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真実の愛に破れた元公爵子息はスラムの孤児とのんびり暮らしたい~おしかけ同居人も添えて~  作者: 沢野 りお
兄と公爵家と小さな剣士

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やりたいこととできること 1

「リーン様……正しく翻訳すればいいというものではないのです」


ある日、中央まで買い物に行くついでに商業ギルドへ顔を出してみた。案の定、ギルドマスターであるヨハンに見つかり、彼の執務室へと無言で素早く連行されたのだった。テオたちには退屈な話になるだろうと、別室でお菓子や珍しい玩具で時間を潰してもらうことにしている。


「あれ? 僕はちゃんとこっちの言葉に訳したよ?」


自慢ではないが、語学は得意だった。公爵位でなければ外交官として働いてほしいと、宰相に望まれるほどだったのだから。なのに、ヨハンは呆れた視線を投げてくる。


「コホン。例えばここです。いいですか? [赤いドレスの裾が動いた]」


「うん。単語と文法から、訳は間違えていないよ?」


「あのですね! ここは主人公が初めてのダンスで心が躍る……でも不安という心情を表す場面なんですよっ。裾が動くのは心の動きを表すんですっ。ヒラヒラとかフワフワとか、あるでしょ? ただ動くだけじゃなくって」


ヨハンは手の指をワキワキと動かして熱弁を振るう。リーンはその様子をポカンと見つめた。心情? 心の動きをドレスの裾で表現する?


「ヨ、ヨハン……。そんな文章の読み取りは、家庭教師から習ってないよ」


「習うものではありません! リーン様は驚くぐらいに情緒が足りませんな! 恋愛小説でもムードがまったくない訳ですし……絵本はもっとヒドイ」


「……誤訳はしてないのに」


ヨハンの肩の落とし方に、リーンも反論の声が小さくなる。本当に語学は得意だったのに……まさか、こんなにダメ出しをされるとは……。


「絵本は子どもが読むものです。そして、絵本で子どもは情緒を学ぶのです! なのに……作り手が情緒皆無だなんて」


ヨハンはシクシクと顔を手で覆って泣き真似を始めたが……本当に泣いているのかもしれない。リーンの情緒がポンコツ過ぎて。リーンとしてはキッパリと反論して認めたくないところだが、先日の兄とのやり取りで真実の愛について呆れられた過去があるので、ぐっと我慢した。黙っていることは、すなわち認めたことになるのだが……リーンは諦めの境地だったかもしれない。


「仕方ないですから、こちらの絵本を貸し出します。テオたちも喜ぶでしょう。リーン様はこれらの本を読み聞かせてあげつつ、ご自分の情緒を養ってください」


「情緒か……」


「いいですか? 決してかわいいウサギさんは、女の子に向かって「エサを欲する」とは言いません!」


白くてかわいいウサギが、森で迷子になった兄妹に食べ物をくれたら森を案内してあげると申し出るシーンのことだ。所望するのがエサだったから、そう訳したのに何が悪かったのか?


「ニナが森を歩いていて小さくし白いかわいいウサギから、そんなセリフを言われたら号泣しますよ?」


「……」


そもそもウサギは喋らないと言い返したいが、それこそ情緒がないと断言されそうなので、リーンは黙って聞いていた。ストレートに「にんじんをくれ」と訳せばよかったか? けれどにんじんなんて言葉は書かれていなかった。……思ったより翻訳の仕事は難しいかもしれない。


「仕方ない。精進しておくよ。時間はたっぷりとあるからね」


王家の次に権力を持ち権威もある公爵家に生まれ、特に問題なく教育を終えたリーンに初めて圧し掛かる重圧とは……子どもが喜び女性の頬を赤らめるような情緒を養うこと。こんなことなら魔道具を弄り回しているほうが気が楽だと、息をひとつ吐いてテオたちを迎えにとギルドマスターの執務室を出て行った。
























中央では、今日も賑やかに人が行き交い、屋台からは威勢のいい呼び声がかかる。


前を歩くテオと手を繋いだニナがキョロキョロと左右に並んだ屋台を見て、ゴクリと喉を鳴らした。おや? 商業ギルドでお菓子をたんまりと食べたはずだけど?


「肉が焼ける匂いはたまらないなーっ」


横を歩くクルトが、手を頭の後ろで組んで、クンクンと鼻を動かした。確かにジュワッという油の音と肉とタレの焼ける香ばしい匂いが食欲をそそる。


「今日は、どこかで食事して帰ろうか?」


帰りの乗合馬車の時間には余裕があるから、食堂で食事をしても大丈夫だろう。乗合馬車の停車場から家までは多少歩くが、夜道に歩いていてもさりげなく衛兵たちが見守ってくれるので安心だ。挨拶しておいてよかったと思う。


「ニナねぇ、かんだらパリッとするおにく、たべたい」


じゅるるるとすでにヨダレを垂らしそうなニナの要望にリーンは笑って応えた。


「ソーセージだね。いいよ。テオとクルトもお肉がいいかな?」


ヨハンに教えてもらった食堂なら、ソーセージやステーキもあるし、グラタンやハンバーグもある。ワインも飲めるし、デザートも美味しかった。リーンはその店へ向かうべく路地を右に曲がろうとして足を止めた。


「リーン様?」


リーンの手で肩を抑えられたテオは不思議そうな顔でリーンへと顔を向ける。


「……ちょっと静かにしててくれ」


真剣なリーンの表情に、クルトはニナの体を抱き上げてその手で口をそっと塞ぐ。クルトとテオが路地の奥へと目を細めてみる。奥に積み上げられた木箱に隠れるように二人の女性がいた。一人は緑色のワンピースの上に汚れた白いエプロンを付けた人。もう一人はレースが重なった上品なドレスを着て手に持った扇を広げて顔を隠す女の人。こそこそと喋っていて内容は聞こえてこないが……住む世界が違う二人が交わす雰囲気は、肌がピリピリとするほど不穏な空気が流れていた。


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