第一話 廃墟と彼岸花
廃墟の街に、一匹の蝶々がふらふらと飛んで行ってしまった。
そこは周りを壁に囲われてはいるが、もっと高いビルの残骸がこちらを無言でのぞいている。
それだけでもう、中がどういう状態であるのかが容易に理解できた。
大きな灰色に彩られたその街には、昔から出入りを禁じられている。
「もうこんなところまで来てしまったか」
抱月は不快そうな声でつぶやく。
幼い頃は都から遥か彼方に見えたその「街」が、今目の前にある。
今でも、見ていると重く剣呑な気分に襲われるくらいだ。
言われなくても、こんなところに入ってやろうなどという好奇心なんて湧くものか。金を払われても来たくない。
だがふらふらと辺りを散策しているうちに、いつの間にか自分の前にこの街が姿を現したのだった。
そこで広く続く荒れた大地を振り返る。
すると、帰ろうと決意して歩きだした抱月の視界の隅に、一瞬不自然なものがうつった。
右手に広がる目も眩むような紅い花畑。見るとその中で、二本足で立つ犬のような頭をした獣が人を襲っている。
「やはり獣人か」
ためらうことなく刀を抜き走り出した。獣人と彼の距離は約三十メートル。
逃げ回るだけの人間を、獣人は鋭い爪で引き裂こうと追い回している。人間の方はもはや弱りきっていて、攻撃をかわすので精一杯のようだ。
このままでは間に合わないと判断した彼は、懐から一枚の紙を取り出した。
鳥の形をしたその紙を勢いよく放ると、吸い込まれるように獣人へと飛んでいく。
切り裂いたのは両目。
獣人が奇声を発し、鋭い爪が生えた手で顔を覆う。
溢れ出した泥のような血がその隙間から漏れ、彼岸花にぼたりぼたりと重たい色を乗せた。
その間に彼は背後へ回りこんで、首の付け根に刀を突き立てる。
獣人は、ぐぅと一声鳴くと花畑の中に倒れ込んだ。直後、その体は酸が溶けるような音を立てて消え失せる。
そして間もなく、頭があった辺りから小さな一輪の花が咲いた。
真紅の彼岸花。
死ぬとこの姿になることから、獣人の生まれ変わりとも言われている。
彼岸花が咲き乱れるこの辺りは、いわば墓地にもあたるのだろう。
それをまるで取り付かれたように一心に見届けた後、抱月は思い出したように辺りを見渡した。
獣人に気をとられ、すっかり忘れていた。先ほどまで襲われて逃げ回っていた者の事を。
「大丈夫か?」
近くで仰向けになって倒れている娘を見つける。
抱月は刀を鞘に納めると、側に腰をおろして顔を覗き込んだ。年の頃はおよそ十五、六だろうか。
呼びかけに気付いたのか、彼女はうっすらと目を開けた。
花と同じ色の赤が、抱月の目をじっと見つめてきた。それは、獣人であることを示す色だ。
(この娘も──目の色以外は、人間とほとんど変わらないのに)
そうとなれば、殺さなくてはならない。
獣人にも色々な種類のものがいる。
先ほどのような獣に近い形のものから、人間の姿に限りなく近いものまで。
この獣人は後者の方でおまけにまだ子どもだが、成長すればそのうち間違いなく都を襲ってくるようになるだろう。今は荒れた大地を苦労して復興させている最中だ。こちらとしては少しでも敵を減らしたいところ。
素早く鞘に手をかざす。しかし。
まるで相談を持ちかけるように、抱月は純白に染まっている刀の鞘を見つめた。そして首筋をかきながら考え込む。
「獣人が、獣人を襲っていたというのか」
視線を戻すと、娘は安心したように抱月の膝に頭を預けて寝息をたてていた。
どうやら酷く疲労しているらしく、目の下にはうっすらと隈が出来ている。
しかも、少女の髪が思ったよりぼさぼさなことに気付く。
なんだかそれらすべてが哀れに思えて、無意識のうちに彼女の頭を撫でていた。何度かそうしてやると、いくらか髪の毛も整ってきた。
ふと思い立って、後頭部で一つに結っていた自分の長い黒髪をほどく。その白い髪結いの紐を使い、少女の肩まである髪をそっと一つに束ねた。
まるで巫女のように安らかな顔をしている。
だがそれでもまだ砂まみれなので、今すぐこの娘を頭から池に浸からせ、ごしごしと洗ってやりたくなる衝動に駆られた。
「さて、どうしようか」
日が沈めば、この辺りにももっと沢山の獣人が徘徊しだす。
気を失っているこの小さな獣人を放っておけば、どうなるのかは解りきっていた。
しかし都へ連れ帰れば、一体どんなことになるだろう。
そういう後ろめたい気持ちはあったが、抱月は少女を軽々と抱きかかえると、意を決したように歩き出した。
久しぶりの連載モノです。
上手く書き上げられるか不安ですが、どうぞお付き合い願います☆