吸血鬼を恨む男
男には妻と5歳になったばかりの娘がいた。
妻とは大学で出会い、卒業から3年後に結婚した。
その2年後に娘を授かった。
男は元々大手証券会社で働いていた。
巧みな話術で信用を獲得し、時には騙してお金を稼ぐそんな毎日。
だが、妻と娘の為なら頑張れた。
歩くだけで汗が噴き出すような、娘の誕生月だった。
男の家が吸血鬼に襲われた。
仕事からの帰り道、駅のホームで警察から連絡を受け、彼の頭は真っ白になった。
その日は珍しく電車が少し空いていた。
席にも座れたが、彼は座らなかった。
男は電車のドアの前で手すりに掴まって到着を待った。
真夏だというのに全身が冷え切って視界が真っ白になり、立てなくなりかけたが、座って優雅に到着を待つなんて出来なかった。
病院の最寄り駅についた男は一目散に駅のホームに降り立ち、震える手で定期券を持って改札を駆け抜けてタクシー乗り場に向かった。
タクシー運転手に病院名を伝え、到着するやいなや素早く支払いを済ませて病室へ走った。
妻と娘は顔に白い布を乗せて寝ていた。
2人の枕元に涙を流す義父母の姿があった。
葬儀を終えた後、引き継ぎを済ませて男は会社を辞めた。
それから1年の間、実家に引き籠もった。
起きて食べて寝て食べて寝て食べて入浴して寝る。
それをひたすら繰り返した。
将来の為の貯金を切り崩し、受け取りを拒む両親に無理矢理渡し続けた。
もう必要無かった。
持っているだけで虚しくなった。
何時だったか、妻と話した事があった。
パートナーが死んだらどうするか。
妻は男に再婚して幸せになって欲しいと言った。
でも彼はそうしなかった。
2人が居ない世界で幸せになる意味を見出せなかった。
彼は死ぬまで孤独なのだろうと、そう思った。
『君には才能がある。是非、うちで働かないか?』
年に1回の定期検診の翌日、彼のもとにGAVAから連絡が届いた。
そして自分には人造吸血鬼になる適性があると言われた。
男は迷わなかった。
その日、彼は死に場所を見つけた。
いつか来る終わりまで戦い続けようと。
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(……今日か。)
長谷川は覚悟を決めた。
目の前に居る黒い装束を纏った吸血鬼はこれまでの10年、彼が見てきた吸血鬼達を遥かに凌駕していた。
ヴラドに直接血を与えられた個体か、それに近い存在だと直感した。
そんな個体に遭遇した時には全員に知らせ、逃げるべきだ。
だが意識を逸らす余裕は無かった。
背後に倒れる腕を両断された部下に視線を送ることも、通信機を起動する事も出来ない。
その一瞬の隙で敵は自分の喉を掻っ切る事が出来るだろうと長谷川は分かっている。
「汐原君。この場を離れて、部屋を出たらすぐに現状を報せてください。頼みますよ。」
「ッ…」
立ち上がりバタバタと駆けていく足音、ギィというドアの開く音、カツカツとコンクリートの階段を降りていく音を聞きながら長谷川は安堵した。
「優しいっスね。」
「巻き込みたくないだけですよ。」
「素直じゃないなぁ。」
長谷川に油断はなかった。
だが彼が瞬きをした瞬間、吸血鬼の姿が消えた。
そして月明かりを反射して煌めく刃が鼻先に迫った。
ギリッ…ガキンッ!!!
「おぉ。」
「ッ!」
だが長谷川は放たれた突きを右手の剣で逸らし、左で払った。
無駄の無い動きで捌き切ってみせた。
吸血鬼の劣化版だと侮っていた相手が自分の予想以上に動けた事に、吸血鬼が少し驚いた表情を見せる一方で、長谷川は耳に違和感を覚えた。
ベチョ…
手をやると、そこには何も無かった。
「仕留めきれなかったスけど…通信機ごと貰いましたよ。」
視線をやると、小さな刃物の先に引っ掛かる肉塊が見えた。
「……」(あの派手な戦い方も、別の武器に意識を向けさせない為だったのか。)
「これで君は、来るかも分からない希望に縋らなきゃいけない。」
「私の部下を逃がした事を忘れているんですか?そして此処は最上階…逃げ場は無い。来る可能性の方が限りなく高い。」
「普通はそうでしょうね。ただ、今頃は逃げ出した吸血鬼の対処に手こずってるんじゃないスか?」
「逃げ出した?」
その言葉が意味する事は、長谷川には1つしか思い当たらなかった。
だが輸送車には常に2人以上の護衛がおり、更に狙撃班のが見張っている筈だ。
「…殺してきたのか。」
「えぇ。侵入するの見られたくなかったんで。」
「…そうですか。所でその鋏、そのままでいいんですか?」
「ん?」
長谷川に指が差す場所へ視線を送ると、先程まで人すら斬れる程鋭利であった鋏の形が歪み、地面に垂れ流れ始めていた。
「ッ!」(形が歪んでいる。これ…)
「電撃ですよ。」
「うわ…やな武器だこと。」
長谷川の剣の1つ、向日葵は刃に電流を流しており、斬りつけた相手の動きを制限する。
なにより電撃は体外での血液操作に対して無類の力を見せる。
血液同士の結合を歪ませ、構造の維持を困難にし崩壊させる。
「そういう武器持ってるなら…尚更、速めに片付けなきゃ。」
吸血鬼は血液操作で大鋏を修復し、閉じた大鋏による突きを放つ。
単調でも力技でゴリ押せる戦力差だと判断していた。
その戦力差を知っているが故に、長谷川は左の剣を備えている。
名を檜扇。
向日葵の様に電撃を放つ訳でもなく、刃渡りもかなり短い。
だが特殊な機能を備えていた。
「《Open》」
それが変形。
長谷川の声で変形し、扇状になる。
扇面には軽くて強度に優れるカーボンファイバーを使用。
吸血鬼の攻撃は突如出現した扇面に受け止められる。
ギチギチッ…
「盾?てか抜けな─」
「いえ、あくまで扇です。《Close》」
ガシャンッ!
