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現し世の華  作者: 眞乃鋳
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第四話 青い炎

 蒼雪の後を追って、大通りから細い道へ曲がった瞬間。

背後に気配を感じる間もなく、誰かに右腕を取られそのまま引き寄せられた。

「亜矢。君の家はこっちじゃないだろう。どこへ行くつもりだい」

恐る恐る首を巡らせると、案の定そこには蒼雪の姿があった。

「申し訳……」

「そうだ。罰として、君にはちょっと用事を頼もう」

 怒っているのか、それとも単なる戯れなのか。

微笑を浮かべる彼の顔からは、一切その言葉の意味するところを悟ることはできない。

「俺の弓、どこに保管してあるのか知ってるだろ。それを持っておいで」

「蒼雪様、何をなさるおつもりですか」

「知りたいかい」

 そこではっとした。

彼の目が、いつになく楽しそうに見えたからだ。背中に一筋、冷たいものが走る。

昔、一度だけ獣人狩りに連れて行ってもらったことがあった。その時見上げた彼の横顔。瞳が狂おしいほどの喜びに満ち溢れていたのを思い出す。

「今から狩りを?」

 自分の言葉がきちんと声になっているのか、それすらわからなかった。

なんだか遠のいて行く。何もかも、地面に立っていることさえも。

 刹那頭に浮かんだのは、頬を獣人の血でどす黒く染めた蒼雪の顔。それはだんだん、目の前の彼の顔と重なる。

戦慄を覚えた。血まみれの彼の笑顔に刺される自分の心臓。これ以上はもう口を開いて何か言葉を発するのは無理だ。

「さあ、早く持っておいで」

 静かでやわらかく、一つ一つの単語が雪のように耳へと降りてくる。決してせかすような口調ではない。

 しかし亜矢は一種の焦りを感じた。そう、一秒でも速く──右手が離された瞬間、誰かに思い切り突き飛ばされたかのように走り出した。

 後ろは決して振り向かなかった。化け物からでも逃げるような気持ちだったからだ。

 喉はいつの間にかカラカラに渇いている。しかし走り続けた。いつまでも背中にまとわりついて離れない、紅い恐怖から逃れるように。

                   *  *  *

「じゃあ行って来るけど、本当に一人で大丈夫か」

 そこで言わなければ良かったと、抱月は少し後悔した。

「おいおい、あたしってそんなに弱そうなのか。それとも、これ以上でしゃばるなって釘を刺したいのか。やっぱりお前も男尊女卑なんだな」

 あからさまに頬を膨らました桜夜の顔。

彼女の完全に強気な態度で、後悔の気持ちは少しどころではなくなってきた。だが心配なものは心配なのだ。

「お前はただ南門へ行って、戻り印を押してくるだけだろ。何でそんなに心配するんだよ」

「しかし、その間にもし音羽がまた暴走でもしたらどうするんだ。一人で止められるのか」

「だってあれは血を見たからびっくりしただけだろ。な、音羽」

 だが桜夜の傍で腰をおろす音羽は、一体この人は何を喋っているのだろう、という顔で首をかしげるだけだった。

「まったく厄介だよな、あの掟は。いや、最初からお前が判子を押して入ってきたら良かったんだよ」 

「そんなこと言われても……忘れたものはしょうがないだろ」

 掟として、狩に行くときに門で一度通過記録書に自分の判子を押すことになっている。

この都には東西南北、四つの門がある。だが都に帰って来たときは、出た時と同じ門から入らなければならない。

 抱月は今日、南門から狩に出た。そのため音羽を連れて帰って来たときも、ついいつもの癖で南門から入ってきてしまった。しかし肝心の印を押し忘れたのだ。

「じゃあ、俺がいない間もし誰か来ても、頼むから喧嘩を吹っかけるのだけはやめてくれよ」

「わかってるよ。ほら、さっさと行ってこい。早くしないと門番もろとも上の奴に怒られるぞ。あたしが気付いてよかったな」

 桜夜はいつも人を思いやるように笑う。たとえ自分が損をするとわかっていても、結局人のためになるのならそれでいいのだと言っていた。

今だって、ささいなことではあるが、こうして抱月が怒られるかもしれないという事を心配してくれている。

その度に抱月は、彼女が親友でよかったと心の底から安心できるのだ。

自分にとって桜夜は頼れる存在だ。桜夜は自分を頼ってくれているのかは良くわからないが、そうであろうと願いたい。

「本当に、気をつけるんだぞ」

この時わずかに抱いていた、そこはかとなく湧き上がる嫌な予感。抱月は無意識のうちに、それを無理矢理押し殺してしまっていた。

自分の気にしすぎなのかもしれない、と。

 外へ出ると、先ほどまではなかった雲が月を覆い始めていた。

                   *  *  *

