人々の意識①
人々の意識
「その後の地球について話そう。ここからの話は、五次元になった地球から戻ってきた魂と、地球へ派遣された記録者から聞いた話だ」
母の咳払いが二、三回録音されている。
「ちょっと待ってね、お茶を入れてくるわ」と母が言った。
数分間の無音の間に、私もカップに入れた珈琲を飲み始めた。
すると「あー」「あむあむ」という喃語が聞こえてきた。
守人がしゃべっているのだ。
『おー、守人すごいぞ、ついに自らの口から話を聞かせてくれる時が来たのか!』と、ちょっとバカなことを心の中で呟いた。
「お待たせ。続きを聞かせてちょうだい」
「連れ去られた百人は、ヒッタイト帝国に送られたそうだ。今のトルコのあたりだ。
その国は、エジプトなど近隣諸国と常に戦いを続けていた。当時はオリエント最強の帝国と謳われた国だ。現代になって見つかった石板の楔文字が、我々の文字と同じことから判明したんだ。
石板には、馬の調教の仕方などが書かれていたらしい。私たちの星には、動物や虫など他の生物が存在しないから、初めて馬を見てとても興味を持ったのだろう。おそらく、テレパシーの能力で、動物とも会話ができたんじゃないかと推測されたんだ」
「さすがに、全く記憶がないわ。動物は好きだけど」
「紀元前千三百年頃の話だからね。その後は、長命だとか、心を読むということで、ヒッタイトでは迫害にあい、インドやチベットの山奥へ移動したそうだ。黒髪など容姿が似ている民族に上手く紛れ込んで生活していたが、空気から栄養を取れなくなった仲間は、食事をとるようになって命が短くなり、次々とこの世を去っていったのだ」
「みんな死んでしまったの?」
「そうだ。全員が一度肉体を離れることになった。しかし、この地球は、何度でも地球に転生する仕組みになっているんだ。皆はまた生まれ変わってきたよ。君も知っているだろう、あのキリストでさえ、もう五回も転生している。ああ、ブッダもだ」
「ブッダは解脱できたんだと思っていたわ」
ばっちゃん、ツッコミどころは、キリストの方だよ!
キリスト教は、輪廻転生はないという教えだったよな。この話、まずくないか? おっと、そうだ、この話はファンタジーだった。そうだそうだ、そんなことを気にすることはないな。
「誰もこの地球から外に出ることはできなかったんだ。地球上の人々は、他の星を知らないから、欲にまみれ、奪い合い、戦い合い、恐怖の中で生きていたんだ。そんな中で、私たちの仲間は、何度生まれ変わっても、第二の使命である『地球の次元上昇のための響き』を必ず習得していたんだ。ある者は、毎日インドのマントラを響かせ、ある者は毎日聖歌を響かせた。私は、この話を聞いた時、胸が張り裂けそうになったよ。記憶を失っても魂の使命は忘れない。私たちの仲間を誇りに思うよ」
「私も今世のことしかわからないけれど、毎日歌を歌い続けたわ。私の肉体は、その響きでいつも振動したの。私も魂の使命をちゃんと果たしていたのね」
「ああ、ライラもよくやってくれた。本当に誇りに思うよ。西暦2000年になっても人々の意識は、とんでもなく酷いものだった。宗教があるにもかかわらず、全く役に立っていないどころか、害を及ぼしていたんだ。人々に『悪いことをしたら地獄へ落ちるぞ』『お布施をしなければ、家族に不幸が起こる』などと脅しばかりの宗教だ。そうかと思えば、莫大な富を得て、好き勝手に生きている者、お金のために病気になっても嫌な仕事を辞められない人。どんなに理不尽な扱いを受けても耐え忍んでいる人。自分の頭で考えず、命令にただ従うだけの役人。迎えが来るのをただ待っているだけの老人。地球に住んでいる人々は、いったいどうしたというのだ。それぞれの魂に従って生きれば、こんなことになるわけがないんだ。自らの命を輝かせ、皆の役にたてるというのに……」
「地球人は、魂にアクセスする方法を知らないと思うの」
「自分の内側にアクセスできないというのか?」
「ええ、私もそうだったわ」
「どうやってアクセスできるようになったんだい?」
「はっきりとはわからないけど、ひどく体調を崩したことがあったの。這うようにして、トイレに行って、ドアノブを持って立ち上がった時、ふっと魂が外れた気がしたの。本当にほんの一瞬よ。この肉体から魂が離れた時、とても魂は軽やかなんだと思ったの。肉体が魂を苦しめているんじゃないかと感じたの。それからは、食べるものに気を付けたりしたわ。魂を苦しめたくなかったの。そうそう、こういうこともあったわ。私がまだ若い頃に、ヨガの体験に行ったことがあるの。その時、初めて瞑想をしたら、とても美しい湧き水のビジョンが見えたの。あの有名な三島の湧き水のように、砂を持ち上げる湧き水が水生植物をゆらゆらと揺らしているの。陽の光が水面をキラキラと輝かせていたわ。私は目をつむっているのだけど、手を延ばせば、水に触れるかのようだった。それから、ヨガの瞑想にはまったの。宇宙に飛び出して行ったこともあったのよ。」