さらに扇面を粗い網目状にする事で相手の武器を絡め取り、長谷川の声に応じて扇が閉じると扇の骨、つまり刃が相手の武器を挟み込んで更に縛り付ける。
ガリッ!!
そうすれば後は、右手の剣で頸を斬り落とすだけだ。
「いっ!?」パチャンッ!
吸血鬼は血液操作を解除して鋏をもとに戻し、檜扇による挟撃を往なして距離を取った。
「あぶなぁ…そっちも便利な武器っスね。羨ましい。さてと─」
吸血鬼は完全に評価を改めていた。
人造吸血鬼とは吸血鬼に近しい力と人の技術の両立を可能としており、自分達の脅威に成り得ると。
「少し本気を出すんで…頑張って。」
10階の床が凹み、長谷川の横を吸血鬼が目で追いきれない程の速度で駆け抜けた。
いや跳躍に近いだろう。
カラン…
長谷川の右手から剣が落ちた。その理由に長谷川はすぐに気付いた。右手から親指が斬り落とされた。
「………」
「これで握れな─」
だが長谷川は冷静に血液操作で武器を手に縛り付けた。
「…使えるんスね。」
「出来ないと言った覚えは無いのですよ。」
「だってアンタ、再生能力低いっスよね?再生能力無いのに血液操作出来る奴なんて見た事……まさか、わざと治してないんスか?」
「わざとではありません。ただ…生きたいと本気で望めない私に傷は治せない。それだけです。」
「ふ〜ん…けど、それじゃ勝ち目は無いっスよ。」
「……勝てるとは…思ってませんよ。」
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人造吸血鬼は現在も日本以外では運用されていない。
長谷川が入隊した当時は国内でも賛否が分かれていた。
だがアジア圏で増加する吸血鬼達に対処する為に各国からの支援金も出る為、給料は増え続けるし、戦う敵は増え続けるので長谷川にとってはやり徳だった。
そして幸運な事に長谷川には吸血鬼としての才能があった。
あらゆる武装のマニュアルを読み込み、最悪を想定して行動する。
だから彼の所属する部隊は死者が殆ど出なかった。
他の隊長や有栖総隊長すら彼の下で学んで今の役職に就いている。
彼自身もこれまでGAVAで積み上げられてきた吸血鬼退治のノウハウを物凄い速度で吸収していき、実績を上げてドンドン昇進し気付けば隊長になっていた。
また彼の作成したマニュアルは、新人に必ず支給され、講義の教科書にされていた。
全ては過去のトラウマから産まれた恐怖からだった。
心から生きたいとは思えない。
だが自分を慕ってくれる人達が、自分より若い子達が死ぬ姿を見たくなかった。
最初に死ぬのは自分が良かった。
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吸血鬼による猛撃を受け止め続ける。
だが捌ききれない。
更に速度を増す吸血鬼に対し、全身から流れる血を血液操作で固めながら戦う長谷川は既に限界に近かった。
長谷川が背中を壁に預けないとまともに立てなくなった所で吸血鬼は言った。
「これで終わりっス。」
吸血鬼は大鋏を長谷川の脳天に振り降ろした。
「ッ!!!」
ガキンッ!!!
長谷川は最後の力を振り絞り、両手の剣で受け止めた。
どこにそんな力が残っていたのか、生き延びたいという願いか。
そうではない。
死んだ後、妻と娘に全力で生きたと報告する為に、死ぬまで全力で生きると決めたからだ。
「お見事っスよ。」バキッ!!
