公爵子息から平民へ 10
スラム街に住む孤児の兄妹を使用人にするというリーンの想定外の決定に、商業ギルドのギルドマスターヨハンは頭を抱えた。兄妹の身上調査も職員から届き確認したが、犯罪歴もなく、ヤバい組織もバックについてはいなかった。確かにこの兄妹は、このままスラム街で過ごしていたら幸せな未来はないだろう。兄であるテオは成人するまで生きていられるか怪しいし、妹のニナはかわいらしい容姿をしているから、あと何年かしたらスラム街から姿を消すだろう。名を変えて平民街東側の隅にある夜街の店にひっそりと商品として並べられるはずだ。
ヨハンはリーンの生活能力のなさを案じて使用人はもっとベテランの者をと改心させるべきだが、幼い兄妹のこれからを思うと強く言い出せなかった。
「……職人はこちらで手配します。魔道具も最新式のものを設置します。職人との打ち合わせには商業ギルドの応接室をお使いください。……中央から少し離れた場所にある家ですから馬車と馬はどうしますか?」
「いいや、いまはいい。必要になってから考えるよ。ヨハン、世話をかけるついでにテオとニナのことで頼みたいことがある」
リーンはまずテオとニナを今日から同じホテルで寝泊まりさせたいこと。そのために必要な身だしなみと服や靴がほしいこと。そのほかにも細かいことをヨハンに頼みまくる。ヨハンとしてもすべてを快諾し、実際は秘書や職員に手配を任せた。
「あと、冒険者ギルドで護衛の冒険者を呼んでくれないか?」
「リーン様の護衛ですか?」
リーンはフルフルと頭を振り、チラリとテオに視線を走らす。
「この子たちも今まで住んでいたところに取りに戻りたい荷物もあるだろう。だけど、二人でスラム街に行かせるのは心配でね。冒険者を護衛につかせたい」
「リーン様。俺たちなら平気ですよ?」
両手にカップを持ってコテンと首を傾げるテオの愛らしい姿に、リーンはニッコリと笑顔になる。
「今まではね。すでに僕と縁を結んだことを知って、悪企みをしている輩がいないとも限らない。念のためだよ。テオだって持ってきたい荷物はあるだろう?」
リーンの言葉にう~んと考え込むテオの横で、ニナは「ぬいぐるみ」と元気な声で答えた。
「それは大切なものだ。ちゃんと取ってくるんだよ」
「はい!」
ヨハンはテオとニナの様子に口元を緩めながら、冒険者ギルドへと遣いを走らす。スラム街までの護衛。スラム街出身者で高ランク冒険者。条件は子ども好きであること。
無事にスラム街から荷物を取ってきたテオとニナは、リーンと一緒にホテルまで帰る。テオは小さな巾着袋一つ。ニナはヨレヨレのぬいぐるみと赤いリボン一つ。たったそれだけのとても大事な荷物を引き上げ、幼い子たちはもうスラム街には戻らない。護衛を依頼したスラム街出身のBランク冒険者は、二人がスラム街で生活するころには冒険者になって独り立ちしていたが、二人が苦界から脱出できることを自分のことのように喜んだ。そして、リーンに頭を下げテオとニナのことを頼んでいった。
ホテルの支配人ウータはヨハンの手紙を読むと、リーンが泊っている部屋に子どもが好きそうな玩具や柔らかいクッションなどを大急ぎで運び込んだ。
食事も部屋でとれるよう差配し、二人の身だしなみを整えるためメイドが風呂に入れ、理髪師が呼ばれ伸び放しの二人の髪を整えてくれた。
「ふぃ~っ」
「むー」
今日一日振り回してしまい、ホテルに着いたあとも豪華なホテルに気後れしているにも構わず風呂だ着替えだ散髪だとてんこ盛りにしたら、二人はソファーでバッタリと倒れてしまった。
「ふふふ。お疲れさま。もう少しで夕食の時間だよ」
リーンは着替えたあとは、メイドたちと格闘する二人を眺めながら、読書をしたり手紙を書いたりとゆったりと過ごしていた。
「リーン様……すっごい疲れた」
「ニナも」
「そうだね。でもテオとニナもスッキリして、とってもかわいい。明日はヨハンに紹介してもらった店で服を買おう。そのあとは商業ギルドで職人たちと打ち合わせだよ。二人も好きな家具や壁紙、カーテンを選んでいいよ」
明日は二人の服を買うのも楽しみだが、自分も平民の着るような服を買ったほうがいい。ああ……二人の教育に絵本や文房具も揃えよう。読み書きや計算を習いたいとテオが望んでいる。ニナはキレイな絵が見たいだけだが。
「……いいんですか?」
「テオ?」
「俺……本当は何もできない。掃除も……洗濯だって……」
ぐっと唇を噛みしめるテオと兄の姿を不思議そうに見るニナ。リーンとしては、使用人として役に立つからテオたちを引き取ったわけではない。まあ……使用人を雇えとうるさいヨハンたちを黙らせることに繋がると思ったことは否定しないが。
「いいじゃないか。朝は僕を起こしてくれるんだろう? そうしたら一緒に畑仕事をして朝ごはんを作って食べて、掃除して洗濯して……そうして毎日積み重ねていこう。何度も失敗していいから、少しずつできることを増やしていこう」
「……リーン様」
テオは感動していた。スラム街で寝起きしていたころは毎日が怖かった。でも幼い妹を守るために弱音は吐けないし、ご飯も手にいれなきゃならなかった。怖い大人もいっぱいいたけど、一番怖いのは優しい人だった。優しくて裏切る大人が多かったから。
リーンは優しい人だ。だから、警戒するべきだったけど……この人はニナの命を助けてくれた。薬を買ってくれたし食べるものも。ただ与えるだけじゃなくて、テオが受け取りやすいように仕事だと偽って。
「リーン様、俺、頑張ります」
「ニナも!」
「ははは。いいよいいよ。ゆっくりやっていこう」
リーン様は優しい。だから、いつかリーン様の役に立てるよう、しっかりと勉強しようと決意するテオだった。