 肩に小さく重みが乗った。

何事かと思い振り向くと、肩には音羽の手が置かれていた。その手の先の爪は、鋭く伸びている。

「爪切ろうか。やすりで削った方がいいかな」

 微笑みかけると、音羽はそれを真似ているつもりなのか口の端をゆるく吊り上げる。

そこで桜夜はピンと来る。これはもしかして。

「音羽、わかるか? お、と、は。言ってみな。自分の名前だよ」

 なんとか言葉を発してくれないかと期待を込めつつ、しばらく大げさに口を動かしてみる。しかしそう上手く行くはずもなく、音羽は首をかしげるばかり。

「うーん、やっぱりだめなのかな。でも口の形も喉も古代種と一緒だし、発音も普通にできると思うんだけど」

 いつの間にか爪を切るのも忘れ、音羽を座らせそれに向かい合う。何でも良いから、とにかく言葉を教えたくなったのだ。

「じゃあそうだな。ほうげつ。ほ、う、げ、つ!」

 もう何十回以上同じことの繰り返しだった。やはり言葉を話すまでの能力はないのだろうか。また首をかしげられるのかとあきらめかけた。

「ほ……れ、う?」

「今、喋った、よな。やった、喋った! ほうげつ、だよ。お前を拾ってきた奴の名前だ」

「ほお、げつ」

 本当に小さくて、頼りない声だった。しかし、確実に前に進んでいる。

「しかし、自分の名前よりも先に抱月の名前呼ぶなんて。あいつ喜ぶかな」

 桜夜が笑うと、音羽も真似をして笑う。まるで妹が出来たような気分だった。

だが、そうしてすっかり和んでしまったのがいけなかったのかもしれない。

「こんばんは。ちょっとお邪魔するよ」

 障子の向こうから聞こえてきた声。気配は今まで全くなかった。いや、自分が油断していたのだ。

「誰だ」

 急いで障子の方を向き立ち上がった。間もなく、殺気が伝わってくる。

障子が少し開いて、鋭い空気が部屋に流れ込んで来た。同時に、声の主が良く見知った人物であることに驚く。

「蒼雪、様。なんの用でしょう」

「そんなに怒らないで。いつもの物を持ってきただけだよ」

 彼は手に持っている巾着袋を持ち上げて見せた。その中にはぎっしりと金が詰まっているのだろう。

「またですか。そんなのもはいらないと、何度も申し上げたはずですが」

「そうはいかないよ。上からの命令なんだし、何よりこれは君の給料だ。西側を女一人で守ってくれているんだから」

「嫌みですか。挑発には乗りませんよ」

「まさか。俺は君を立派だと思ってるよ。両親が死んだにもかかわらず、周囲の反対を押し切って西側の領主の座を守り抜いた。男女の差別にも負けなかったしね。だからこうして陰陽寮から毎月給料が出てるんだよ。もちろん、一生分の生活費も保証されるし」

「知ってますよ。影じゃ皆噂してる。金はいくらでもくれてやるんだから、さっさとやめてしまえば良いのに、とね」

「まあ、君が何を考え、何を思うのかに口出しするつもりはないよ。俺はただ仕事をするだけだ。それより、一つきいてもいいかな」

 蒼雪は穏やかな声と涼しげな笑顔を崩すことなく、鋭い眼で桜夜の背後の少女をとらえた。

「それ、新生種と認識して間違い無さそうだね。今、亜矢に弓を取ってくるよう頼んだんだけど、なかなか戻ってこなくて。武器はないんだけど、これも仕事だから」

 彼の回りの「気」が集中していくのがわかる。

「蒼雪様、違うんです。この子は」

「おかしな話だね。桜夜、君の両親は新生種に殺されたんだろ。領主の座を守ったのも、君が自ら狩りに出るのも、復讐のためと言ってなかったかい。なのになぜかばうんだ」

すべて、音羽に向けられた殺気。小さな針が、一本ずつ確実に刺さっていく。

「それは、抱月が」

 言いかけて、そのまま口をつぐんだ。庭の木の葉がざわつき始めたのに気付いたからだ。さっきまで風は吹いていなかった。いや、今も吹いていない。蒼雪が自らの意思で風を起こしているのだ。

 そして彼の「気」が高まるのに呼応するかのように、風に乗って木から沢山の葉が舞い降りる。風と葉が竜巻のようになって、大きく膨れ上がり吹き荒れる。

 障子が吹き飛び、壁が揺れてはがれ、畳の目がぶちぶちと千切れだした。

「火を使うのは得意じゃないんだけどね」

次第に風が青く染まり、木の葉を巻き込んで炎を生み出す。

 無理だ。

彼の術を止められる者がこの都にいるだろうか。あるいはいたとしても、まず自分ではないということなどわかりきっている。

「抱月に、喧嘩を吹っかけちゃ駄目だって言われたもんな」

 状況を飲み込めず、不安そうに見つめてくる音羽。安心させようと、桜夜は出来るだけ穏やかに笑った。そして音羽をかばうように抱きしめる。


 炎の渦が部屋ごと二人を飲み込んだ瞬間。

青い炎をじっと見つめながら、蒼雪は一人楽しそうに笑っていた。

 


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