探究者と研究者とプリャーニクと紅茶
『それでよ!!うちの鶏が全滅してたんだよ!!ありゃ吸血鬼のせいに違いねぇんだ!!』
「なるほど…了解いたしました。こちらから調査員を手配しますので……はい、失礼致します。」
そう言って彼女は受話器を置き、そして椅子の背もたれに体重をかけた。
黒髪で整えられたロングヘア。初対面の人に彼女の第一印象を聞けば十中八九「清楚っぽい」と挙げるだろう。
その顔色は悪く、そして堪えきれなくなったものが口から零れ出た。
「ダルっ…」
彼女は元ヤンだった。
周囲の職員の視線が一瞬彼女に集まったが、彼らの仕事はまだ残っているし、彼女を眺めていたら終わるわけでもない。
そうして普段通りの職場に戻るのだった。
(吸血鬼が襲うのは人間だけだっつーの。人の血以外は受け付けねぇって。いや、多少不味くとも餓死するくらいなら食べるか?レイアちゃんに聞いとこっかな…)
緋道紗理奈、GAVAの一般職員兼人造吸血鬼部隊の一員─
その補欠である。適性はあったが実戦には向かないとされ、今はデスクワークに1日を費やす事になっている。
GAVAは世界各地で活動する国際機関の1つ。
昨今の経済の不安定さを考えると所属するだけで人生は安泰と言える。
(そこらの平社員よりは稼いでるし、戦場行って死ぬよりは─「緋道さ〜ん…」
「ヒャイッ!?」
耳元で囁かれた紗理奈は変な声を漏らし、周囲の視線が再び彼女に向く。
紗理奈は気恥ずかしさからそれを見ないようにしつつ、囁いてきた相手に視線を向ける。
「どうか…しましたか?」
「え〜と、今暇ですか?」
「え?……まあ、そうですね。」
今日はパートを含めほぼ全員が出勤しており、しかも平日で電話対応の頻度も少なく時間を持て余していた。
「娘が幼稚園で熱出しちゃったらしくて…その、代わりに受付任せてもいいですか?」
「あ〜…」
紗理奈は過去に受付で働いた経験があるため、能力的には可能であった。
あとは最大の関門、上司からの確認を…
「イイヨ。」
「…アリガトウゴザイマス。」
紗理奈の隣の席に座っていた上司は確認を聞くまでもなく、超小声でゴーサインを出したのだった。
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紗理奈が受付に座ってから早一時間。何事も起きなかった。
(結局暇じゃねぇか…まあ変わらず稼げてはいるし、別に…ん?)
そんな時、紗理奈は何やら挙動不審な男を見つけた。
こちらをチラチラと見てながら立ち上がっては、端のソファーに戻るというのをかれこれ10分以上は続けていたのだ。
(不審者…って断定するのは早いか。服装的に学生か?でも今日は平日…あ、大学生?)
すると男は意を決したのか紗理奈の方へ駆け足で迫ってくる。
「あ、すいません。此処に汐原輝っていますか?」
「汐原輝ですね。少々お待ち………え?」
名簿を確認しようとした手を止め、紗理奈は思わず男の顔を凝視する。周囲の社員の視線も一瞬にして集まる。
GAVAの社員にのみ知らされている機密情報の1つ。存在自体が機密情報である吸血鬼レイア。その眷属の名前が何故か部外者の男の口から出てきたのだ。
「し、失礼ですが…お名前は?」(何処から漏れた!?だから戦闘員以外に伝えるのはミスだって─)
「え〜と、僕は汐原陽といいます。今、弟を探していまして…」
「あっ…ご丁寧にありがとうございます。」(兄貴かよ!?なんでここに!?)
紗理奈は平静を保つが、胃がキュッと締まるような感覚を覚えた。
それは周囲の社員達も同様で、一体に緊張が走る。
その異様な雰囲気にフロントの無関係な人々の視線も次第に陽と紗理奈の方へと向いていく。
(チッ…不必要に視線を集めてんな…)
内容が内容なだけにここで対応するのは組織的にもリスクが高いと紗理奈は即座に判断、パソコンからドクター宛に最低限のメールを送りつつ席を立つ。
「申し訳ありませんが、奥の部屋に…」
「あ、了解です。」
そう言って陽は紗理奈の後に続いて奥の部屋に入っていった。
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ピロン!
