ご挨拶しよう 7
別に、リーンはどうしても公爵位を継ぎたかったわけではない。そしてリーンの他に、継ぐ者がいなかったわけじゃない。ただ、貴族としてそう生まれた者として、義務を果たすだけだった。運命ってそんなものだという諦観もあったかもしれない。
王宮に勤めても、能力とは別に爵位だけで取り立てられるのが目に見えているから、あえて文官として出仕しなかった。趣味の手慰みだった魔道具作りが思ったよりも売れ、魔道具職人として名を馳せる未来は予想外だったが……。
なので、幼少のころに結ばれた婚約のお相手ガブリエラにも、特別な感情は持てなかった。貴族の礼儀としてそれなりに付き合ったが、彼女個人とも気が合いそうになく……公爵としての人生はつまらないものになりそうだと、灰色の気持ちを持て余していたのだ。
まさか、その婚約者が自分を罠にハメてくるとは思わなかった。それも、お互いにやり直せる年齢を通り越し、そろそろ結婚について動き出そうとしたときに!
本来ならば、リーンも十代のうちに婚姻しておくべきだったが、ここでも王太子問題が関係してくる。当然公爵家の結婚式となれば、王族からの出席が望ましい。ただし、警護の問題もあるので王族が揃って出席するのはご遠慮願いたい。では、誰が出席するのか? 勇者と縁深い賢者の末裔である公爵家である。それは当然、次代の王、王太子の出席が予定されるが……まだ王太子は決まっていない。決まっていないのに、第一王子が出席すれば、それはすなわち王太子にほぼ決定と認識されるということ。
こんな面倒なことに誰が好き好んで巻き込まれるものか……と憂慮した公爵家は、王太子が決定してから次期公爵の結婚式を行うことにした。
その結果、婚約者がとんでもない野望を持って暴走し、自らその罠に落ちていき、見事平民落ちしたのがリーンである。
「……まさか」
「ああ、兄さんに公爵位を譲りたいとかではないです。兄さんがほしかったらどうぞ、とは思いましたけど」
公爵位を継ぐと簡単に言うが、そのための努力は並大抵のものではない。高位貴族としてのマナーはもちろん、外国からの特使も招待される国王主催の夜会などでは、外交官ばりの働きが要求される。そのため主要国の言語、文化、そして国際情勢などを叩きこんでおかなければならない。芸術にも理解がなければ揶揄されるのも高位貴族である。そのため、本人に興味がなくても美術品の目利きや宝石、音楽にも精通し、自らも絵を描いたり楽器を奏でたりする場合もある。ちなみに魔道具作りは貴族の趣味としては些か地味だ。
「別にいらん。貴族なんぞ、面倒なだけだ」
組んだ足に肘をつき頬杖をつく兄は、忌々しそうに眉を寄せた。
「兄さんがいらないならいいんです。……まぁ、彼女が兄さんに目を付けるとは思いませんでしたけど」
リーンはちょっとバツが悪くなり、兄から目を逸らす。
自分との婚約を厭う素振りが見え始めたころ、それはまだお互いが愛を理解する前だったと覚えている。彼女は、婚約者としては申し分ない扱いを受けていたが、それ以上を求めた。侯爵家の姫として甘やかされた彼女は、外でも女王のように振る舞うことを止められなかった。リーンも彼女の振る舞いに辟易とした一人だが、母のことを思えば貴族女性などそんなものと達観もしていた。
「……そんなに僕と結婚するのが嫌だったのでしょうかねぇ」
コテンと首を傾げる弟の姿に、ジークハルトは苦笑した。
「あのお嬢さんは自己評価が高いのさ。自分を一番に愛さず、チヤホヤもしてくれないお前に腹を立てて、あんな稚拙なことを仕組んだのだろう」
まさか、当の本人がわざとひっかかり平民の女に夢中になるフリをしているとは思わずに、そのことにまた腹を立てて店の真ん中で客の注目を浴びての婚約破棄騒動。しかも、冷静になって考えたら公爵夫人の椅子を失ったことにに気が付いて悪あがきときたもんだ。ジークハルトは、ある日突然、リーンの元婚約者ガブリエラに冒険者ギルドの前で待ち伏せされた。
「公爵家を追い出されて悔しいだろうってな。自分がお前を公爵にしてやるから、次期公爵となったら自分と婚約しろって」
ハンッと鼻で笑うと、ジークハルトは焼き菓子を掴んでむしゃむしゃと勢いよく食べ始めた。その焼き菓子はテオたちのお気に入りなので、できれば全部食べないでほしいなぁと、リーンは明後日の方向へ思考を飛ばす。
「あんな女に引っかかったら一生ダメになる。俺だって公爵様だと権力を振り回すどころか、あの女の飼い殺しになる。そんな人生を生きるなら、冒険者に戻って魔物狩りをしているほうがおもしろい」
「……そうですね。兄さんにとっては貴族の女性はあまり……魅力を感じないですよね」
そもそも、幼少のころ虐めていたのは貴族女性のトップでもある公爵夫人たる自分の母だし、元婚約者を比べてみても両者はなんとなく似ている気がする。
「お嬢さまは公爵夫人になるために、毛嫌いしているほぼ平民である異母兄の俺へと声をかけてきた。自分が公爵夫人になりたいだけで、公爵として領地経営をするとか、国政に口を出したいとか、孤児院などの福祉活動をしたいとかでなく、ただ贅沢するために。あ……あと、チヤホヤしてもらうためにか? 俺みたいな庶子だったらすぐ餌に食いつくとか思ってたんだろうなぁ、あの女」
ま、公爵様が一足先に後継者を見つけだしてきたけどな、と楽しそうに口にしてジークハルトはポイッと焼き菓子を口に放り込んだ。




