ご挨拶しよう 8
リーンとジークハルト、二人の父であるユンカース公爵は、嫡男が婚約破棄などという不名誉な醜聞を巻き散らすことになり、親子の情などないとばかりにリーンを廃嫡し家から追い出した。そして、スペアとして育てていたもう一人の息子がよりにもよって冒険者ギルドの職員として働いていることを知ると、公爵家へ戻すことを早々に諦めた。
ギルドはある意味、国を越えた機関のため、そのギルドに深く関わっている人物は警戒されて当然と判断した結果だった。公爵家も清廉潔白ではないのだ。探られたら痛い腹はいくつものあるというもの。厚遇していたとは言い難い庶子を呼び戻し、報復とばかりに内偵でもされたら堪らない。
結果、公爵は従兄の息子を養子にすることを決めた。その者は既に伯爵令嬢と結婚しており、子どもが二人いるという、安定さ。公爵家の仕事の引継ぎは大変だが、元々文官としてバリバリ働いていた能力があれば大丈夫だろうと、本人の意思を半ば無視して決めたのだった。
新しい公爵家の跡継ぎと結婚して、公爵夫人の座は譲らないと息巻いていたガブリエラにとっては、最悪の結果となった。
「……それは……彼女も計算外だったでしょうね」
「だろうな。公爵がまさか自分の子ども以外に、爵位を譲るとは思わなかっただろう」
……リーンは合理的な考えをする、人としては情の薄いタイプの父であれば、自分の血を残すことよりも公爵家を守ることを第一とすると思うので、養子を迎えたことはそこまで不思議ではないと感じた。それよりも問題は自分の母であると。庶子である兄を虐めていた張本人は、自分とはまったくの無関係である養子、しかも既に結婚して子どもまでいる跡継ぎを前にしてどうするのか?
リーンは、母親が犯すであろう暴挙の可能性に頭が痛くなるような気がした。
「公爵夫人は領地に静養に行くことになるだろう。表向きは一人息子の廃嫡に心を痛めて。ま、本当のところは公爵が邪魔な公爵夫人を追い出すってとこか」
「そうですか……」
まぁ、そうですよねと呟き紅茶を口に運ぶリーンの冷静な態度に、ジークハルトは首を傾げた。
「……いや、同じ屋敷で生活しないほうがいいでしょう? だって奥さん、つまり嫁姑問題が勃発するんですよ? 父だって継承のあれやこれや面倒なときに母の我儘には付き合えませんよ」
いつまでも社交界に蔓延っていたら、新しい公爵夫人の勢力が伸び悩みますし。リーンはサラッと言い切ると、その興味は元婚約者のガブリエラに戻った。
「彼女はどうするんでしょうかね? 既に高位貴族の婚約者の席は埋まっており空きがない。他国の王族や高位貴族だって似たようなものです。彼女が満足する相手などいない。けれど、彼女は諦めることはないですし……兄さんも気をつけてください」
「イヤなことを言うな! 俺はあんな女につき纏われるのはごめんだ。……あの女、公爵夫人の座を狙って略奪愛に走ったりしないよな?」
「真実の愛の次は略奪愛ですか?」
ハハハと笑いかけて、ハッと思い出す。リーンが元婚約者との定期的に開かれたいたお茶会で目にした他国の恋愛小説。その一つはなんの因果か、いま自分の手元にあるが……真実の愛で結ばれる平民女性と高位貴族子息の恋愛小説。そのほかに……略奪愛の話もあっただろうか?
元婚約者が自分をハメるために参考にしたと思われる他国の恋愛小説。反対に自分が利用して、まんまと公爵家を放逐されたわけだが……彼女の教科書して恋愛小説があるのなら、公爵夫人の座を狙っての略奪愛……あるかもしれない。
「兄さん。籍を抜かれた公爵家などどうでもいいのですが……何かがあると、やっぱり、ちょっと寝覚めが悪いので、元婚約者の動向を探ってもらえませんか?」
目を瞑って紅茶の香りを楽しんでいたジークハルトは、パチリと片目だけ開けリーンの顔を真っ直ぐ見つめた。
「……それは、冒険者ギルドへの正式な依頼か?」
「あれ? かわいい弟のお願いではダメですか?」
きゅるんとニナの真似をして笑顔でおねだりしてみたが、ジークハルトからの反応はイマイチだった。
「俺にも益があることだから、そりなりには気にしておこう」
ジークハルトは立ち上がるとそのまま玄関へと向かう。リーンが見送ろうとするのを手で止めると、ニヤリと笑いクルトを指差す。
「そっちの小僧。冒険者になるなら歓迎するぞ。剣を握らせたら化けそうだ」
「……クルトですか?」
急に二人から注目されて、テオとニナとボードゲームをしていたクルトは目を白黒させる。
「じゃあな。また来るわ」
「はい、お気をつけて、兄さん」
こうして、リーンの家の初めての客は帰っていった。
一冊の本を蝋燭の灯りに照らして眺める。
テオたち子どもたちはベッドでスヤスヤと眠っている。リーンは書斎で翻訳の仕事……をするつもりで、例の恋愛小説の本を手に取り、ぼんやりと考え事だ。
ガブリエラが愛読していたと思われる恋愛小説になぞって、リーンとイリーネの真実の愛を画策しようとした愚かな侯爵令嬢。リーンへ平民が喜ぶようなプレゼントを所望したときから作戦は始まっていたのだろう。……リーンにはバレていたが。
「そもそも、ハメる相手の趣味嗜好も知らずに、よく女性を宛がうことを考えたものだ」
そう、イリーネは残念ながらリーンの理想の相手ではなかったのだから。




