元公爵子息と小さな家 4
リーンの「報復はしない」発言にやや不満そうな顔をするテオとニナだが、今はクルトのことが大事である。リーンは、スラムにも戻れないと漏らしたクルトに改めて問う。
「どこか他に働けそうな場所や、住まわせてもらえるところはないのかい?」
ここが大事なポイントだ。クルトは自力で仕事を探し、スラム街から巣立った子である。もしかしたら他にも就職先にアテがあるのかもしれない。
だけど、クルトは暗い顔で頭を横に振るだけだった。
「クルト兄ちゃん……」
テオの眉が情けない角度で下がる。かつて自分と妹を助けてくれたヒーローが落ち込んでいる姿に、ショックを受けてしまったみたいだ。
「ふむ。僕はこれからこの家に住むんだ。テオとニナを住み込みで雇ってね」
「え? テオとニナを住み込みで?」
クルトはパチパチと瞬きをしたあと、コソッとテオの耳に何かを囁いた。テオはびっくりした顔で咄嗟に頭を横に振っている。たぶん、リーンに何か弱味を握られているか、騙されていないかの確認をしたのだろう。
「え……ええっと……。リーン様はお貴族様ですよね?」
生まれ育ったものは、たった幾日かの平民暮らしでは削ぎ落さなかったようだ。リーンは自分はすっかりと平民だと思っていたが、やっぱり苦労知らずの貴族子息以外の何者でもなかったのだ。
「元貴族だね……。いまは平民。魔道具職人だよ」
タハハ……と力なく笑っているが、スラム育ちにしてみれば魔道具職人はただの平民ではない。
「あの……テオとニナはまだ幼いです」
「うん、そうだね」
「……満足に使用人としての勤めをこなせるとは思えません」
キュッと眉を顰め緊張した面持ちのクルトを、冷たい目で検分しつつ口調は柔らかに微笑みを湛えた表情で、紅茶を口に運ぶリーン。
「でも……」
さて、ここでクルトはどうするのか? テオやニナよりも仕事ができる自分を住み込みで雇うように求めてくるか。それともテオやニナに仕事を教えるという役割で、自分の居場所を確保するのか? リーンはクルトが利己的な提案をしてくると思っていた。
「どうか、テオやニナを見放さないでください。ちゃんと教えてやればテオは、飲み込みが早いからすぐに仕事を覚えます。ニナはまだちっちゃいけど、リーン様の邪魔をしないよう大人しくしていられます。どうか……だからどうか、テオとニナをスラムに戻さないでください」
するりと椅子から滑るように下りて、リーンの足元で土下座して懇願するクルトの姿に他の三人は呆気にとられた。
クルトは雇ってもらった荷運び屋で心無い仕打ちを受け放り出された孤児だ。仕事を失い住むところもない。一度出て行ったスラムに舞い戻ると、その報復は凄まじいらしい。怪我をして熱を出してもスラムに戻らなかったのは、下手をしたら殺されるから。
そんな崖っぷちの少年が、目の前に同じスラム街の孤児という境遇だったのに、住み込みの使用人としての職を得たテオとニナを見たらどうするのか。
リーンは、自分の優秀さを訴えテオとニナからその仕事を奪うか、昔テオとニナを助けたことを盾にして自分の職を得るかのどちらかだと思っていた。
なのに……まさか、テオとニナのことを床に頭をつけてまで懇願してこようとは思わなかった、これぽっちも、微塵も思わなかった。
「クルト兄ちゃん」
テオとニナは床に座り込んだクルトに抱き着き、その細い体を揺すっている。
「……すまなかったね、クルト。ちょっと意地悪だったよ。さあ、椅子に座ってこれからの話をしよう」
リーンはクルトに手を差し伸べて素直に謝った。スラム街で育った孤児が、他人のためにそこまでできるなんて……。
「リーン様……」
「リーンさま」
テオとニナの純真な眼が……。心にツキツキと刺さるなぁとリーンは苦笑した。
「正直な話、僕の世話に使用人が三人は多すぎる。僕も平民となったからには、自分のことは自分でできるようになりたいし」
いつまでも、公爵子息気分ではいられない。地に足がついた生活を目指させなければ。
「リーン様……」
しゅーんと落ち込む兄妹に、やや焦りながら早口でクルトへ提案をする。
「ところでクルト。君は野菜を育てたり薬草を育てたりの経験はあるかな?」
「……はい。野菜は小さいころ祖父ちゃんの畑を。薬草は薬草園の雑草取りの仕事をしたことがあります」
詳しくはないが、基本の世話ならできるとのこと。ふむふむ、これは拾い徳かもしれないと、リーンはこっそりとほくそ笑んだ。
「では、次の仕事が決まるまで、我が家で住み込みで畑と薬草園の世話を頼む。賃金は僅かだが、三食おやつ付きだ」
「え……」
「次の仕事も一緒に探そう。クルトは何がしたいのか。何が得意なのか。一緒に考えて探していこう」
「……いいんですか? だって俺……スラム出身だし。学はないし……。ああ……怪我を治してもらったお金も払えないし……」
ぐしっと溢れた涙を袖に拭い、鼻水を垂らして言葉を紡ぐクルトの両手をリーンは力強く握った。
「テオとニナを助けてくれただろう? クルトがいなければテオとニナは、どうなっていただろうね? そのお礼だよ」
パチンとウィンクすると、クルトはびっくりして目を見開いた。テオとニナが「わーい」と喜んでクルトの両腕にひっついてくる。
「本当に……僕では野菜や薬草を育てるのはやめておけと止められたからね。クルトが面倒をみてくれるなら、助かるよ」
ニコッと笑うリーンに、クルトはパチパチと瞬きしたあとコテンと首を傾げたのだった。




