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プロローグ

 作者は毎年、普段書いている二次創作などとは別に、新人賞用に1本程度小説を書いていました。しかしながら、その新人賞がなくなってしまいましたので、この度その分のエネルギーを使ってなろうコン大賞に応募してみることにしました。どこまで出来るかわかりませんが、よろしくお願いします。

 トラ4032船団は、昭和18年11月15日に東京ならびに横須賀を出港した輸送船団である。この少し前に大本営が絶対国防圏を定め、その強化に着手したのに伴い、日本海軍もトラック島ならびにラバウルの各部隊と基地設備の強化を決定し、それに伴い編成されたのがこの船団であった。


 トラは東京発ラバウル行きを指す符号であり、4032は船団の編成順に割り振られた数字であった。


 同船団には途中の寄港予定地であるサイパン、トラック島、そして終点となるラバウル向けの武器弾薬、装備、燃料、補充兵員などが満載されており、加えて船団を構成する船もこの頃には貴重になっていた戦前型の輸送船や、特設艦船が多くを占めるなど、海軍の並々ならぬ期待を受けた船団であった。


 護衛艦には軽空母「瑞鷹」、「麗鳳」、重巡「蔵王」、軽巡「石狩」、駆逐艦「高月」、「山彦」、「天風(あまかぜ)」と海防艦3隻、駆潜艇1隻、特設砲艦「音無丸」の計12隻が付いていた。護衛を軽視したと言われた日本海軍にしては随分と重厚な護衛であったが、これはトラックやラバウルに向かう予定だった艦艇を、急遽船団護衛に加えたためであった。


 守られる輸送船はいずれも戦前製、もしくは戦前設計のまま開戦後に竣工した船団速力14ノットを可能とする高速船で、特設運送船「高城丸」、「黒伊丸」、「金沢丸」、「北城丸」特設航空機運搬艦「上谷丸」、海軍徴庸船「宝丸」、「卯月丸」、「東郷丸」、「杏丸」、「楓丸」。そして飛行甲板に航空機を満載した軽空母「駿鷹」の計11隻であった。


 船団の指揮を執るのは、予備役から召集され、この年64歳となっていた寺田光之助少将であった。彼は軽空母「駿鷹」に少将旗を翻し、船団の指揮を執った。


 この時期太平洋における米潜水艦の跳梁が激しくなっており、対潜能力に劣る日本海軍は苦戦を強いられ、艦艇や船舶に多大な被害を被りつつあった。その損害は無視できるものではなく、特に占領地から資源を運びこみ、或いは前線へ物資を補給する輸送船や油槽船(タンカー)の被害は、海軍艦艇の喪失に勝るほど深刻であった。


 だからこそ、帝国海軍はトラ4032船団にこれまでにない破格な護衛をつけると共に、構成する船も高速で潜水艦を撒くのを容易ならしめる船ばかりを集めた。


 この船団が予定通り到着すれば、現地部隊は豊富な補給物資を手にし、戦力を大幅に向上させること間違い無しであった。そう、到着すればだ。


 不幸なことに、その後トラ船団が到着する予定だった各地の状況が好転することはなかった。彼らは船団が積んでいた弾丸の一発、一粒の米、一滴のガソリンすら手にすることは適わなかったからだ。


 トラ4032船団はただの一隻も目的地、それどころか最初の寄港予定地であったサイパンにすら辿り着かなかった。既に米海軍は本土近海にすら潜水艦を配置し、日本本土を出入りする日本の艦船を待ち構えて襲撃していた。そして多くの艦船がその餌食になった。


 しかしながら、後に精査された米潜水艦の行動記録に、このトラ4032船団を襲撃したという記録は残っていない。彼らは、確かに船団の動きを掴んでいた。そう、掴んではいたのだ。船団を待ち構えるべく、三隻の潜水艦が司令部より通達された船団の予定針路上に待ち構え、必殺の魚雷をそのどてっ腹に撃ち込まんとしていた。


 だが、待てど暮らせど船団はやって来なかった。彼らはついに船団の姿を見ることはなく、肩透かしを喰らったのであった。


 帝国海軍では、船団が突如音信を絶ったことから不信感を抱いたものの、全艦が同時に沈められるなど考えられず、当初は何らかの通信状況の悪化により、一時的に無線通信が繋がらなくなっただけと考えた。


 しかし、船団が寄港する予定日になってもサイパンの港に現われなかったことで、ようやく事の異変に気付き、小笠原諸島各地から捜索のために航空機が発進し、さらに航路に近い場所にいた艦船にも捜索命令が出された。


 彼らは懸命になって船団を探した。パイロットや船員たちは目を皿にして、トラ船団の姿を大海原の中に見つけようとした。


 一週間に渡っての捜索が続けられたが、ついに船団の艦船は発見されなかった。ただの一隻もである。その代わりに、小笠原諸島南西百海里の海域に、海底火山の活動の兆候が発見された。


 最終的に、帝国海軍が下した結論は「トラ4032船団は、航行中直下で突如発生した海底火山の噴火に全艦が巻き込まれ、極めて短時間に全艦船が沈没した。救難信号がなかったのは、打つ暇もないほど短時間に沈没したか、噴火の影響で発信した電波が妨害されたため」であった。


 トラ4032船団の全滅は、帝国海軍上層部に巨大な鉄のハンマーで殴られたかのごとき、計り知れないほどの大きなショックを与えた。期待が大きかっただけに、失望も並みではなかった。


 船団と共に多量の物資が喪われたことで、日本海軍が計画した戦力増強は水泡に帰してしまい、この後日本の防衛網はズタズタに崩壊することとなる。


 そして大日本帝国は昭和20年8月15日に降伏し、トラ4032船団も戦争中に有り触れる悲劇の一つとして、人々から忘れ去られ、歴史の中に埋没して行った。


 そんなトラ4032船団がこの世界における歴史で再びクローズアップされるのは、終戦から7年後の昭和27年に、海上保安庁の観測船「第五海洋丸」が明神礁の噴火に巻き込まれて沈没した時である。


 明神礁の噴火で沈没したのは「第五海洋丸」だけであったが、トラ4032船団の場合は実に20隻以上の艦船が消え去り、おまけにその後の調査で破片の一つも回収されなかったことが判明し、日本中を驚愕させた。


 いくら戦時中とは言え、大規模な船団が消え去ったこの事件は、世を騒がせるには充分すぎる話題であった。トラ4032船団の事件に対する調査が遺族から望まれ、また多くの研究者がこの船団消滅事件の真相を解こうと躍起になった。


 この事件の真相は、21世紀に入っても判然としていない。海底火山の噴火説は有力であったが、20隻以上の艦船が一瞬で消え去った噴火があったことに疑問を呈する研究者も多く、かと言ってそれ以外の原因らしい原因もなかった。時折怪奇現象説も唱えられたが、これは世のお茶の間を騒がす以上の物ではなかった。


 トラ4032船団が一体どうなったのか、この世界で知ることの出来る者は、一人もいない。これまでも、そしてこれからも。

 

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