新領土と新戦力 ⑨
「参ったな。波は収まったが、この霧じゃな」
「泰北丸」船長の小柴は、眼前に広がる乳白色の世界を見ながら、忌々し気な声でそう言った。
荒波をかき分けること数時間。せっかく波が収まりタンカーの「高城丸」からの給油が出来て万々歳と思ったら、今度は急な霧の発生である。霧が出るまでの間に「高城丸」から「山波」への給油はなんとか終わっていたが、またも厄介な状況に置かれてしまったのは間違いなかった。
霧は船にとって大敵である。視界が効かない洋上において、視界を奪い去るそれは衝突事故を惹起する元凶となる。
「舷灯をつけましたが、他の2隻は確認できません。汽笛が聞こえるので、近くにいるのは間違いないのですが」
一等運転士も困り顔である。彼の言う舷灯とは、ブリッジの左右に備えられた緑と赤の灯で、船の右舷と左舷を明示する。小柴は全艦にそれを点灯させたものの、他の2隻のものが確認できない。つまり、それだけ霧が深いというわけだ。
ただし互いに汽笛が聞こえているというこは、少なくとも周囲のどこかにいることになる。
はぐれてはいないものの、衝突の危険が付きまとう状況だ。
「どうしましょう?サーチライトも点灯してみますか?」
「やってみてもいいが、この濃い霧の中でどこまで効果あるか」
「しかし、少しでも自船の位置を示す行動をとらないと、最悪衝突しますよ」
「う~ん」
霧が調査船団を包んだ直後、小柴は危険を承知で全船に無線交信で停船と舷灯の点灯を命じた。2隻からも弱い信号ながら返信があり、汽笛が聞こえるのと合わせて至近距離にいるのは間違いない。しかし舷灯が見えないということは、霧の濃さが相当な物であることを示している。
それゆえに、下手な行動が衝突事故を産む。船自体が機関を停止して動かなくても、潮の流れによってその位置は絶えず変化する。だから波に運ばれているうちに衝突なんて事態も、確率は低いが十分あり得る。
「よし、サーチライト点灯だ・・・やれやれ、「ちくご」や「つるぎ」の電探が羨ましいな」
「泰北丸」と「高城丸」は電探を搭載しておらず、電波による周辺海域の捜索が行えない。残る駆逐艦「山波」は電探を装備していたが、帝国海軍時代の22号電探で、性能的には米軍のそれより遅れていると、同艦の小郡艦長から聞いていた。
一方、戦後の時代からやってきた。しかも米軍からの供与艦艇である「ちくご」と「つるぎ」に搭載された米国製の電探を、小柴も見学する機会があったが、日本のそれとは隔絶した性能に「こりゃ戦争にならんわ」と正直思った。
日本海軍が波形を読み取るAスコープの電探すら持て余していたのに、米軍は大戦中から対象物の位置と方位を容易に読み取れるPPIスコープを実用化していたという。しかも、精度や稼働率も日本のものより優秀だった。
同じく見学した帝国海軍出身者が「ソロモンでいきなり砲撃を受けた理由が今さらわかった」と悔しそうに言ったくらいだ。
戦場で大いに役立ったという電探だったが、小柴ら商船乗りにとってもそれは有用だった。特に夜間や今回のような霧の中、嵐の中など視界が妨げられる環境で起こるであろう衝突事故を未然に防ぐのに、大いに役立つであろうことは想像に難くない。
だがいくら言っても無い物ねだりである。日本国ではフリーランドの電子機器メーカーに依頼して、質の良い電探の製造を急いでいたが、それはまだAスコープのタイプで、しかも完成しても艦艇への装備を優先すると聞いていた。
(ある程度は商船にも融通してもらわんとかなわんな)
船団を母体にするだけに、日本国海軍内部では制度上は海軍軍人出身者も商船出身者も差別しないという風に改められている。しかしながら、現実はやはり正面から戦闘を行う艦艇の方が優遇されがちだった。
小柴自身は日本国に加わって日は短いが、そうした不満は先にこの世界にやって来た商船乗りの仲間たちからも聞いている。
彼は電探の商船への配備促進を帰ったら意見具申しようと心の中で誓う。
それから数時間、濃い霧の中で緊張を強いられた小柴達であったが、ようやっと風が吹き始めて霧が晴れ始めた。
「右舷前方に「山波」確認」
「左舷後方に「高城丸」確認」
程なくして、行方不明になっていた2隻を確認した旨の報告が入る。やはり2隻とも至近距離にいた。衝突事故を起こさなかったのは本当に幸いで、小柴も冷や汗を掻きっ放しだった。
「やれやれ。しかし、これで航行を再開できるな」
小柴はやれやれと安堵の息を吐く。間もなく、はぐれていた2隻が接近し、再び3隻の船団は北上を開始した。
