちな島々は、本来であれば人が生きていけるような環境ではなかった。
そんな厳しい環境で、日米両軍は激しい戦いを繰り広げた。
最終的に軍配が上がったのはアメリカ軍である。日本側が飛行場を完成させられないまま終わったのに対して、米軍は飛行場を築いて、アッツとキスカに猛爆撃を加えてきた。さらに、レーダーを装備した米艦隊が包囲するに及んで補給が完全に途絶した両島は、完全に孤立した。
そして、占領から1年も経たぬ昭和18年5月、アッツ島に米軍が上陸。制空権も制海権も喪われ、総兵力でも遥かに劣る日本軍守備隊は善戦したが、同月末に守備隊長山崎保代大佐を先頭に最後の突撃を行い、2400名あまりの守備隊はほぼ全滅。日本軍初めての玉砕となった。
一方キスカ島は、木村昌福少将率いる水雷戦隊が霧の中、米艦隊の包囲網を突破してキスカ島に突入。陸海軍守備隊全将兵5200名余を救出し、1隻の未帰還も出すことなく無事に北千島の幌筵に帰還した。後の世に轟く、キスカ奇跡の撤退である。
対照的な末路を辿った両島の日本軍であるが、どちらにしろ日本軍にとって大苦戦した戦場であることに変わりはなかった。そしてそれは、「山波」を含む帝国海軍艦艇にも言えることであった。
米軍の空襲に加え、潜水艦までもがアッツ島に向かう艦船に対して激しい襲撃を加えた。
幸い「山波」はその過酷な戦場から生きて帰ることが出来たが、目の前で僚艦や護衛してきた商船が沈められるのを何度も目の当たりにしている。
そのため、そうした苦い記憶を思い出させるこの島に対して、彼らが複雑な想いを抱くのは致し方がないことであった。
とは言え、人が生きるに難しい島であっても、領土であることは変わりない。加えて、全く使い道がないこともなかった。
「住むのは無理にしても、ここに補給基地を設ければ、北洋での漁業が可能になるぞ。どんな魚が採れるかわからんが、地球と同じならサケやマス、鯨なんかが期待できるな。アシカなんかがいれば毛皮も手に入るぞ」
北太平洋での漁業は、戦前には盛んであり、そこで採れた各種の魚は貴重な食料となった。地球であれば千島や北海道がその基地となりえるが、この世界には当然ない。となれば、この島がその代替となりうる。
またアシカなどの海獣は、貴重な毛皮を提供する材料となる。
もちろん、それらは地球の話であり、この世界でも同じ条件であるかはわからない。ちなみに瑞穂島や紺碧島周辺の海で採れる魚は、地球と全く同じなものもいれば、全く違うものもいる。
石油や石炭、鉄鉱石など戦略物資に比べると目立たない存在と言えるが、現在人口が激増している日本国にとって食料、特に馴染みのある海産物が多量に入手できることは悪いことではないのだ。
さらに、小規模なりと補給基地を設ければ今後の艦艇による活動範囲を大幅に広げることにも役立つ。
とは言え、今回はあまり長居している時間はない。瑞穂島からここまでにおける長句の航海は、燃料や食料を大幅に消耗させる物であったし、貴重な海象は艦や乗員を疲労させている。何より、この島に拠点を置くような資材などは全く持ち合わせていない。
これは出撃前に既に打ち合わせていたことで、領土となりうる島を発見した場合は、とりあえず海図に位置を記入し、船が停泊できる場所を把握し、そして出来うれば島に日の丸を掲げることであった。
小柴はこの予定通りに行動した。島に艦船が停泊できる湾を発見すると、調査班を上陸させたものの、その調査は2日間の短期間で終了させた。もちろん、それだけの短時間では島の隅から隅まで調査など出来る筈もなかったが、この島に住民が住んでいる痕跡や敵の施設がないことだけを確認させると、後は日の丸を立てて終了となった。
ちなみにこの島は火山島らしく、調査班は途中で温泉を発見してそこで入浴を短時間ながら楽しみ、せいぜい艦内でやれるゲームか、釣り糸を垂らすくらいしか暇をつぶす術がない艦船に残った者たちを羨ましがらせた。
「じゃあ、帰ろうかね」
そして無事任務も終了。今後この島をどう活用するかは、瑞穂島に帰った後に、幹部たちを交えた会議で改めて決定することである。
島に到着してから5日目、小柴は船団に瑞穂島への帰還命令を出した。再び長い長い航海となるが、とにかく何もない北洋の島から、暑いとはいえ同胞たちが待つ瑞穂島に帰ることに、乗員たちの顔は明るかった。
そして船団は、来た時と同じく「山波」を先頭に、「泰北丸」、「高城丸」が1本の単縦陣となって出港した。
後は再び数千海里の波濤をひたすら南下していくだけである。もちろん、敵が現れた時に備えて厳重な警戒を行った上でだ。
だが船団にとって厄介なことは、来た時と同じく霧が海上に掛かっていることだった。
「やれやれ、またしばらくは神経をすり減らす航海になるな」
目の前に広がる乳白色の世界に、小柴を筆頭に誰もがうんざりする想いであった。
そんな神経をすり減らしつつも、単調な航海を数日続けるものかと思っていた矢先のこと、出港した翌日には船団を包む霧は、来た時以上に濃いものとなった。
「これはマズいな」
とにかく本当に濃い霧である。船橋から船首さえ見えない濃さである。
「船長、これはもう電波を出すしかないですよ」
一等航海士が音を上げて進言する。本来であれば、電波を出すのは厳禁だ。ここが味方の制海権を大きく離れた海域であり、敵に傍受される可能性があるからだ。
そのため、行きの霧の中でも使用をためらって、結局使わなかった。
しかし、今回は行き以上に強烈である。もうサーチライトを点灯するかしないかレベルではなかった。
「やむをえん。電波を限りなく弱い出力で発信「こちら無線室。「山波」より入電」
小柴の言葉を遮るように、無線室から緊急の連絡が入った。どうやら「山波」の小郡艦長が、しびれを切らして電波を出してしまったようだ。
「小郡さん、我慢できなかったか・・・内容は?」
「我電探に反応あり。至近距離に複数の反射反応あり。注意されたし!」
「何!?」
その報告に、小柴は慌てる。「山波」は電探を搭載しているからまだいいが、「泰北丸」と「高城丸」には搭載していない。有視界以外敵を発見する手段がない両船では、近くに何かがいても反応できない。
「マズいぞ!何者か知らんが、このままでは下手すると衝突だ」
「船長、船尾の大砲を空砲で発射するのはどうでしょう?音で気づいてもらえるのでは?」
一等航海士がとっさに進言した。「泰北丸」には自衛用に船尾に旧式の7,6cm砲が搭載されていた。それを発射して、自分の位置を教えようというのだ。確かに、汽笛よりも音は届くだろう。
小柴は即断した。
「よし、それでいこう」
5分後、船尾の7,6cm砲から空砲の発射が始まった。
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