やりたいこととできること 6
商業ギルドのギルドマスター執務室にノックと共に現れたのは、優秀な魔道具職人であり翻訳家としては情緒に問題があるポンコツな、元公爵子息のリーンだった。
ヨハンはサインをする手を止めて、お茶の準備を職員に頼む。商業ギルドでは客のレベルに合った紅茶と茶菓子をいつも用意してあった。リーンの場合は最高級の茶葉と珍しい菓子が用意されるだろう。
「どうしました? こちらがご用意した絵本で情緒を学ばれ、素晴らしい翻訳作業ができましたかな?」
「……ああ、すまない。ちょっと忘れてた」
ヨハンに学習用にと渡された絵本は、テオとクルトの勉強用として、ニナの寝かしつけの必須アイテムとして活用している。リーンはニナに読み聞かせするときにしか手にとらない。
ひょいと片眉を上げてみせたヨハンは、表面上はにこやかに、しかし、その瞳には探る色を混ぜてリーンを見た。
「なにかありましたか?」
ソファーに足を組み深く腰かけているリーンは、口元に人差し指を持ってきてトントンと顎を叩く。まだ、クルトからは正式に「衛兵になりたい」と願われたわけではない。だが……推薦状の用意は早いほうがいいだろう。
「クルトの将来のことで、ね」
カップに手を伸ばし、琥珀色の液体に自分の顔を映した。ヨハンは、それだけの言葉でリーンが自分に何を望むのか読み取ると、少しだけ口を歪めた。
「クルトですか? 確か、あの坊は冒険者にはなりたくないとか? では……リーン様が悩む進路と言えば、商会や神官などではないですね。……衛兵ですか? クルトがなりたいものは?」
「ご名答」
リーンはニコッと笑ったあと、あからさまにため息を吐いた。衛兵になるために必要なものをヨハンに察してもらうために。
「そうですね、市民登録と市民証は金さえ積めば、どうにかなりますし、どうにかしますけど……、推薦状ですか?」
「そうなんだよ。ヨハンに頼むわけにはいかなくてね」
リーンの言葉で察しのよいヨハンは、自分が書いた推薦状によりリーンハルト・ユンカース公爵子息まで辿り着いた何者かが、クルトを食い物にする図が見えてしまった。それは……とても危険だ。
「誰か、薬にも毒にもならない人物がいないかな?」
「探せばいますが、スラム育ちの孤児の推薦状を書いてくれるお人好しは……」
冒険者ギルドの優秀な職員である兄のジークハルトではダメなのか聞こうとして、ヨハンは口を噤んだ。例の婚約破棄をしたガブリエラ嬢が公爵夫人の座を狙って、異母兄であるジークハルトに近づいているのは、情報通の間では有名だった。せっかく、厄介な令嬢との縁が切れたのに、自らその罠に再度ハマりにいくリーンではないだろう。
「探してみます。市民登録のほうはいかがしますか?」
「それは、こちらで済ませておくよ」
公爵家を放逐されたとはいえ、一流の魔道具職人であるリーンは金に困っていない。なんだったら、いまこのときにさえ、魔道具のロイヤリティがちゃりんちゃりんと増えている。
「では、見つかりしだい連絡します」
「ああ、頼んだよ」
「……例の小説の翻訳もお願いします」
ヨハンの意地悪に、リーンの顔はぎゅっと顰められた。
子どもたちは牧場での手伝いで別行動だったため、リーンは久しぶりにフラフラと店を覗いては衝動買いを楽しんだ。その中にはテオたちが喜びそうな玩具や小物、ニナのリボンなどがある。店に飾られたガラスペンを見つめ、子どもたちにはまだ早いがと悩んでいると、ポンポンと肩を叩かれた。
「……兄さん!」
「おう。買い物か?」
「商業ギルドの帰りにブラブラしているだけですよ」
偶然バッタリと会った異母兄の姿に、満面の笑顔を見せ、人懐っこい子犬のような懐き方で話すリーンに、ジークハルトはちょっと戸惑った。前回の訪問のときもそうだが、絶交渉だった弟の態度が不可解過ぎるのだ。
「ちょっと、付き合わないか?」
クイッと親指でカフェを指すと、リーンは「もちろん」と頷いて、いそいそと警戒心もなくついてきた。ジークハルトはいまいち掴みどころのない弟に微妙な気持ちになりながら、カラランとカフェの扉を開く。
「……もしや、彼女からなにか面倒なことでもされましたか?」
新作のケーキだという真っ白な菓子を口に頬張りつつ、リーンはジークハルトを心配して眉を寄せた。
「いや……。あの女は略奪愛も作戦に考えているのか、公爵家が養子に迎える家族を調べているみたいだ」
ジークハルトは紅茶のフレーバーを楽しみながら、コクリと口に運んだ。リーンが婚約していた侯爵令嬢ガブリエラは、手駒を何人か冒険者として潜り込ませてきているが、こちらも子飼いの冒険者と手を組み様々な嫌がらせをお見舞いしている。
いいトコのお坊ちゃまとして育ってきた奴らは、日に日に眼が死んでいくようだが、知らん。ジークハルトは我が身を守るために手段は選ばないつもりだ。
「本気で、養子に入る男を狙っているんですか?」
「いや、わかっていても足掻きたいんだろう。養子を迎えた公爵家には手を出せないさ」
むしろ、自分の嫁入り家を必死になって探したほうがいいと思っている。もう、それなりの貴族の家を狙うなら後妻ぐらいしか道は残されていないが、他国にはまだ未婚の男が残っているかもしれない。
「……彼女、何がしたかったんでしょうね?」
公爵夫人になりたかったならリーンハルトとの婚約を死守すべきだった。愛と金と周りからの寵愛を望み、自身を磨くこともしなかった少女は淑女にもなれず、ただの大人の女として寂しい余生を送るのだろうか?
リーンにとっては、自分とその周りに害がなければいいと思っている。もう、彼女には僅かな情さえもないのだから。