その後も、数度の厚い霧による妨害や、高い波浪による給油困難など、船団は北洋の海象に苦しめられたが、それでも7日後には本来であればアリューシャン列島が存在する海域に到達することが出来た。そしてそこで、彼らは新たな島を発見する。
「間違いなく島だ。それもデカイな」
「この付近はフリーランドやメカルクも把握していない海域です。海図に載っていない島。つまり、我々が一番乗りですよ!」
一等運転士が興奮した様子で話す。地球では既に人類は海も陸も踏破した感が強かったが、この世界ではまだ未知の海域や地域も多い。新発見と言う事実が、彼を興奮させたのだろう。
「一番乗りかはわからんぞ。マシャナが既にいるかもしれんし、そうでなくても原住民がいるかもしれんぞ」
敵がいるかもしれない。それを思い出し、一等航海士の表情が引き締まる。彼とてあの過酷な大東亜戦争、そしてその末期の対ソ戦に身を置いた人間である。
「ま、調べてみんとわからんがな。幸い、今は波も穏やかだし、海上もある程度見通しが効く」
北洋ゆえに、霧はある程度出ているが先日ほど濃くなく、前後の2隻もしっかりと確認できた。
「島から3海里の地点に停泊し、調査班と水上機を降ろそう」
「了解です」
小柴は新発見の島を調べるべく、早速調査班を向かわせることにした。
3時間後、「泰北丸」と「山波」から内火艇と水上機が降ろされ、島の調査のために発進した。
水上機は「泰北丸」の後部甲板に搭載されてきた零式水上偵察機で、デリックで海面に降ろされると、派遣された海軍のパイロットが乗り込んで発進した。
水上機は空中から島の全体像を掴むとともに、脅威となる敵が存在しないかを確認する。
一方2隻の内火艇は3隻が停泊した地点を中心に調査活動を行う。この内「山波」から発進した艇には、小銃と軽機関銃で武装し編成された陸戦隊員が乗り込み、調査班を援護する。
水上機は急な天候の変化に警戒しつつ、高度を徐々に上げて偵察活動を行いつつ、航空カメラで写真を撮影していく。
水上の2隻は周囲を警戒しつつ、まずは手近に上陸できる海岸がないか捜索した。その結果、船団から5海里地点に上陸に適する砂浜を発見した。早速上陸・・・ではなく、周囲の水深などの計測にかかる。不用意に接近して暗礁に座礁、或いは海流によって叩きつけられてはかなわない。
何をやるにしても、まずは足元を固めることが重要なのである。
それは彼らが出発した3隻の艦船の方でも同じであった。
「除去作業始め!」
指揮官の合図とともに、水兵や下級船員たちが、手にハンマーなどを手にして甲板へと出る。彼らはこれから、艦上に付着した氷を文字通り割って除去するのである。
既に外気温は氷点下になりつつあり、3隻の海面より上の船体や構造物には、被った海水がそのまま凍結してしまっていた。
この船体や上部構造物に付着した氷も、たかが氷と侮れない。甲板上に付着したそれは、当然ながら通行の妨げとなり、事故を誘発する。またそうでない場所に付着した氷も、船全体で考えると相当な重さとなり、復元性に悪影響を与える。
そのため、乗員は極寒の中でも定期的に除去することが求められる。もちろん、防寒服を着こんで命綱をした上でだ。万が一海中に落ちることがあれば、その冷たさにたちまち体温を奪われ、凍死はまぬがれない。文字通り命がけの作業なのである。
そんなこんなで、北の海に苦労させられている間に、あっという間に1日目は終了した。
幸いなことに3隻の艦上の氷の除去は事故もなく終了し、また派遣した調査班も発進した水上機も事故を起こすことなく、無事に戻ってきた。
調査班と水上機の乗員から直ちに報告が求められるとともに、撮影された写真が現像に回された。
それらから、この日の調査でわかったことは、まず島は周囲20kmほどの大きさで、南東部に小規模ながら湾があること。北西部に標高800m程の山があるが、それ以外は比較的緩やかな丘や平野部が多いこと。3隻が停泊する周辺に危険な暗礁や海流はないことなどである。
「よし、まずはこの湾が艦艇の停泊が可能な場所なのかを優先して確認し、可能ならここに停泊して拠点とし、島や島の周囲の調査を行おう」
「自分もそれがいいと思います」
調査班を率いた田原菊三中尉も小柴の考えに賛成し、2日目の計画が練られることとなった。
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