やりたいこととできること 3
それからしばらく穏やかな日が続いた。
リーンは、異母兄との結婚の目論見も外れ妻子持ちが養子では自分が公爵夫人になることができないと、元婚約者が恥も忘れてリーンに縋ってくるのでは? と内心は戦々恐々としていた。しかし、あれから兄が訪ねてくることもないし、公爵家の者が探ってくる様子もない。それとなく商業ギルドのギルドマスターヨハンに元婚約者のヴァルター侯爵家を探ってもらったが、静かな様子だったとのこと。
「諦めたかな?」
貴族令嬢が結婚を諦めるというのは人生を諦めることだが、そもそも人を嵌めて自分の思うようにしようとしたガブリエラが悪い。兄も公爵家に戻るつもりもなければガブリエラに魅かれることもないので、彼女は周りの迷惑にならず静かな余生を送ってほしい。
ガブリエラにまだ価値があるとヴァルター侯爵が判断すれば、それなりに良い縁談が得られるだろう。
「あとは……クルトのことだな」
クルトの就職先のことだ。リーンはこのままテオたちと一緒にこの家にいればいいと思うが、真面目なクルトには無理な話かもしれない。
図らずも兄である元冒険者の冒険者ギルド職員から、冒険者になることを勧められるぐらいクルトは剣の腕があるらしい。本人もまんざらではないらしく、朝の畑仕事の合間に木剣を素振りしている。
クルトの年齢でも冒険者ギルドに登録できるし依頼を受けることができる。パーティーを組めば定宿を決めて生活の拠点とすることができるし、まあまあの収入を得ることもできる。
だけど……クルトは冒険者にはならないと決めている。
父親が冒険者だったことも関係しているだろう。テオに「待っている人の元に帰る生活がしたい」と零していた。クルトの母親はクルトを育てるのに苦労し、若くして死んでしまった。クルトは一人、スラム街で逞しく生き抜いて、幼いのに独り立ちするために一生懸命だ。
高位貴族の跡継ぎとして、なかなかなシビアな教育を受けてきたと自負するリーンでも、クルトには頭が下がる思いである。
「しかし……読み書きもそつなくできるし、畑作業も厭わない。テオやニナの面倒もよく見てくれるし……屋台での値切り術は素晴らしい」
クルトはなんでもそこそこできてしまうのだ。文官は無理でも、小さな商会の事務なら任せられそうだし、畑を持って農業もできそう。小さな子の面倒も嫌がらず見てくれるから、病院や教会での仕事にも就けそうだ。
値切り、つまり交渉にも長けているなら、もっといい仕事もできそうだし、そう考えると荷運びの仕事をさせていたのがもったいない。
「でも、本人がやりたいことが一番だよ。できることはできること。やりたいこととは違うからね」
公爵家から出て自由人を満喫しているリーンは、そう呟くとクルトの淹れてくれた紅茶を口に運んだ。
「見学?」
牧場でポニーに乗せてもらうんだと、きゃいきゃいわいわいしながら迎えに来たデニスの馬車に揺られて出かけていった子どもたちが帰ってきた。ニナはデニスの乗る馬に乗せてもらったらしく大興奮である。ちょっと羨ましい、デニスが。リーンだって公爵子息だったので、困らない程度には乗馬はできる。
テオはちょっと怖かったのか眉が下がった困り顔で、クルトは馬の扱いが上手いと評価され、たまに牧場の手伝いに行くことになっていた。
「それで、見学とは?」
牛や馬の見学? それとも、将来牧場を経営するから、トーマスに弟子入りするとかの話なのか? リーンはこてんと首を傾げた。
「いいえ。デニスさんが今日、衛兵さんに伝言を頼まれたって。ぼくたちに衛兵の練習を見学に来ないかって!」
キラキラと輝くクルトの笑顔を見て、リーンはお隣の衛兵詰所に挨拶に行ったときのことを思いだした。そう……衛兵たちのボスである、大隊長ヴェンデルと会ったときの話だ。
「確かに……見学に来いと言ってたな」
関わりあうつもりがなかったので、すっかりと失念していたが……。
「クルト兄ちゃんは、たまに立ち寄る衛兵のお兄さんたちに教わってるんですよ」
テオがクルトのことを自慢げに話すと、ニナは両腕を上下に振り下ろし「やー」「たー」と声を上げる。
「えっと……素振りの姿勢を見てもらったり……手合わせしてもらったりしてます」
「そうだったんだ」
リーンも、朝起きて畑の様子や薬草園の水やりなど手伝っているが、クルトたちはもっと朝早くから畑に出ているので、たぶんリーンがまだ寝こけている間に衛兵たちとのやり取りがあったのだろう。
「……う~ん、クルトは見学に行きたいのかな?」
リーンはクルトの気持ちを優先しようと決めた。本当ならこれ以上クルトが夢を見ないうちに諦めさせるのがいいとはわかっていたが。
「はい! みなさんが剣でやり合うのを近くで見たいです!」
「オレも!」
「ニナも!」
「……じゃあ、みんなで行こうか?」
たぶん、リーンたちが衛兵詰所に顔を出せば、ヴェンデルも姿を現す気がするが、まぁいい。クルトのためだ、むさくるしいおっさんとの会話ぐらい我慢しよう。
「……クルトは剣が好きかい?」
リーンの問いにクルトは少し逡巡するふうだったが、黙って頷いた。
父親の仕事を忌避していても、やっぱり似てしまうものなのかな? そう思うと、少し寂しい気持ちになるリーンだった。