「ん?ちょっとごめんよ。」
ポッケからの通知音にドクターは携帯を取り出した。寝ている状態では何をしているか分からないが、メールを確認しているのだと予想できる。
「…Really?」
「どうした総一郎?」
「NOT 総一郎。」
そう苦言を呈したドクターだが、先程までとは違い顔つきが真剣そのものだった。
「…輝。君に兄はいるかい?」
「え?まぁ、一応3つ…いや今は4つ上の兄が1人…」
「名前は?」
「陽…ですけど。」
「Okay.」
ドクターは口に手を当てて何か考え込んだ後、俺達にこうを伝えた。
「彼がここに来ている。」
「……は?」
思わず声が漏れ出ていた。
何故ここに陽が居るのか。
それを尋ねても意味が無いのはすぐに分かった。
反応的に少なくともこっちから呼んだ訳では無いようだし、ドクター達にとっても異常事態なんだろう。
そもそもさっき帰れないと言われたばかりだ。
「レイアと有栖はここにいてくれ。」
「私も同行する!その男、ヴラドがけしかけた手先かもしれないぞ!?」
「ヴラド…?」
何処かで聞いた名前だった。
頭を捻り、歴史の教科書に載っていたことを思い出す。確か600年位からヨーロッパを占領している吸血鬼達の王だった筈だ。
そして陽が敵の手先?
あり得るのだろうか?
「駄目だ。」
「じゃあせめて部下を1人…」
「紗理奈が対応しているからそれも解決だね。今回の件は出来るだけ少人数で対応する。」
「…分かった。」
有栖さんはまだ何か言いたげだったが、それを呑み込んだ。
「いざとなったらレイアと輝を頼むよ。」
「あぁ…」
そしてドクターは部屋から駆け足で出ていった。
でも、なんで陽はここに来たんだろうか。ただ理由は1つしか思いつかない。
昔からアイツの勘は凄く当たる。
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「待たせたね。」
ドクターが部屋に入ると、汐原輝に似た明るい髪色の青年がソファに座ってお茶を啜っていた。だがドクターの姿を見た瞬間、青年はお茶を眼の前の机に置いて立ち上がった。
「あ、初めまして!すみません急にお邪魔して…」
「要件は聞いてるよ。行方不明の弟君を探しているんだってね。」(目つきや顔つきは似ている。ガタイは彼よりいいけど…少なくとも嘘ではないかな?)
「はい。えと…御手洗先生とお呼びすればいいですかね?」
「ドクターで構わないよ。それで、まず結論から言うと弟君の所在は知らない。」
ドクターの答えに陽は一言「そうですか。」と答えるが、分かりやすく納得のいかない顔をしていた。
「不服そうだね?」
「あっ…いや、そういうのじゃ…」
「一応話を聞いてもいいかい?わざわざ足を運んでくれたんだしね。紗理奈、棚のお菓子を取ってくれるかい?」
「あ、はい!」
紗理奈は棚に置かれたお菓子の箱を机にそっと置く。
「プリャーニクと言ってね。僕のお気に入りなんだ。」
「これ、ロシアのお菓子ですよね?今のロシアって危機的状況って聞いてたんすけど…輸入出来るもんなんですか?」
プリャーニクを手にした陽の話す危機的状況とは吸血鬼達の侵攻についてだ。既にロシア西部の都市は吸血鬼達に滅ぼされた。
「君の推測通り…それなりの値がするよ。」
「……ゆっくり…頂きます。」
「うん。あ、紅茶を─」
言いかけたドクターの眼の前に紅茶が差し出された。
「流石、紗理奈だね。」
「陽さんも、おかわりどうぞ。」
「ありがとうございます!」
ドクターが陽に対して受けた印象、それは真面目であるのと同時に無邪気といったものだった。
ドクターはプリャーニクを1つ手に取り、梱包を開く。
「さて…Can you tell me the basis?」
「えっ…………Okay!So─」
「日本語でお願いします。ドクターの事は気にしないで下さい。」
陽が頑張って英語で説明しようとしている事を察した紗理奈は救いの手を差し伸べた。
そして案の定、拙い英語で説明しようとした陽はホッと胸を撫で下ろす。
「え〜…これ全部、推測に過ぎないですけど…」
そして数日の間、自分の頭の中に留め続けた推測が陽の口から溢れ出した。
「まず家に帰らないのは家出か、何か事件に巻き込まれたかの2択。1つ目は家出だけど、それにしちゃ荷物が少なく見えたしズボンは半ズボン…しかもパジャマだったから遠出する可能性は限りなく低い。すると何かの事件に巻き込まれたという可能性が必然的に高くなる。更に警察に失踪を伝え、それで情報が入っていない事が確定した時点で怪我で病院にいるということは無く、誘拐されたと考えるのが普通。けど16歳の、しかも男を誘拐したとしてなんの意味が?金を要求するでも無く…そもそもうちにそんな大金はないし。人身売買とか臓器売買、あとは愉快犯の可能性はありますが…そうなったら俺にはどうしょうもないんで、俺に調べる事が出来る範囲で輝が消えた理由を探しました。で、その日に吸血鬼による殺人事件が起きていて、しかもその吸血鬼が近くで捕まったっていうのを記事で知りました…関連性が無いとは到底考えられない。弟はその吸血鬼に何かされたと考えられます。しかも殺されたとかなら情報が出るだろうに今回はそうじゃない。となると弟は今、口外出来ないような状況にある。例えば、犯人によって吸血鬼にされてしまった、とか………と推理したので、吸血鬼によるトラブルなどを専門とするここに話を聞きに来たわけです。」
陽は言い切った。
畳み掛けるような説明に紗理奈はポカンとしつつ、話の大事な所だけを脳内で纏めた。
「な、なるほど?」(長過ぎて思わず無心になっちまったけど…弟が吸血鬼にされている事を当てやがった!!ドクターはどうする気だ!?)
