赤い玻璃の玉⑦ (最終話)
epilogue
「殺しと盗みの万屋」
「いいねー。ここも飽きたし、僕は賛成だよ」
「ここ、出るぞ」
「ほいな、兄さん」
そのような会話が交わされたのは、七年も後の話だ。その頃、星占師を失ったチト神国は既にシャドウ王国に滅ぼされていた。しかし彼等は、そんな事など興味は無い。あの日以来、ずっとサカイで暮らしてきたのだから。
海に面した崖の途中に洞窟があり、その洞窟に扉が一つ付いている。彼等はそこから出て、崖を上り、その先にある森に入る。何度かこっそり出た事はあったが、会話を聞いていた第三部隊、通称『抹殺部隊』という物騒極まりない奴等(彼等もそこに所属していたのだが)に聞かれていたために、紅い送別会を開く事となった。
夕日が沈む海は、木々に遮られてすぐに見えなくなった。
赤い足跡を残しながら、彼等は歩いていた。
突然、双子が足を止めて振り返る。その足元には黒く、ひし形に柄が付いたような変わったナイフが落ちている。
二本のそのナイフ……クナイは、桜羅と桜璃の手に拾われた。
「よお、部隊長」楽しそうな桜羅の声。
「ごっ機嫌いっかが」歌うように弾んだ桜璃の声。
その先に居るのは、まだ十になるかならないかという程の少年だ。……その、はずだ。見当たらないが。
「隠れなくてもいいじゃないか。何処に居るのか、分かってるんだ」
それでも、桜璃は確信を得ているかのようにそう言った。
細い手裏剣が、彼女の足元に刺さった。それを皮切りに、同じ物が雨のように降り注ぎ始めた。しかし、『避けろ』という言葉と簡単な仕草一つで、全て彼等とは無関係の方へと落ちる。
「氷牢の術」
こんどは高い少年の声とともに、双子が厚い氷に包まれた。木の上に隠れていた和哉は、それを完成させるとすぐに印を結び始める。しかし、透き通っていた氷が白く濁った。
「僕等、火の属性も持ってるんだよねー。二人で炎! あんな氷、すぐ溶かせるよ」
けたけたと笑いながら、桜璃が姿を現した。背後には桜羅。どう見ても、優勢なのは双子の方だ。彼等がクナイを構えた。一つずつしかない黒曜石の瞳が光る。
「あ、あーっ! ちょっと待てちょっと待て!」
大声で叫びながらやってきたのは、目立つ赤毛の少年。大柄なその少年は、黒の外套をなびかせながら全速力で走って来る。
「おい和哉! ボスが命令撤回するって言ったの、聞いてねぇのか? ――あんのおっさん、何考えてやがる」
和哉の居る木と、勢いを殺がれた双子の間に入った治樹は、顔を顰めながら手近な木に寄りかかった。
「命令の撤回? 僕等、あの子と殺り合いしてみたかったんだけどなー」
桜璃は心から残念そうな表情をしてみせる。桜羅は無表情。クナイの柄の先に付いた輪に指をかけ、くるくると回していた。
「おいおい、ここは狂人しか居ねぇのか?」
治樹はわしゃわしゃと頭を掻きながら言う。そのまま双子に向き直った。
「えーっと、だな。ボスは、アンタ等がうちに情報流してくれるなら、好きにしていいって言ってた」
「ふぅん。随分あっさりしてるんだね。てっきりその子にずっと追いまわされるんだと思ってたよ」
ちらりと木から飛び降りてきた和哉を一瞥して、桜璃は桜羅を振り返った。
「だってよ? どうする?」
「適当に流してやるさ」
桜羅は面倒そうに即答した。そのまま、くるりと背を向けて歩き出す。その背中にも聞こえるよう、治樹は口元に手を当てる。
「よーし、これで交渉成立。情報は情報屋の銀に伝えてくれ」
「銀?」桜羅を追おうとしていた桜璃が立ち止まった。
「おう。ボスはシャドウ王宮辺りの情報が欲しいらしいってことも、ついでに伝えとく」
銀が彼等の兄だということを知っていながら、彼は知らないかのようにさらりと話を変える。しかし、桜璃はそれを気にする事は無かった。兄弟愛なんぞはとうに消え去っている。銀が、彼女等を殺そうと呪文を唱えたその時から。
「分かったよ。王太子の兄ちゃんから、適当に書類盗んで渡す。じゃあね、赤い子」
ボスの言ったとおり、いや、それから治樹が想像していたよりも簡単に話は進む。
(大丈夫か? アイツ等、嘘ついてるんじゃ……)
『悪魔は約束を守る。大丈夫さ。帰っておいで、和哉、治樹』
耳につけていたイヤホンから、紫の瞳を持つ者の声が聞こえてくる。
「一回裏切られといて、何言ってやがる」
『裏切るも何も、前は何の約束もしてなかったんだ。奴等が勝手に居座っただけ。ちょっと利用もさせてもらったが』
「いや、ガッツリの間違いだろ?」
『細かい事を気にしていると禿げるぞ。いいから早く帰って来い』
それっきり、声は途絶えた。治樹は舌打ちして、和哉に帰るよう促す。彼がどこかに消えると、治樹も元来た道を、赤い道を辿り始めた。
蒼い月に照らされる森に残ったのは、痛んだ黒いローブに身を包んだ白骨。きちんとヒトの形をしたソレ、
――殺しゃしねぇよ。
鎌を担いだソレは、不自然なほど静かに双子の後をついて行く。
――最近ヒマでね。
魂を狩るためだけに生まれたソレは、
――生物観察、さ。
全ての上に立つ死の神は、カタカタと笑った。
これはほんの、オマケの話。魔界を狂わせた事件の裏に、密かに存在していた悪魔の話。
そして、それを見て楽しむ死神の話。
魔界を狂わせた妖怪はやがて、『神の娘』里咲とその仲間、『異端の守護者』蒼雷良哉や『見守る者』レーカ・パシリック・ド・シャドウ、テンションが高いだけの一般人、紅ルジェスなどに討たれることとなる。しかしそれは、5年程後の話。
その間も後も、彼等はその手を、指揮棒を、鮮やかな血の色へと染めて行く。
いつか、自身の色で染まるまで。