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鋼の王 ~アンドリュー・カーネギーの贖罪~  作者: しばたろう


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3/12

03 30歳 鉄の帝国の創造

 国家の心臓部ワシントンへと足を踏み入れたアンドリューに課せられた任務は、軍用鉄道の指揮と政府の電信網の管理、そして何より、前線で鉄路を維持する「鉄道部隊」を組織することだった。


 着任して程なくのことだった。

 壊滅した輸送網と寸断された通信網。そのの復旧を急ぐべくワシントンへ向かう道中、アンドリューは南軍の手によって無残に切り落とされた電信線を発見した。

 彼は迷わず停車させた列車から飛び降り、泥にまみれながら自らの手で地面からワイヤーを掘り起こそうとした。その瞬間、強いテンションがかかっていたワイヤーが跳ね上がり、アンドリューの頬を直撃した。


 鋭い痛みが走り、深い傷口から鮮血が溢れ出す。だが、アンドリューはひるむどころか、その瞳には熱い輝きが宿っていた。


「俺は今、祖国のために血を流して戦った。この命を国のために役立てられるとは、なんと光栄なことだ!」


 周囲が言葉を失うほどの、凄まじい胆力であった。彼は傷口を拭い、再び泥にまみれて通信網を繋ぎ直した。この時頬に刻まれた傷跡は、彼にとって勲章も同然であった。



 軍務の日々、アンドリューはまさに国家を背負い、邁進し続けた。

 戦火への恐怖から逃げ出す従業員たちの脱走に頭を悩ませ、あるいは多忙な公務の合間に、あのエイブラハム・リンカーン大統領と直に出会い、その高潔な人格に深い感銘を受けることもあった。


 そして、一八六二年の後半、アンドリューは軍務を退く。

 師であるトーマス・スコットが、海軍次官補としての政府任務を終え、ペンシルベニア鉄道の副社長業務に専念するためにワシントンを去ることになった。右腕であるアンドリューもまた、師に従う形で軍務を離れ、ピッツバーグ分局長としての職務に戻ることになったのだ。

 

「ちょうど良い、引き際かもしれない」

 不眠不休で軍用鉄道の運行を指揮し続けたことにより、極度の疲労に陥っていた彼は、静かにそう思った。

 

 ワシントンを去るアンドリューの胸中には、ひとつの確信が募っていた。

 北軍の軍用鉄道に携わり、兵員や物資の輸送を間近で見たことで、「鉄道こそが国家の神経系であり、その強靭化――すなわち鉄への転換が急務である」と痛感したのだった。

 

 アンドリューの軍務終了は、決して単なる退役ではなかった。「国家を救うという実地訓練を終え、その経験を武器に世界を買い叩く準備が整った」瞬間であったのだ。



 ピッツバーグに舞い戻ったアンドリューは、「鉄道員」の顔の裏で、猛烈な勢いで投資と起業を進めていった。


 アンドリューが放った最初の一手は、上司であるスコットらと共に「キーストーン橋梁会社」を設立したことだった。


 戦地で南軍の手によって、木製の橋が簡単に焼き落とされるのを目の当たりにした彼は、未来を確信していた。


「これからの時代、橋は木ではなく『鉄』で作るべきだ」


 彼は自らが責任者を務めるペンシルベニア鉄道に対し、自らの会社で作った鉄の橋を猛烈に売り込み始めた。それはインフラの脆弱性を解決する英断であると同時に、あまりに巨大な商機でもあった。



 一八六三年。

 アンドリューは休む間もなく、次の一手に動く。

 この年、彼は友人たちと共同でストーリー農場を四万ドルで買収し、石油会社「コロンビア石油会社」を設立した。

 

 ストーリー農場は、ペンシルベニア州のヴェナンゴ郡、オイル・クリーク(石油の川)沿いに広がる広大な農場である。

 もともとは平凡な農地であったが、一八六一年に、ここでアメリカ初となる油田が掘り当てられ、一帯は世界初の「オイル・ラッシュ」に沸き返っていたのだ。


 当時のアメリカでは、鯨油に代わる灯油としての石油需要が爆発していたのである。


 アンドリューは、これまでの軍務を通じて「物資の移動」と「エネルギーの必要性」を痛感していた。彼は、自分の鉄道網が石油を運ぶことで利益を得るだけでなく、「運ばれる中身――石油そのもの」を所有すれば、二重に儲かると直感したのだ。


