(後編)探偵は、十六歳①
美しき星(後編)~あなたは、魂の声を信じられるか?~
探偵は十六歳
「るりどり出版の山田と申します」
登録のない番号からだった。清田さんが、早速新しい編集者を紹介してくれたのだろうか?
「はい、初めまして……えっと……」
私は、相手の様子をうかがうように答えた。
「あの、本日は、先生に帯の執筆をお願いしたく連絡をいたしました」
「えっ? 私が、帯を書くのですか?」
「ええ、作家先生のご希望なのですが、いかがでしょうか?」
「はぁ…… 作家さんのお名前は?」
「浅間さくらさんと言いまして、ミステリー小説を書かれていらっしゃいます」
「浅間さくら……」
私の小説とは、分野が違うので、その名前には聞き覚えがなかった。
「本のタイトルは『探偵は十六歳』」
「ええ? 『探偵は、十六歳!』」
昨日、清田さんから翻訳本をもらったばかりの、母の本と同じタイトルだった。
「ご存じですか?」
「いえ、こちらの本は知らないです」
「こちらの本?」
「あっ、いえ、こちらの話です。すみません、なんでもありません」
「あの、どうか一度、本を読んでいただくことができますでしょうか?」
「ええ、いいですよ」
「では、早速お送りしますので、よろしくお願いいたします」
私は、母の本と同じタイトルというだけで興味を持った。
ミステリー作家だったという母が書いた『探偵は、十六歳』。一体どんな内容なんだろうか。
もう少し後でゆっくり読もうかと思ったが、本棚に立てた母の本に手を伸ばした。この本には、さすがに帯はついていない。清田さんがわざわざ私のために楔文字を日本語に翻訳してくれた本だ。表紙は、美しき星で出版された本の表紙をコピーしてつけてくれていた。
挽きたての珈琲をやや濃いめに淹れて、母のミステリー小説『探偵は、十六歳』を開いた。
『サージュ探偵事務所』と木板にレーザーで書かれた看板は、昨日取り付けたばかりで、朝日に照らされて反射した光が眩しかった。その看板をじっと眺めているのは、この探偵事務所の主、サージュだ。
彼は、眉目秀麗、十六歳にして探偵事務所を立ち上げた、若き事業家である。
事務所は、玄関から中が良く見える設計になっていた。水色を基調にした内装は、探偵事務所にしては、清々しさを感じさせる。応接は、水色とグレーのバイカラーのソファーが彼のセンスを引き立たせていた。あとは木製デスクが2つあるだけのシンプルな事務所だ。
彼が玄関を開けると、助手のプラトンが、すぐさまサージュに言った。
「先生、お客様がお待ちですよ」
奥のソファーには、上品そうな婦人が一人腰を掛けていた。
「ええっ? 先生ということは、この方が、探偵さんですか?」
彼女は目をパチクリさせている。
「ええ、こちらの方が、サージュ探偵事務所サージュ先生です」
「では、あなたは?」
「私は、助手のプラトンと申しまして、先生よりかなり年上なもので、よく間違えられてしまうのですよ。ハハハハハッ」
プラトンの貫禄のある笑い声が、事務所内に響いた。
「プラトンさん、何の説明もされなかったのですか?」
「ええ。今、事務所のカギを開けたところで、少々お待ちくださいとお伝えしたところです」
「そうですか……。では、早速、お話をお伺いしましょう」
サージュは、そう言うと椅子に腰をかけた。
上品そうな婦人は、まだ不安そうな顔をして、助手のプラトンを見ている。それを察して、プラトンが言った。
「えっと、大丈夫ですよ。サージュ先生は、こう見えて非常に優秀で、既に何十件も問題を解決されていらっしゃいますから」
「そうなんですね……」
サージュは、彼女が話を切り出すのを待つために、机の上の書類を整理している。
彼は、少し待ってみたが、彼女はなかなか話し出さないので、彼の方から話を切り出した。
「私に、お話しするのが難しいようですね。助手のプラトンは、妻も子供もおりますので、プラトンにお話しをされますか?」
夫人は、目を見開いて、サージュを見た。
「先生、どうして、そのようなことを言われるのですか?」
「間違っていたら、すみません。私に話しにくいことではないかと推測したものですから」
「ええ、先生、その通りですわ」
私は、ここで栞を挟んで本を閉じた。
身内が書いた小説を読むのは初めてだった。普通は、何となく気恥ずかしい思いになるのではないかと思うが、私はそうはならなかった。なぜなら、私には母との記憶が一切ないからだ。いや、一度だけ記憶というほど確かなものではないが、オリジン装置を起動させたときに、母との別れのシーンを走馬灯のような映像として見たのだ。私は、その母の姿を思い出してはいたが、一人の作家の作品として、純粋に、そして新鮮に読み進めることができていた。
次の日、るりどり出版から、浅間さくら氏の『探偵は、十六歳』の本が届いた。
私は、早速本を開いた。
『サージュ探偵事務所』と木板にレーザーで書かれた看板は、昨日取り付けたばかりで、朝日に照らされて反射した光が眩しかった。その看板をじっと眺めているのは、この探偵事務所の主、サージュだ。
彼は、眉目秀麗、十六歳にして探偵事務所を立ち上げた、若き事業家である。
「ええっ、これは、どういうことだ?」
母の書いた小説と全く同じではないか。私は、すぐに母の本を開いて見比べてみた。次のページも、その次のページもほとんど同じだ。多少、言い回しに違いはあるが、文脈はほぼ同じだった。