「HAHAHA!Uniqueな推理だね。確かに筋は通っている。」
紗理奈の心配を余所に、ドクターは普段と変わらない態度だった。
まるで全く問題が無いと言わんばかりだった。
「でも、吸血鬼は眷属を作るのに多大なエネルギーを要する。それこそ…一撃Knockout!する程のね。そこまでして君の弟を吸血鬼にする必要性がないとお兄さんは思うなぁ。」
「そうなんですよね…逃げるための囮という訳でもないでしょうし…で、1つ気になる点がありまして…吸血鬼化すると、人間だった時の体の欠損や病気が治るって聞いたことあるんすけど、これって事実です?」
「Why?」
「弟が吸血鬼化した理由が救助のためだったら、話は別だと思って。」
紗理奈は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになるも、ギリギリ堪えて啜り続ける。
「……」(もう正解に辿り着いたんですけど…何この大学生…怖い。)
「GAVAって色々調べると、本物の吸血鬼も所属しているって話がネットでよくされてるんですよ。」
陽はそう言って梱包を開き、プリャーニクをひと齧りする。
香辛料の風味とパンとクッキーの中間の様な食感を味わった後、乾いた口を紅茶で潤す。
ゴクンッ…
「都市伝説扱いで信憑性0みたいですけど…ホームページにある通りなら少なくとも、人造吸血鬼ってのは居るんですよね?」
「That's right。だが彼は薬の投与で一時的に吸血鬼になれるだけの普通の人間だ。本物では無いので他者を眷属にする程の力は…」
「でもそれを隠れ蓑にして、本物の吸血鬼が居たとしてもなんらおかしくはないですよね?」
「確かに…筋は通っているね。」
そう答えてドクターはプリャーニクを一口食べた。
それを見て陽と紗理奈も一口食べる。
そして誰も何も喋ることのない空間が生まれた。
(か、帰りたい……)
紗理奈は受付を担当した事を後悔した。
こんな事になるなら、多少イライラしても電話対応だけしていたかった。
なんでこんな日に限って子供は熱を出すのだろうか、と名前も知らない幼稚園児を恨んだ。
「なんて、全部妄想ですけどね!」
そんな沈黙を破ったのは陽だった。
「これ以上無駄に頑張ってもどうしようもないし、金はすげぇ掛かるし……こうなったら見つかるのを待つしかないんですよね。死んでたとしても、せめて遺体が届くことを祈るしか出来ないし…」
「そ、それがいいと思います。」
「わざわざお時間頂きありが─「いいだろう。」
紗理奈は時が止まったように感じた。
ドクターの「いいだろう。」という言葉の意味を理解するのに手間取った。
「輝は此処の地下にいる。navigateしよう。」
「ド、ドクター…?あの、何を言って…」
「彼は僕に似ている。気になったら最後まで首を突っ込むタイプだ。無駄足を踏ませるのもあれだし、未来ある若者にお金は掛けさせたくない。」
「……あっさり認めるんですね。」
「君の推理に惚れ惚れしたからね。見事だった…これは報酬だよ。」
紗理奈は頭を抱えた。
一般人への機密情報の公開は完全に規則違反である。
そしてドクターの組織内での立場や功績を考えると、最終的に怒られるのは自分になるのは容易に想像出来た。
『転職』の2文字が頭を過ぎる。
諦めムードの紗理奈を他所に、ドクターは「行く前に興味本位で1つ聞きたい。」と前置きして陽に尋ねる。
「何故そこまでするんだい?」
「へ?」
「警察に任せておけばいいものを…君の行動はかなり危険だと言えるよ。例えば我々が悪の組織だったりしたらどうしたんだい?こう…人を改造人間にしたりとか。」
「いや…」(実際、改造人間はいるんじゃ?)
