婚約者に「どうせ俺の顔しか見てないんだろ!」と言われましたが、あの、私盲目なんですが?
「お前はどうせ俺の顔しか見てないんだろ! こんな婚約、破棄してやる!」
なぜか怒っている婚約者のアルベルトから、私は怒鳴りつけられた。
「あ、あの……、アル様?」
「どいつもこいつも、俺の顔が好きだとばかり言って、そうやって気色悪い目で見られる側の気持ちなんか考えちゃいない」
アルベルトは親の決めた婚約者である。元々極度に顔がいいらしく、様々な女性や一部の男性から追いかけ回されて疲弊していたところへ、変な相手に取り込まれたら敵わないとアルベルトの父である公爵様が決めた婚約者が、私、セシリア・ローンバーグ侯爵令嬢なのだ。
「父にどうやって取り入ったかは知らないが、どうせお前だって俺の顔しか見ていないんだ」
なぜか悲劇のヒーローぶって、アルベルトは嘆いていた。よっぽど顔のことであれこれ言われて、心を病んでいるのだろうか。
「あの、お言葉ですが、アル様。私は盲目ですよ?」
「は? 何を言ってるんだお前」
婚約するときに公爵様が説明していたと思うのだけれど、まさかこの人、聞き流していたの?
「私は音波魔法を使って音の反響で周囲を探っているので、目が見える方と大差ない活動は出来ますけど。元々十年前に起きた王立魔導研究所の魔法事故に巻き込まれて、視力を失っています」
「なっ、なっ、なんだと! そんなこと俺は聞いていない!」
「研究所の事故は不祥事なので私の視力のことも公にはなっていませんけど、アル様には公爵様から説明されているはずですよ?」
私がそう言うと、アルベルトは虚空を睨んで過去の記憶を一生懸命思い出そうとしている様子だった。
「そういえば何かごちゃごちゃ言っていた気がする」
父からの婚約者についての話をごちゃごちゃ言ってたとか、ろくに聞いていないのは流石に良くないのではないだろうか。
よっぽど最初からこの婚約が気に食わなかったみたいだけど。
「だ、だってお前が俺の顔を気に入ってゴネた結果の婚約だと思ってたんだ! そんな婚約最初から嫌だったから」
「ああ、はい。まあわかりました。婚約破棄の件は受け入れます」
「は? い、いや、別に目が見えていないならむしろ婚約は破棄しなくていいというか……むしろ都合が……」
目が見えないと知った途端、顔が良すぎることに複雑な感情を持っているらしいアルベルトは私との婚約破棄を躊躇し始めた。いやでもさ、今までずっと冷遇してきたじゃないですか。私が手紙を送っても無視。贈り物をしても無視。お礼も言わない。
どうにか婚約者と親しくなろうと努力してきたけれど、流石にもう、我慢の限界ですって。
「いえ、婚約は破棄しましょう。今日のことはお父様に報告します。父は盲目となった私を憐んで大層可愛がってくれているので、受け入れてくれると思います」
「ちょ、ちょっと待っ!」
アルベルト様を無視して、侯爵家の馬車に乗り込む。
色々ともう、疲れてしまった。どれだけ努力しても、最初から顔目当てだと決めつけていたから冷遇していたのね。そんな関係をどうにかして良くしようと努力してきた自分が報われない。
可愛がってくれているお父様の決めた婚約者だからと、一生懸命に関係改善を図っていたけれど、もういいや。
私の言葉は彼には届かなかった。それが全てだ。
「というわけで、お父様、アルベルト様との婚約を解消したいのです。今までお手紙や贈り物をしたり、繰り返しお茶に誘ったりしてなんとか関係改善を図ってまいりましたが、それも頭ごなしの決めつけで蔑ろにされていました。流石にもう限界です」
「な、なんだと! あの小僧、私の可愛い可愛いセシリアになんてことを!」
お父様は怒っているけれど、流石にそれは宥める。婚約関係が上手くいかずに破綻したくらいで、相手に報復なんてするもんじゃない。
私はスッパリとアルベルトと親しくなることは諦めたけれど、別に恨んでいるわけではないのだ。ただ疲れてしまっただけで。
そうして私は、晴れて自由の身となった。
これまで、お稽古事や社交の予定が入っていない日は、アルベルトに送る手紙の内容を考えたり、贈り物として刺繍をしたりしていたけれど、もうそんなことをする必要もない。
「久々にお買い物にでも行ってみようかな!」
音波魔法で街歩きには問題のない程度に周囲を把握できる。貴族街にある高級店の立ち並ぶ通りなら、治安もいいし出歩いても問題ないでしょう。
念の為護衛を引き連れて、私は馬車へと乗り込んだ。
「ふんふんふふーん」
商店通りに到着して、お菓子やお花なんかを買っていこうかと考えながら、ご機嫌に鼻歌なんか歌っちゃう。
「そこの女! 待て!」
すると突然、知らない男の声がして、私の行手を阻んだ。
さっと、護衛が私を守るように背に庇う。
「な、なんですか?」
「護衛つき、貴族令嬢か? 私は魔導騎士団第一部隊隊長、ジョルジオ・グリレオンだ。貴女から微弱な魔力波動を感知した。こんな街中で、一体何をやっている?」
厳しい声で尋ねられる。私の音波魔法の魔力を感知するだなんて、相当の手練れなんだな、と感心した。
グリレオン家といえば、武勇で有名な辺境伯の家名だ。グリレオン家のご子息が、魔導騎士団で要職についているのだろう。
「少し、外では憚られる話なので、あのお店に入りましょう」
貴族もよく利用する高級店だ。私も顔は通っているはずだから、空いていれば個室も用意してもらえるはず。
「わかった」
私は音波魔法で周囲を探りながら、お店に入って行った。
「紅茶を二つ。それから、私はレアチーズケーキをお願いします」
せっかくだもの、甘いものだって食べなくっちゃね!
