ご挨拶しよう 1
ん? クルトはキッチンに備え付けてある冷蔵庫の中を確認して首を捻る。そして小さなメモに拙い字で何かを書いていく。
「どうだい? 何か足りないものはあったかい?」
朝食後、優雅に紅茶を飲む雇い主であり家主であるリーンに、クルトは眉を下げた困り顔を見せた。
「やっぱり、卵がもうありません。市場に買いに行かないと」
「ふむ。ちょっと調子にのってお菓子を作りすぎたかな?」
他人事のように言っているが、クルトの知り合いの屋台の女将からプリンの作り方を教わり食べさせたところ、夢中になったのはリーンである。ニナのように食べるだけならいいが、作ることにも興味を持ったリーンが挑戦したせいで、卵はいくつも犠牲になった。
「じゃあ、午後は買い出しに行こうか。卵と干し魚も買いにいこう」
「はい。牛乳やチーズも買い足しておきますか?」
リーンが頷くのが見えたので、クルトは慣れない手つきでペンを持ち、メモに魚と牛乳、チーズと書き足していく。
「野菜や肉はクルトのおかげで配達してもらえているが、牛乳とかは中央街まで買いに行かないといけないのは不便だね」
不便とリーンは言うが、平民は毎日、朝早く市場に行き買い物をしているものだ。クルトは、リーンの世間知らずな言動には慣れてきたつもりだったが、こうして苦笑することはまだ多い。
「あ、そうだ。テオとニナのお昼寝が終わったら、近所に挨拶もしにいこう」
「近所ですか?」
この家はちょっと住宅街からは外れている。周りに家はなく、草原が広がっていて、強いて言えば牧場と西区担当の衛兵詰所があるぐらいだ。
「特に衛兵たちには、この家に人が住んでいると認識しておいてもらわねば、いざとなったときに助けてもらえないだろう」
パチンとウィンクするリーンに、クルトはパチパチと瞬きすることで応えた。
その後、家の掃除やら洗濯をして、テオとニナが短い昼寝をしている間に外出の準備……と忙しなくクルトが働き、リーンは商業ギルドから依頼された新しい仕事にしかめっ面をしていた。高位貴族の教育を受けてきたリーンでも難解な仕事なのかと、クルトは慄いていたが、ギルドで教えてもらった淹れ方の紅茶を差し出すことしかできない。
それでも、テオとニナと一緒に読み書きをリーンから教わって、少しずつ絵本が自分で読めるようになってきたのがクルトは嬉しい。字はまだミミズがのたくったような状態だが……。
「さて、テオとニナ、準備はいいかい?」
「はぁい」
ニナがかわいく右手を上げて返事をする。テオはクルトから渡された買い物メモをじっと見つめ、どうやったら効率よく店を回れるか考えているようだ。
「まずは牧場に行って引っ越しの挨拶をするよ。そのあと衛兵さんたちに挨拶して、衛兵詰所から馬車に乗ろう」
「衛兵詰所は乗合馬車の乗り場があるんでしたっけ?」
リーンは頷いて肯定すると、無人になった家に魔法で鍵をかけた。
「さあ、牧場まで歩くけど大丈夫かな?」
しかし、リーンはニナの返事を聞く前にひょいと抱き上げて歩ぎだしてしまう。クルトとテオは互いの顔を見合わせ、笑いながら走り出した。
牛がいる。馬もいるし、山羊もいるし、鶏までいた。牧場はかなり広く、働いている人もあちこちに散らばりつつ、駆け回っているみたいだ。
「へぇ~、あの婆さんの家、売れたのか。たいへんだったろう? あの婆さん、昔ながらのやり方で暮らしてたからなぁ」
牧場の周りをウロウロしていたら怪しい人と誤解され、強面の牧場主がデカい三又槍みたいなものを担いで出てきた。三又槍は牧草を処理するものだと、見た目と違って親切な牧場主がクルトたち子どもに教えてくれた。
「子どももいますし、何かとよろしくお願いします」
リーンがニコリと笑顔で頼むと、気のいい主人はテオとクルトの頭を撫でて、「まかせておけ」と請け負ってくれた。
「……いい馬ですね。もしかして衛兵たちの騎馬ですか?」
「ああ。これから訓練を受けて買われていく馬もいれば、衛兵たちの馬を預かり走らせたりもしている」
牧場主がぶっとい腕を組んで愛しそうに馬を見つめる。リーンも屋敷に置いてきてしまった愛馬をふと思い出した。思い出したのは馬だけではない。
「ああ~牛乳と卵かぁ~」
野菜や肉はクルトの伝手で週に一回の配達を頼むことができた。魚は元々、王都には川魚以外は干し魚か粉末しか出回らない品なので、買い物のついでに買い足すことにしている。問題はそこそこ使用頻度が高いのに、配達を断られた牛乳や卵だった。
「なんだ、どうした?」
急にしょんぼりと肩を落とした平民と言い切るのには育ちの良さそうな男の様子に、牧場主が心配して声をかける。クルトはリーンの様子を見て息をひとつ吐くと、牧場主に説明した。牛乳と卵を買いに街へ行くのが面倒だと。
「なんだ、そんなことか。なんだったらウチの品を配達してやろうか? 牛乳も卵もチーズもあるぞ」
フンッと誇らしげに胸を張る牧場主に、リーンは顔を輝かす。
「いいのかな? 街では配達することはできないって断られたけど」
「ああ、俺の牧場は店は持ってないんだ。ほとんどを衛兵詰所と契約しているレストランや食堂に卸しているからな。だから、お前たちの家の分ぐらいはどうにでもなる」
「ぜひ、お願いします!」
リーンが取引の内容を確認することなく飛びつくのを見て、クルトは口をへの字に曲げた。




