元公爵子息と小さな家 7
リーンから、珍しく仕事への意欲が溢れているのはいい傾向だと、商業ギルドのギルドマスターヨハンは満足そうに頷くと、事前に用意していた箱から、三冊の絵本と一冊の本を取り出した。
「こちらなんてどうです? 家で仕事ができますし……小さいお子さんも喜ぶかと」
ズズイと差し出された絵本と本に視線を走らせ、リーンは眉を寄せる。
「これが……仕事?」
「ええ。これらは他国で出版された絵本や本です。こちらで販売するには、バーデッド王国語に訳さねばなりません。リーン様、語学はお得意でしょ?」
ニコニコ顔で迫るヨハンにジト目を向け、リーンは三冊の絵本をペラペラと捲ってみた。
「キレイな色使いだ。ニナが喜びそうだな」
女の子が喜びそうなドレスや花が描かれ、最後には王子さまらしき登場人物も描かれている。他にもよくある竜退治の絵本や宗教的とまではいかないが、神さまの創国記らしき絵本。繊細な絵と小動物の愛らしい絵がニナにピッタリだ。
……しかし、本のほうはどうだろう?
「絵本はいいけど、なんで他国の恋愛小説なんだい?」
「流行っているんです。どこの国も恋愛小説というものは! 絵本も全国共通でお求めいただけますが、恋愛小説というものも売れるのです!」
なんとも商業ギルドのギルドマスターらしい意見に、リーンは肩を落とした。
「よりにもよって、この本かい?」
「何か問題でも?」
リーンはヨハンの質問には答えず、無言で渡された絵本と本を鞄にしまった。翻訳を頼まれた一冊の本……恋愛小説は、登場人物である高位貴族の頭の弱い子息が、平民の計算高い小娘と真実の愛を叫び、婚約者である淑女に婚約破棄を叩きつける話だ。
知っている。とある場所でパラパラと流し読みをしたことがある。
婚約破棄された子息は廃嫡され真実の愛を結んだ平民の娘と国外追放にあう。何一つ財産を持たされることなく。そんなの野垂れ死ねと言われたのと同じだ。
婚約破棄された悲劇のヒロインは、断罪された子息の家、高位貴族の跡取りとなった青年と改めて婚約を結び、幸せとなった……ハッピーエンドである。
「……いいや。まさか、ここでお目にかかるとは思わなかっただけさ」
パチンとウィンクをしてリーンは足取り軽く去っていった。恋愛小説を片手に。
ギルドマスターの執務室を出て、一階の受付フロアで時間を潰していると両手に荷物を持った三人組が入ってきた。彼らの後ろにはギルド職員が、やっぱり両手に荷物を持って入ってくる。
「あ、リーン様!」
「リーンさまぁ」
テオとニナがリーンの姿を見つけて満面の笑みを向ける。たぶん、大きく手でも振ってアピールしたいのだろうけど、その手は大きな袋で塞がれている。クルトは、まだそこまでリーンに心を許してないのか、ペコリと頭を下げるだけだった。
「やあ、お帰り。いっぱい買ったみたいだね」
「あ……えっと、お金は大丈夫だって……」
テオがチロチロと、付き添ってくれたギルド職員の顔を窺うように見る。別にリーンはたくさん買って料金がかかっても構わない。必要なものを買えばいいと思っているし、その軍資金も持っている。
「いいんだよ。遠慮しない遠慮しない。あとで働いて返してくれ」
少し乱暴に頭を撫でると嬉しそうにはにかむテオ。羨ましかったのか、ニナもリーンに頭を突き出して催促してくるので、ナデナデと。
「すみません……剣、買ってしまいました」
しょんぼりと報告するクルトの腰には真新しい剣と剣帯がある。
「ちゃんと自分に合った剣を買ったかい?」
ここで金を出し渋って鈍らを買ってしまうと返って散財になってしまうし、高くてもクルトが使いにくかったら意味がない。クルトに問いかけつつ、目で付き添いのギルド職員へ問うと、コクリと強い頷きで応えてくれた。よしよし、いい買い物だったみたいだ。
「じゃあ、帰ろうか?」
はぁーいと元気な声を返してくれるテオとニナの後ろでクルトが何か言いたげだ。リーンはなるべく優しい声でクルトの名前を呼んだ。
「クルト、どうしたのかな?」
「あっ……あの……。えっとぉ……」
もじもじするクルトの姿を不思議そうに見るテオとニナ。その二人からの視線にクルトはますます顔を赤らめもごもごと言葉にできないみたいだ。
「……クルト?」
「あのっ、け、剣とか、服とか……とにかく、全部、全部、ありがとうございました!」
受付の窓口にいたギルド職員が、びっくりした顔でこちらを見てしまうぐらいの大声でお礼を言われた。特に、クルトにお礼を言われるようなことをした覚えのないリーンは、きょとんとした顔でクルトを見つめる。
「俺も、俺も頑張ります! 仕事を見つけるまであの家での仕事、頑張ります!」
「ああ……それは助かるよ」
なにせ、素人が畑で野菜を作り薬草園で薬草を育てるつもりなのだ。ニナは玄関前の花壇にキレイな花を咲かせて、来るであろうお客様を迎えるという大任を仰せつかっている。
思いもかけない出会いではあったが、なかなかにいい出会いだったとリーンが満足そうに鼻を鳴らすと、クルトはさらに言いにくそうに口を開く。
「あの……リーン様。あの家は市場から遠いので、野菜や肉とかは配達を頼んだほうがいいです」
「あ……」
いまは、ヨハンからの気遣いで食料庫はいっぱいだが、食べつくしたあとのことを考えていなかった。
「そ、そうだねぇ」
本当に、クルトに来てもらってよかったと胸を撫でおろすリーンだった。