ジョルジオ様からは少し呆れたような気配がしているけれど、知ったことじゃない。
「それで、どうしてあんな街中で魔法の波動を放っていたんだ? それも、周囲に向かって」
「十年前の王立魔導研究所の魔法事故は知っていますか?」
「ん? ああ、もちろん知っているが」
突然変わった話に、戸惑いつつもジョルジオ様は頷いた。
「あの魔法事故の時、たまたま近くにいた私は巻き込まれて、視力を失ったのです。それ以来音波魔法を極めて、音の波動とその跳ね返り方で周囲を把握しているのですわ」
「なっ、音波魔法だって!? そんなものが。それに君は盲目だったのか。全く気づかなかった」
ジョルジオ様は驚いた様子で私の目をまじまじと見ているようだ。細かい顔立ちなどは音波魔法では把握できないけれど、挙動くらいはわかる。
私の目はあの事故以来薄い白銀色になっているから、それで不気味がられることも多いのだけれど、ジョルジオ様に怯んだ様子はない。
「そうだったのか……、目が見えなくて大変なところに、いきなり怒鳴りつけたりして申し訳なかった」
ジョルジオ様は高位貴族の子息らしからぬ誠実さで頭を下げてくれた。そうそう、アルベルト様もこういう反応をしてくれていたら、一気に婚約解消まで決心しなかったかもしれないのに。
今まで冷遇してきたことに対する謝罪と、これからは関係改善を頑張りますとさえ言ってくれれば私も……。いや、今更こんなこと考えても意味ないわよね。
私が物思いに耽る一方、ジョルジオ様も顎に手を当てて何か考え込んでいる様子だった。
「すまないが、少しこの周囲に防音結界を張ってもいいだろうか?」
「え? はい。構いませんが」
防音結界があると、結界の向こうの様子は把握できなくなるが、まさか魔道騎士団の隊長ともあろうかたが変なことはなさらないだろう。
そう思い、許可を出す。
「実はあなたの音波魔法をぜひ我が騎士団に伝授していただきたい。夜間の作戦行動時に、光がなくても周囲の環境を把握できる魔法があるならぜひ習得したいのだ」
「な、なるほど……」
軍事転用、ということだろうか。私はそんな風にこの音波魔法が活用できるという可能性は全く考えていなかった。
でも、役に立つかもしれないというなら協力すべきよね。
その日から、ジョルジオ様と魔導騎士団の方達に音波魔法を伝授するため、臨時の訓練教官として私は騎士団の詰め所に通うようになった。
急に婚約破棄になって、今までアルベルト様のために割いていた時間がぽっかりと空いたのだ。その隙間の虚しさを埋めるのにちょうどいい忙しさだった。
「音波魔法では、人の耳に聞こえないぐらいの高さの音を放射状に放って……」
「そうです、跳ね返ってきた音を魔法で再構築して環境を把握するんです」
ジョルジオ様はとても優秀で、私の指導であっという間に音波魔法を身につけてしまう。
ついに臨時の訓練教官としての任務も最終日となっていた。なんだか、少し寂しい。
「セシリア! 婚約破棄の件を考え直せと何ども手紙を送っているだろう、なぜ無視をするんだ!」
最終日、ジョルジオ様たちと別れを惜しんでいると、誰かから私の居場所を聞いたのか、アルベルト様が突如現れた。
「君は……」
ジョルジオ様が困惑したようにアルベルト様を見る。婚約破棄の件は、ジョルジオ様に愚痴を言ったこともあるから知られているけれど、アルベルト様の剣幕に驚いたみたい。
「私の気持ちは変わりません。アルベルト様は大層女性たちから人気なのですから、新しい婚約者を探されればいいではないですか」
「だからそれが嫌なんだ! 顔しか見ていない連中となんて婚約できるか!」
「私のことも、顔しか見ていないと思い込んでいたではありませんか。中身を見ていないのはアルベルト様も一緒では?」
「それは……」
黙り込むアルベルト様に、ジョルジオ様が厳しい目を向けた。
「君はセシリア嬢を傷つけたようだが、それに対してはちゃんと謝ったのかい? 相手を傷つけても謝罪できないようでは、関係の改善が望めないのも仕方のないことだよ」
「ジョルジオ様、ありがとうございます」
ジョルジオ様が庇ってくれて、アルベルト様は何も言い返せなくなったのか、顔を熱くして去っていく。最後まで、今まで冷遇してきたことに対する謝罪の言葉は聞けなかった。
「はぁ……」
思わず私がため息を吐くと、ジョルジオ様は気遣わしげな眼差しで私を見て、それからそっとジャケットの内ポケットに手を差し入れた。
「少し邪魔が入ってしまって、渡すタイミングを見失いかけたけれど、今日まで騎士団のために協力をしてくれてありがとう。これは俺からの気持ちだ」
ジョルジオ様が渡してくれた小さな箱の中には、二つの耳飾りが入っていた。
「まあ! これは……」
「音波魔法の効力を上げる魔道具だ。何かと不便な生活も多いかもしれないが、困ったことがあったらいつでも俺に言ってくれ。必ず助けに行く」
その言葉に、私の血流は全部が頬に集まってしまったのではないかと思うくらい、顔が熱くなった。
私は、目が見えない。人の顔だなんてわからない。だからこそ、その声音の優しさが直接伝わってくるのだ。
新たな恋の予感を胸に、私はそっと耳飾りを自分の耳につけたのだった。