 その直感は恐ろしいほどに的中する。わずか一年後、この投資から得られた配当金は、実に百万ドルを超えた。

 

 この石油で得た莫大なキャッシュこそが、後の膨大な設備投資を必要とする鉄鋼業へ全賭けするための「軍資金(ウォー・チェスト)」となったのである。

 

 さらに、この石油投資の成功は、アンドリューの人生観に決定的な影響を与えた。

「額に汗して働く報酬」と「仕組み(資本)が生み出す配当」の圧倒的な差を、数字として冷徹に突きつけられたのだ。彼はここで、「自分が働かなくても、資本という名の土地と油が、勝手にお金を稼いでくれる」という不労所得の凄まじい威力を、骨の髄まで思い知らされた。



 石油で得た莫大な資金を元手に、アンドリューは再び本業である鉄道のインフラへと目を向ける。

 当時は戦争による需要の爆発で、全米のレールの供給が全く追いつかず、その価格は高騰の一途をたどっていた。


 一八六四年、彼はピッツバーグに「サイクロプス鉄工所」を設立した。レールの材料となる鉄板などを自前で製造するためだ。

 ちなみに、この時蒔いた種が、後の「ユニオン鉄工所」へと発展し、アンドリューの鉄鋼帝国の強固な土台となっていく。


 そして一八六五年四月、南北戦争は北軍の勝利で終結した。その直後、アンドリューは人生最大の決断を下す。

 彼は、これまで自分を引き立ててくれたペンシルベニア鉄道と、恩師スコットに対し、正式に退職を願い出たのだ。


 この時すでに、彼の投資による年収は数万ドルに達しており、分局長としての給料(千五百ドル)など、もはや完全に「端金」と化していた。


 頬に深く刻まれた軍務の傷跡を指でなぞりながら、彼は確信に満ちた目で辞表を見つめた。

「もはや、一人の主人に仕える必要はない。俺は、俺自身の帝国を作る」


 三十歳。アンドリュー・カーネギーは、完全に独立したひとりの実業家として、世界の荒波へと漕ぎ出した。


 

 アンドリューが、完全に独立してまず最初に行ったのは、すでに所有していた複数の鉄関連事業の集約と「垂直統合」の強化であった。

 サラリーマンという足枷を外し、自由の身となった彼は、それまで興していた会社を自らの手で融合させ、巨大な「鉄の仕組み」へと進化させる実務に没頭していった。

 

 独立したまさにその年である一八六五年、アンドリューは、前年に自ら設立したサイクロプス鉄工所と、ライバル関係にあり実弟のトム・カーネギーらが経営に参画していたユニオン鉄工所を合併させ、新会社「ユニオン鉄工所」へと生まれ変わらせた。

 

「身内同士で不毛な小競り合いをしている場合ではない。ふたつをひとつにまとめ、圧倒的な巨人を創り出すのだ」

  

 この独立直後の再編によって、原料から最終製品までをすべて身内で固める仕組みの土台が、完全に機能し始めた。「ユニオン鉄工所」が安く大量の鉄板を作り、それをアンドリューの「キーストーン橋梁会社」へ送り、屈強な鉄橋へと加工して、古巣であるペンシルベニア鉄道へ売り込む。この完璧な富の循環システムが、彼の帝国の両輪となって力強く回り始めたのだ。



 一八六六年。

 「ユニオン鉄工所」の合併によってピッツバーグの鉄製造を掌握したアンドリューの野心は、留まることを知らなかった。

 

 鉄橋というインフラの「土台」を押さえた彼が次に目をつけたのは、その上を疾走する主役――「機関車」そのものの製造であった。

 

「鉄を支配する者は、移動のすべてを支配する」

 

 アンドリューは同年のうちに、仲間たちと共に「ピッツバーグ機関車製造所」を設立する。

 

 彼は、自らが大株主として影響力を持つペンシルベニア鉄道をはじめとする各社に対し、自前の工場で作った最高品質の機関車を猛烈に売り込んでいった。全米で爆発する鉄道需要に対し、鉄橋だけでなく車両までも自社製で供給する体制を整えたのだ。


 当然、その機関車を形作るための大量の鉄は、身内である「ユニオン鉄工所」から買い付けられた。カネがすべてカーネギーの身内で循環する、恐るべき生態系がまたひとつ強固になった瞬間であった。独立からわずか一年、怪物アンドリューは、ピッツバーグを自らの「鉄の帝国」へと着実に作り変えつつあった。

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