称賛の言葉を吐き、吸血鬼は振り下ろしている鋏のネジを外した。
大鋏は2つの片鋏に分解される。長谷川には1本を支えるだけで精一杯だが、右手の片鋏を振り下ろしながら─
「《刃血・双片鋏》」
「クソ…」
ドスッ…
左手の片鋏で長谷川の腹を貫いた。
長谷川の皮膚と肉と骨を断ちながら、壁に突き刺さった。
長谷川は身体に力が入らず、壁にもたれ掛かったまま動けなくなった。
右手で行っていた血液操作も剥がれ落ち、武器が地面に転がった。
「詰みっスよ。でも思ったより苦戦しました。」
にこやかに言いながら、もう1本の片鋏を動けない長谷川の首に当てる。
「最期に何か言い遺した事あります?」
「………いえ…」
彼の人生は幸せだったなんて言えない。
最愛の家族を失った過去は、その苦しみは消えない。
だが大きな不満もなかった。
良い部下に恵まれた。
仕事もやりがいがあった。
何より、色々遺して逝けると心底喜んでいた。
「使命は果たせた。もう何も無い。」
「寂しい事を言うんスね。じゃあ遠慮な─ッ!」
バゴンッ!!!
薄れていく視界の中で吸血鬼が蹴り飛ばされた。
「………な…ぜ…」
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間に合ったとは言い難い。
長谷川隊長は全身が血まみれで、腹に鋏の半分が刺さっている。
だが生きている。呼吸をしている。まだ助かる。
「まさか戻ってくるとは…また斬られて終わりっスよ。」
対して右手に巨大な刃を携えた吸血鬼には傷1つ見られなかった。
無傷で隊長に致命傷を負わせることが出来る強さ。
「2度同じ手は喰らうか。その鋏壊れてるし。」
「あ〜そうだった。」
そう言いながら黒装束の下で笑う吸血鬼の顔に先程斬られた痛みが蘇る錯覚を覚える。
勝つイメージは湧かない。
だが逃げる訳にはいかない。
「何する気スか?」
「さぁ…当ててみろ。」
吸血鬼の動きは速かった。
瞬きの間に一気に接近しており、既に俺の身体は大鋏の間合いに入っていた。
ビュンッ!!
吸血鬼による大振りをギリギリ躱す。
ズドッ…
だが躱したタイミングで俺の右足の甲に、果物ナイフのような刃物を投げて刺した。
「ぐぁ!?」
「2度同じ手は…でしたっけ?」
ズシャ!
その痛みで体勢を崩した俺の右手首を掴み、片鋏でもう一度右腕を斬った。
斬り離された右腕から転がり落ちた手榴弾をキャッチして吸血鬼は笑った。
「ん?あ〜もしや、この手榴弾で自爆特攻─」
ガシャンッ!!
そう音を立てて俺の左手首と、吸血鬼の右腕が鎖で繋がれた。
「……手錠?」
「《Activation》ッ!!!」
電撃手錠、別名は縛雷。
リングの内側にテーザー銃と同じように2本の電極が仕込まれており、2つのリングに腕が入った状態で起動させる事で射出される。
だが敵は強い。
捕らえられても片腕が限界だろう。
だから俺は左手首に手錠を掛けた状態で、かつ見られないように接近し、何をされたか理解される前に起動する必要があった。
実際、吸血鬼には手錠を躱すことも出来た。
だが一度勝っている相手だからと懲りずに油断し、興味本位で喰らってしまった。
手首から全身に電気が流れ、吸血鬼は思わず右手の鋏から手を放してしまった。
「いッ!?」(電撃ッ!?しまった…血液操作が出来な─)
「ッ!!…隊、ちょ─」
発動と同時に俺の身体も電撃に襲われ、身体がまともに動かせなくなる。
だから長谷川隊長が頼みの綱だった。
「っ…」
そして長谷川隊長にはその意図が察する能力があった。
しかしボロボロな彼の身体は動かない。
動けない。
「ヤ、べ…」(焦り過ぎたッ!!)
完全にしくじった、というか怖くて焦っていた。
しかも手錠の電撃は15秒しか保たない。
絶対間に合わない。
そんな絶望的な状況で部屋に駆け込んで来る人影があった。
「隊長ッ!!」
「ッ!」(島崎君!?君まで何故─)
躊躇する暇はなかった。
「島さ…く…そ、ふぁ…」
「え……ッ!!」
島崎副隊長は長谷川隊長の掠れる声と状況から、1秒掛からずに即座に動いた。
ガシッ!
「っ……がアアアアアアアアッ!!!」
島崎さんはソファを引き摺るように持ち上げ、此方に投げてきた。
ドンッ!!!
「いッ…オラアアアアアアアアア!!!」
背中に受けた衝撃を前に推進力に窓に突っ込む。
ピシッ…
全身の力を振り絞り、後先考えず、地面を踏みしめて前へ。
押し返そうとしてくる力を無理矢理抑え込む。
「ちょ、待っ─」
バリンッ!!!
窓が割れ、俺と吸血鬼の身体がビルから飛び出した。
窓を突き破った先には前後上下左右、脚のつく所なんて何処にも無い世界。
開放的で孤独な場所で俺は思った。
「スゥ…」(あ、やべ。思ったより高─)
「正気スかああああああああッ!!!???」
10階建てのビルの最上階から俺達は落下を開始した。
こんなに長くなる予定はなかった。
なかったんだよおおおおおお!!!
長谷川さんぽっと出なのに過去編まで書いちゃった。