「それはあんまり、考えてませんでした。」
「え…」(ノープランなんかい。)
「でも理由はありますよ。輝が無事に生きてるか知りたかったんです。」
陽はそう断言した。
「「ッ!」」
それを聞いてドクターは安堵した。同じ兄として、下の子が心配になる気持ちが分かった。
紗理奈も一人っ子ではあったが、危険を顧みず弟の安否を案じる兄の姿に感心していた。
「そうですか。」
「分かるよ、その気持ち。僕も─」
「いやぁ良かったですよッ!死んでるって確証が無ければ、いつか復讐されると思って十分な睡眠とれなくなっちゃうのでッ!GAVAの管理下なら、これからも安眠出来ますッ!!」
笑顔でそう語る陽の心には、美しき兄弟愛など存在していなかった。
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「それで…失踪してる間、お前はベッドの上で何もせずに美女と談笑してたってか。ここまで来るのに使った時間と交通費返せ。」
「知るかよ…勝手にやったんだろ。」
「輝さん!そんな言い方しなくても…!」
追い返すために向かった筈のドクターが陽ともう1人の女性、紗理奈さんを連れて帰ってきたのは30分程経ってからだ。
そこからドクターが怒る有栖さんの説得に30分以上掛け、さらに現状について陽に説明して今に至る。
「そこは僕が後で支払うから。勿論帰りの分もね。」
「はぁ…分かりました。」
「ちなみにドクター?それ経費から落とそうとしてます?給料からですよ?」
紗理奈さんの言葉にドクターは思わず「え?」と困惑の声を漏らした。
「で、この税金泥棒自業自得吸血鬼化野郎はどうするんです?研究材料にでもするんですか?解剖ですか?いいですよ、サクッとやっちゃって下さい。」
悍ましい発言を真顔で提案する陽に戦慄しつつも、自分でも気になっている事ではあった。
家に帰してもらえないのなら、俺に出来る事なんてドクターの研究材料になる位しか思いつかなかった。
そんな疑問に答えたのはドクターではなく、有栖さんだった。
「彼には戦闘員として働いてもらう。うちでも貴重な敵対意思の無い本物の吸血鬼…対吸血鬼には申し分ない戦力だ。」
「分かりました。こんなのが何の役に立つか知りませんが、よろしくお願いします。」
「あぁ、任された。」
有栖さん、「こんなの」発言に一回ツッコミを入れませんか?
そいつ、部下の悪口言ってます。
しかし戦闘員か。これまで水泳やテニスはやった事はあるが、格闘技は未経験。戦力になれるだろうか?
「じゃ、やる事終わったし帰ります。」
「では私が受付まで送ります。」
「Thank you 紗理奈. 頼んだよ。」
陽はそのまま紗理奈さんと一緒に部屋の外へ出た。
だが、扉を超えると同時に陽は身体を此方に向けた。
「そうそう。お前のゲーム機と貯金全部、俺が貰っとくね。使わないの勿体無いし。」
「ん?………はァ!?良い訳ないだろ!?ふざけんな!!!」
「あぁ10代で死んでしまうとは、可哀想に…けれど彼の遺品は、本当にそれを欲している人達の下へ届き、皆を笑顔にするのだった……完・結!!」
「いい話風にすんなよッ!独占する癖にッ!!てか郵送すれば……待て!!話は終わって─」
俺の声は自動で閉まった扉に阻まれ、陽の耳に届く事は無かったのだった。
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その夜、深夜3時の研究室でドクターはモニター画面とにらめっこしていた。
その画面には人造吸血鬼としての適性を調べる検査の結果が表示されている。
「総一郎。」
先刻、任務から帰還した有栖はそんなドクターに声を掛けた。するとドクターは不満気な顔で振り返る。
「だから…僕の事はドクターって呼─」
「何故、彼に輝の事を教えたんだ。」
ドクターの文句を遮るように、有栖は尋ねた。その声色には怒気が含まれていた。
「吸血鬼になったとはいえ一般人を引き入れるだけでなく、その親族まで巻き込むなんて前代未聞だ。」
「……汐原陽が普通の一般人ならいいけどね。」
「なに?そう確信したから教えたんじゃないのか?」
「筋は通っていたけど、信用はしきれない。だから、いっそ全情報を開示して監視対象にした方がいいと考えた。彼に接触する吸血鬼を発見次第、僕等が先手を打てば良い。それに─」
ドクターはモニターを指差す。有栖がソコへ視線をやると、彼女の目が大きく開き、思わず息を呑んだ。
「pennies from heavenだね。」
『汐原陽──総合評価:A』