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現し世の華  作者: 眞乃鋳
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第六話 彼女の言葉 彼の誓い

「許してね蒼雪。亜矢を止めたのは私なの」

 畳と着物がわずかにこすり合わさる音。

まず手前にいた抱月の傍を通り、その際やさしく微笑む。

「大丈夫、何も心配ないわ。桜夜は私の式神にここまで運ばせたから」

 その後彼女が見据えたのは、無表情のまま動かない蒼雪の顔。

「血だらけだったわ、桜夜。しばらくは安静にしていないと」

 それほど強い口調ではなかったが、耳の奥へ焼きつくような声だった。

「何をしに来たのかと思えば……俺のしてることが、間違いだとでも言うつもりかい」

「あと少しでも遅かったら死んでいたわ。あんなの酷すぎるじゃない。獣人の子だって、怪我の手当てもせずに調査室へ連れて行ったでしょう」

 仕方無さそうに肩をすくめて、蒼雪は刀を鞘へ納めた。

「わかったよ、君がそう言うのならここは下がろう。きっと俺が馬鹿だったんだ」

 彼はそのまま振り向かずに去った。見つめる千香を無視するかのように。

「たまにね、怖くなるの。彼が考えていることがよくわからなくて」

 姿が見えなくなるのを見計らってから、千香は困惑の表情をつくる。 

 悲しそうに揺れる瞳。儚くも美しい。

そうだ、こんなにも美しい人なのに。千香を困らせて、兄は何が楽しいのだろうか。

「すみません、いつも迷惑をかけてしまって」

「いいのよ。ちょっと自分勝手なところもあるけど、本当はやさしい人だもの。それよりも、気になっているでしょう。案内するわ、音羽ちゃんのところへ」

「なんで名前を」

「桜夜ね、ずっとうわ言で音羽ちゃんの名前を呼んでたの。それより驚いたわ。まさか抱月があんなに可愛い女の子を連れてくるなんて」

「いや、あの娘は偶然なんだ。本当に偶然、最初は人間かと思って。だから、間違って助けたというか」

 開いた口が塞がらなくなりそうになったが、どうにか平静を装って言い返した。

「まあいいじゃない、相手が獣人だって。大切なのは中身でしょ。亜矢、抱月を音羽ちゃんの所へ案内してあげて。私は桜夜の治療をもう少し続けないと」

「はい、お任せください。では抱月様こちらへ」

 自分よりも小さな二人だが、囲まれるとなんだか妙に威圧感がある。低いのに、乗り越えることが出来ない壁のような感じだ。

「亜矢、場所だけ教えてもらえば自分で」

「いいえ、私が責任持って案内させていただきます。さあこちらへどうぞ」

 亜矢のあとに続いて、ぎこちなく歩き出す。

しかし抱月の中にあるのは、単に照れくさいという気持ちだけではなかった。

 これからあっという間に音羽の噂は広まるだろう。千香のように見方してくれる者も、あるいはいるかもしれない。

 しかしこの都に住むものは、基本的に新生種を「敵」とみなしている。

たとえ外見が少女でも、たしかにあの娘の体には新生種の血が流れているのだ。

 獣人狩りで死んだ陰陽師の仲間を思えば──敵討ちだといって、音羽を殺しにくる者もいるかもしれない。

 一方で、このまま皆にすんなりと受け入れてもらえそうな予感もしていた。 

 音羽の背丈は調度、亜矢と同じくらいだ。おそらく年齢もさほど変わらないだろう。本当に、見た目の上では何の問題もない。

 それにこれから色々と都の決まりごとを教えて、適応させれば。

もう少し欲を言えば、亜矢を始めとする他の子ども達とも一緒に遊んで、いつか沢山笑ってくれるようになれば。 

 都合の良い話なのはわかりきっている。だが、心のどこかでそんなことを考える自分がいた。 

「この部屋です。おそらくまだ眠っていると」

 待ちきれず、亜矢の言葉が終わらないうちに障子の向こうへ歩みを進めていた。

布団の上に座っていた少女が、くるりとこちらを向いた。

「ほうげつ!」

 目が合った瞬間、彼女は間違いなく笑顔になった。

音羽、と呼び返し隣に座る。そこで自分の腹に血がにじんでいるのを思い出し、とっさに袖で隠す。

「そうか、言葉が話せるのか」

確かめるように、彼女の頭を撫でる。

「おとは だいじょうぶ だよ」

「うん、無事で良かった」