こんなことってあるのか? 母の本は、美しき星の言葉で書かれており、それを清田さんがあの星で翻訳してくれた。それを先日受け取ったばかりだ。この地球に存在したのは、ほんの三日ほどなのに……
まさか、清田さんがこの中身を彼女に漏らしたのか? いや、もしかすると清田さんは、翻訳するのが面倒で、浅間さくら氏の同名の本を母の本だと言って私に渡したのか? いやいや、さすがに清田さんに限って、そんなことはないよな……
私の頭の中はミステリー状態に陥っていた。
とにかく、一度その怪奇なことは横に置いて、私は、浅間さくら氏の小説を読み進めることにした。
物語の中で、奇妙な事件が起こるたびに、私は話の続きをすぐにでも知りたくなり、次々と読み進めていった。十六歳という若き青年が、鋭い洞察力で、大人たちの推察をバッサリと否定し、次々に事件を解決していくのはとても痛快であった。
「るりどり出版の山田と申します。『探偵は、十六歳』、読んでいただけましたでしょうか」
「ええ、読みましたよ」
「いかがでしたか?」
「ええ、面白かったです。テンポもいいですし、事件がとても怪奇で意表を突いていて、楽しめました」
「ですよね。私も日本人では書けそうにない意外性のある作品かと思っているんです。それでですね、浅間先生が、一度お会いできたらとおっしゃられているのですが、ご都合はいかがでしょうか?」
「時間は大丈夫ですが、東京ですよね?」
「いえ、実は、浅間先生は、先生のご自宅の近くにお住まいなんです」
「えっ、こんな田舎に?」
「ええ、つい最近ですが、東京から移住されまして、そちらの町に住まわれているのです」
「それでしたら、いつでもお会いできますよ」
「ありがとうございます。では、日程を調整して改めてご連絡いたしますので、よろしくお願いします」
彼女は、この町に住んでいるのか。もしかして、どこかで出会っていたりして。そんなことを思いながら、日課の珈琲豆を挽き始めた。
今日の豆はマンデリンだ。インドネシア産か…… インドネシアと言えば、毎度のことだが、美しき星での翻訳機を思い出すよ。なんで、地球の言葉が、英語ではなく、ジャワ語しかなかったのか。私は、思い出して一人鼻で笑っていた。
電話が鳴った。着信画面を見ると、るりどり出版の山田さんからだ。同時に、玄関の呼び鈴も鳴った。
「はい」と電話に出ると
「るりどり出版の山田です。先ほどの件ですが、実は、今からお宅へお伺いすると言われまして」
私は、携帯電話を耳に当てながら、玄関のドアを開いた。
「急にお伺いして申し訳ございません。浅間さくらと申します」
「来られましたよ、今、目の前にいらっしゃいます」と私は、電話に向かってそう言った。
「そうですか、では、すみませんが、よろしくお願いします」
るりどり出版の山田さんはそう言って、すぐに電話を切った。
「あの、お時間、大丈夫でしたか?」
「ええ、まあ、いつでも暇ですから大丈夫ですけど……。よかったら、入られますか?」
「はい、ありがとうございます」
浅間さくら氏、本に書かれていたプロフィールには、四十四歳となっていたが、三十代前半、いや二十代と言われても誰も疑わないのではないかと思うほど若く見える。小柄な体格で、若い女性が好みそうな服装なのもそう思わせているのかもしれない。
「いい香りですね」
「珈琲は、お好きですか?」
「ええ、執筆の合間によくいただきます。飲みすぎるくらいです」
「私もです。やめられないですよね」
「わかります」
「あっ、どうぞ、こちらへ」
いつも使っている居間兼執筆室へ彼女を案内した。
「ブラックですか? 砂糖を入れますか?」
「ブラックで大丈夫です」
私は、お客様用のカップとソーサーを久しぶりに出した。いつもは、珈琲の渋がついてしまっても気にしない、お気に入りの白いマグカップで飲むのだが、今日は、花柄のカップを使用した。
「先生の作業部屋は、ここですか?」
「ええ、すみませんね、机の上にいろいろと出しっぱなしで」
「いえ、片付いている方です。うちは、本棚がいくつもあって、それぞれに、二重三重と本を立てていますので、圧迫感がすごいんです」
「へー、そんなに本を読まれるんですね」
「トリックも考えるので、専門書とかも増えてしまって」
「なるほど、その点、私の小説はファンタジーですから。ハハハハッ」
「いえ、先生の本は、何といいますか、まるでノンフィクションのようで、本当に起こっていることを見て書かれているのかと思うほどです」
私は、ドキッとした。確かに、私が体験したことを書いただけの本だったからだ。私は、自然と話をそらすため、彼女に珈琲を勧めた。
「さあ、こちらへおかけください。今日の珈琲は、マンデリンです」
「うわぁ、私の一番好きな珈琲です。深いコクとこの香りがいいんですよ」
「なかなかの通ですな。女性でこの苦みが好きな方がいるとはね」
「ずっとモカが好きだと思っていたのですけど、マンデリンに出会ってからは、こういう味の珈琲が好きだったんだと気付いたんです」
「そういうことって、ありますよね」
そう言いながら、私は机の上に出しっぱなしにしていた、本やノートを片づけ始めた。
「あっ!」
彼女が急に私の手首を握った。
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