「宇宙に? それだ、それだよ、ライラ! 私が、初めてライラを発見して大喜びした話を覚えているかい?」
「ええ、ケイリーと抱きあって喜んだ話ね」
「ライラの魂を宇宙の中で発見したんだ。そうか、瞑想をしていたんだな」
「ヨガの目的が瞑想なのよ。瞑想することで、魂と繋がり、悟りを目指すものなのよ。インド発祥のヨガだけど、もう随分前から、日本でも他の国でも盛んよ。私は、なんとなく宗教だからやめてしまったけど、瞑想だけは毎日欠かさないわ」
「魂にアクセスする方法が瞑想ということだな」
五秒ほど無音
「ライラ、少し眠たくなってきたみたいだ、話の続きは明日にしないか」
瞑想か……。俺もヨガをやってみるかな。最近中年太りで下っ腹も出てきたし、体も固くなってきたし、一石二鳥かもしれないな。
さてと、今日はすっかり遅くなってしまった。肩甲骨も固まってきたし、そろそろ私も休むとしよう。
私は、肩を三度回してから、布団にもぐりこんだ。
翌朝、愛歌の家にボイスレコーダーと数日の会話を印刷したものを持って行った。
「おはよう、愛歌」
「おはよう。ボイスレコーダー、預かるわ」
「最近愛歌、会話の内容を聞けてないんじゃないか?」
「そうなのよ。一つ聞き逃すと、飛ばして聞けなくて」
「そうだろうと思って、今日は書き起こしたのを印刷してきたよ」
「えっー、お父さん、気が利くー」と言って、印刷した紙を見た愛歌は、読み始めてすぐに
「お父さん、これダメだわ。字が小さすぎて、産後の私にはちょっと厳しいわね」
「そっか……。よし、俺が読んで聞かせてやるよ」
「ほんとに? じゃあ、ホットサンドを作ってあげるわ」
「それは、ありがたいね」
愛歌は台所へ向かった。
私は、玄関で靴を脱いで居間に行って守人の顔を見た。
守人は、ご機嫌よく、目の前にぶら下がっているモビールを眺めている。このモビール、よく見かけるモビールとはちょっと違う。愛歌が、モンテッソーリ(オルタナティブ教育)のモビールを買ったと言っていたから、多分そうなんだろう。モンテッソーリもついにこんな田舎にまで浸透したか。俺は、都会生まれの都会育ちだから、もちろんモンテッソーリの幼稚園に通ったけどな。まあ、自慢するようなことは何もないよ。通っている本人は、他の幼稚園と比べたこともないわけだから、特別賢くなったとか、すごく楽しかったとか、そういう記憶はまったくないからな。まあ、母に言わせると、母自身の成長に大いに役立ったそうだ。愛歌にその話をしたんだろう、愛歌もそれを取り入れたようだな。
「お父さん、ブラック珈琲にする? カフェオーレにする?」
「えーっと、カフェオーレにするよ。手伝おうか?」
「うん、じゃあ、珈琲をお願い」
私は、台所へ向かって珈琲を入れる準備をした。
ホットサンドの香ばしい匂いが食欲をそそる。それに付け加えて、珈琲の香りが私の頭に活力を与えてくれるようだ。
出来上がったホットサンドとカフェオーレを居間に運んだ。
「いただきます!」と合掌した後、ホットサンドに大口でかぶりついた。
「久しぶりのホットサンドだ、うまいなー、愛歌は、ホットサンドづくりの名人だよ」
「そう? まあ、ホットサンドは、中学生の時の土曜日の朝ごはんの定番だったものね」
「このツナマヨキャベツが最高に美味いんだよ」
「お父さんは、これ専門ね。私は、ハムチーズとか、トマトチーズが好きだけどね」
「おー、チーズ入りもうまいよな」
久しぶりのホットサンドで、親子三人で一緒に暮らしたあの頃を思い出していた。
「そういえば、母さんは最近どうしているの?」
「母さんの銀行で、初の頭取になったそうだよ」
「えーっ、ビックニュースじゃん。テレビのニュースにならなかったの?」
「今更だろ? 男女機会均等法ができて何年経つと思っているんだ。半世紀だぞ」
「そうは言っても現実は、女性にとって厳しいのよ」
「わかっているさ。でもあの銀行は遅れすぎなんだよ」
「あー、これでまたお母さんは忙しくなるわね。一人で大丈夫かしら?」
「俺がいるより気楽でいいさ」
「そうね」
「あっさり言ってくれるなぁ。普通は、そんなことないよとか言わないか?」
「ふふっ、そんなことないよ。寂しがっていると思うよ」
「もういいよ。さて、そろそろ読み始めるか、どこから聞いてないんだっけ?」
「私が散髪に行った時から」
指を舐め舐めしながら、印刷した紙をめくった。
「あっ、ここだな」
愛歌が、私の方へ寄ってきて紙を覗き込んだ。
「愛歌は、見なくていいんだよ」
「あっ、そうだった」と言って、また離れた。
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