第十三話 暗雲
「なぜ俺がここにいるのかって、聞きたいんだろ?」
目の前の男が、こちらに向き直りつつ笑いかけてくる。
その作られたような彼の表情は、思わずぞっとするほど美しい。
「君は言葉を理解して話すことが出来るようになったからね。俺は本来手荒なことはしたくないと思ってる。なるべく穏便にことを進めたいんだよ。だから、少し話をさせてくれないかな」
「私を、殺そうとした人」
やっとのことで声が出てくれた。
かつてないほどの緊張感と戦いながら、音羽は蒼雪を睨み付ける。
「初めはただの獣人だと思ったからね。だけど君には、他の獣人とは違う何かを感じていた。そうしたら、思った通り大陸から指令があってねぇ。逃げ出したサンプルと完成品を捕まえてほしいって」
「サン、プル?」
聞きなれない響きの言葉に違和感を覚えた。
「俺も一応この都の人間だ。大陸の奴らはあまり好きじゃない。だから君をここへ連れてくるように言ったんだ。君だって、わけがわからないまま連れて行かれるのは困るだろ」
「私を、どこかに連れて行くの」
「だから、君は完成品なんだ」
何かを言わなくてはと考えているうちに、彼の言葉で頭の中が埋まっていく。
自分の気持ちが押しつぶされて消えていく代わりに、違和感はどんどん膨らんでいく。
ほとんど蒼雪と目を合わせることすら出来ず、うつむき涙が溢れそうになるのを必死にこらえている自分がいた。
「ごめんごめん、じゃあ君にもわかるように説明しようか。音羽ちゃん、君はこの都に来る以前の記憶があるかい?」
彼の口調が和らぎ、いくらか安堵感を覚える。同時に、緊張が少しずつ薄れていく。
この男は「今は」自分を殺そうとしていないようだ。少しは信用してもいいかも知れないと思った。
「私はお母さんと一緒にいました。だけどお母さんは殺されて、抱月が来て」
「じゃあ、それよりもっと前の記憶は?」
その瞬間、開かない扉があることに気がついた。
自分の中にある記憶は、抱月に助けられる前後から始まっている。
言葉を覚えてからの日々は鮮明だが、「お母さん」という存在と一緒にいた頃のことが浮かんでこない。
「俺は自分の立場を考えて行動しなきゃいけないからさ。だから、悪いけど君を大陸へ連れていくことになる。覚醒したばかりでまだ何もわからないだろうけど……君が完成したことで、千の一族が滅びるという未来が決まったんだ」
「一族が、滅びる?」
* * *
最後の一人に刀を突き刺し、その腹部から刀を引き抜く。
間もなく刺した部分が凍りつき、敵は一声もあげずに絶命した。
すでに体内へ浸透しているらしく、倒れた瞬間ごとりと鈍い音がした。
これが抱月の能力。刀で刺した部分から体内に侵入し、相手を内側から凍らせて殺すことができる。
刀を鞘に納めた直後、首筋に痛みが走る。
この頃妖の力を使っていなかったので、しばらく忘れていた。
おそるおそる右耳の下の辺りを押さえる。普段は使わないようにしている妖の力を使ったのは、そうしなければこちらが殺されかねないと判断したからだ。
四つの死体を眺める。なぜ音羽一人に、四人も向かわせる必要があるのだろうか。
近付いて、一人の面を剥いだ。
その見開かれた瞳を見て、抱月は驚愕する。
すでに光を失ってはいるものの、その色は確かに新生種であるということを示していた。
慌ててもう一体を確認しようと顔を上げると、目の前に三つの彼岸花が咲いていた。
「獣人が、どうして……」
梓紗は確かに彼らのことを「隠密隊」と呼んでいた。陰陽組織の内部の者であることは間違いない。そしてその目的が音羽であったことも疑いようが無い。
しかし、彼らは間違いなく新生種だ。
「やっぱりお前か、抱月」
遠くから聞こえてきた声で我に返る。
「桜夜……」
「こんなところで何してんだ。お前、妖の力を使ったよな」
遠慮なく抱月の髪がつかまれ、桜夜の方に引き寄せられた。
覗き込んだ彼女の目には、きっと青い三日月の痣が映ったに違いない。
「抱月、痛みがいつもより酷いんじゃないか」
「何で」
「だってこれ、もう三日月じゃないぞ」
力が抜けたように手を放し、桜夜が珍しく不安げな顔をした。
「月が満ちようとしている」
抱月は幼い頃から、妖の力を使いこなすための訓練を受けていた。
陰陽寮の幹部を親に持った子どもは、生まれたときから跡を継ぐという役目を与えられているからだ。
陰陽師として、新生種から都を守るのは大切なことだと教えられてきた。
妖の力を使った後、首筋に痛みを覚えるようになったのは、訓練が始まって一年も経たないうちだった。
“桜夜はおろか、兄の方より実力があるかもしれない”
──期待に答えようと必死だった。
「そういや、お前のその痣を発見したのもあたしだったな。もう十年以上前の事だけど。たしかにあの時は三日月だったのに」
どこか悔しそうな顔をして、桜夜が腕組みをする。
「最後に力を使ったのは半年前だ。その時はなんとも無かった。大丈夫だから、気にするな。それより、梓紗に音羽を預けているんだ。探しに行かないと」
「何!? あの不良が音羽ちゃんを。いくら非常時だからって、あんなのと一緒に行動させたら音羽ちゃんに悪影響が」
「待て、お前の方こそ傷はもういいのか」
案の定、目の色を変えて走り出そうとした桜夜の襟を、抱月は慌ててつかんだ。
「駄目だったら、出てくるわけ無いだろ」
「それならいいけど」
手を放すと、桜夜は襟を正しながら嫌味っぽい口調で言う。
「しかし、抱月はよくも飽きずに人の心配ばかりできるよな。……そうか。痛さのあまり気絶するまで、痣のことを誰にも相談できないような内気な性格だからか」
「うるさいな。そんな大昔のことを」
「いいか、一人で何でもしようとするんじゃないぞ。あたしにも協力させてくれ」
「今回のことは──簡単には終わらないぞ」
「だろうな。まあ、お前とは腐れ縁だ。付き合ってやるよ」
得意気に笑う桜夜が、いつになく頼もしい存在に思えた。この自信に満ちた表情はどこから来るのだろうか。
抱月は振り返って四つの彼岸花を一瞥してから、それを背にして足早に歩き出した。