「ほうげつ ちの においが する」

「大丈夫、何ともないよ。亜矢、少し音羽の相手をしてやってくれないか。着替えてくるから」

「わかりました。でもなるべく早く帰ってきてくださいよ。音羽ちゃんは抱月様が本命のようですから」

 なぜ自分の顔を見て、亜矢はそんなに笑うのだろうか。

首筋を掻きながら、抱月は足早に自宅へと向かった。

                    *  *  *

 橙のともしびが、手のひらに浮かぶ。

傍らに横たわる桜夜の胸の辺りに、そっと落とす。橙は徐々に広がって、薄く体全体を包み込んだ。それからゆっくり溶けて染み渡るように消えた。

「いつ見ても美しい術だね」

 雨の音に混ざって、小さな声がした。

先ほどとは打って変わって、温かくて心地よい声色。

「千香、まだ怒ってるのかい」

 しばらくこのまま返事をしないのも良いかもしれない。

なんだか、この温度を壊したくなかった。細い隙間まで、すべてを埋めてくれるような深い蒼色の声。穏やかな気持ちにしてくれる温度。

 何も言わなければ口論は起こらないのだ。

自分の気持ちをぶつければ、同じだけ相手の気持ちもぶつかってくる。

この心地良い温度を壊したくない。そうするには何も言わないのが一番だ。

「でも、そうね。怒ってないといえば嘘になるわ。あなたの殺気、少し離れた部屋にいた私にも伝わってきた。私まで殺されてしまいそうだった」

「ごめん。それは謝る。でも新生種のことになると、自分でも抑制が効かなくてね」

 間もなく蒼雪が隣に寄り添って来る。

なんだか無性に緊張して、千香は当てもなく視線をあちこちに巡らせた。だがすぐに、ぴたりと目があってしまった。

「わかってる。あなたはたった一人で抱月の面倒も良く見たし、仕事だってちゃんとこなしている。お父様もお母様も、きっとあなたのことを誇りに思ってるはずよ」

「さあね。昔は陰陽師って悪霊退治や魔よけも得意だったらしいけど。死んだ人の気持ちなんて、本当は誰にもわからないさ。俺だってとりあえずそういう力はあるけど、死後の世界についてはわからない。時折夢に出てくるのは、無言でたたずむ二人の姿。じっと見てくるんだ。恨んでいるのか、悲しんでいるのかよくわからない。それにあんな両親……最初からいないほうがましだったかもしれない」

「でも最初からいなかったら、あなたは生まれてこなかったわ。それに、新生種に対して攻撃的になってしまうのは、死んだお二人の敵討ちのためでしょう」

 視線をそらして遠くを見た彼の横顔。

動かない表情がいつになく苦しそうにも見える。

「最近わからないんだ。昔は敵討ちのためだったのかもしれない。けれど今じゃ仕事のためなら、ああして兄弟にだって平気で刃を向けられるんだ。両親のことなんて──良い思い出も特になかったし」

「そういえば、聴かせてもらったことないわ。死んだとしか教えられていないもの。もっとも、それについては話したくないのでしょうけれど」

「じゃあ、今日は特別に教えよう。何年前になるかな……ある日突然家に帰ってこなくなったんだ。後日役人から、二人が新生種に殺されたと唐突に聞かされて。死体も見つからなかったなあ」

 その苦笑いの底に潜む気持ちを、自分が汲み取ってやりたいと思った。

蒼雪がたまにしてくれる過去の話をきくと、いつも歯がゆい気持ちになる。もっと本当の気持ちが知りたい。

「なんでそんなに悲しそうな顔するんだい。馬鹿だな、俺は悲しくなんかないよ。今はこうして隣に君がいてくれるんだから」

 声が震えて、千香は何も言うことができなかった。

わずかに頷いてみせたが、果たして彼が気づいたかどうかはわからない。

「桜夜のこと、ちゃんと治してやって。回復術を使わせたら、君の右に出る人はいないからね。それから、今のうちにこれだけは言っておく」

自然と重ね合わせた手のひら。少し痛いくらいに蒼雪が力を込めてくる。

「いつでも君を信じてる。俺の気持ちはずっと変わらないから。誓うよ」

 確かなものを感じた。彼の目に、確かな光を。今度はしっかり頷くことが出来た。

 しかしどうしても訊けなかった。

(なぜ“今のうちに”言っておかなくてはならないの?)

これだけがどうしても。 


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