横たわる者と動き出す者
吸血鬼に吸血されるとどうなるか?
答えは簡単、失血死だ。
では血を与えられたら?
人の身体は吸血鬼の血という異物に適応出来ず拒絶反応を起こす。
だが、与えられた血の中に含まれるmRNA+逆転写因子+…わからない?要するにHIV(ヒト免疫不全ウイルス)と同じ仕組みで人のDNAを変異させるんだ。
吸血鬼化って感染症と同じなんだよね。
でも凄いのはここから。既に完成された筈の身体が新たに身体機能を獲得する。異常な再生能力に免疫力、そして吸血能力。
その分日光に以上に弱くなる…太陽の光に含まれる波長が吸血鬼の生存に必要な酵素の働きを弱めて失活させているという仮説が─わからない?ならしょうがない。
「ま、そんな訳で…君は吸血鬼になったんだ。Understand?」
「…アンダー…スタンド…」
頭上の照明の眩しさに意識が覚醒してすぐ吸血鬼になったと言われ、俺は拙い英語で白衣の男に返事する。すると男は俺の返事に満足したのか、丸椅子に座って脚を組み直した。
つまり俺は吸血鬼さんが捕らえようとしていた吸血鬼が拘束を壊して吸血鬼さんを攻撃しようとして、庇って攻撃を喰らって死にかけた俺を吸血鬼さんが吸血鬼にして命を救─文面にするとややこしいな。
ようは俺の初恋相手は命の恩人にまでなった訳だ。
「ちょっとこれ借りるね。名前は…シオバラ…テル?」
「……ヒカル…」
「ヒカルね。私立白桜高等学校2年…住所は…」
白衣着てる人が俺の財布から学生証を抜き取って、口に出しながら個人情報をメモに書き記していく。ここまで堂々とされると文句も言えない。
それに身体が重くて持ち上がらないから抵抗しようもない。一体どのくらい寝ていたんだろう。
可能な限り周囲を見渡す。まず部屋は白い。掛け布団、壁、天井まで真っ白。男が白衣を着ていることで白さが極まっている。
次にこの部屋には窓がない。時計も置いていないので今の時間を知る術がない。
「……あの…いいですか…」
「What up?何か質問かな?」
なんで会話の所々に英語を挟むんですか、という質問をグッと呑み込む。
「ここは、何処です?」
「ギャバの地下…つまりUnderground!!」
「ギャバの……ギャバって?」
「あ〜…ヒカル、君もしかして社会科苦手だろう?世界吸血鬼対策局、通称ギャバ。こんな感じで…」
そう言って男はペンを走らせ、椅子から腰を上げメモをこちらに見せてくれた。そこには『GAVA』とデカデカと書かれていた。
「Understand?」
「は、はい。」
俺が返事すると男は再び椅子に腰掛けた。ただ英語で返さなかったからか不満気になった様に見えた。
「フン…しかし、君は運が良かった。レイアが再生力に特化した吸血鬼だからなんとかなったけど、それ以外なら助からなかったかもね。」
「レ、レイア?」
「君のご主人だよ。」
話から察するに、もしやあの吸血鬼さんのことなんだろうか?レイア…何故か聞いたことがある響きだ。ゲームのキャラにでもいたか?
ウィーーン…
「と、噂をすれば…」
突如俺から見て左の白い壁の一部が凹み、そのままスライドした。白過ぎて区別つかなかったが、ドアだったらしい。
そして見覚えのある吸血鬼さん…いや、レイアさんが現れた。肩で息をして、汗ダラダラでも可愛いのは何?天使?
「ドクター…彼が、ハァ…起きたって…ゲホッ!」
「やあレイア。見ての通りだよ。どうやら君の再生力がperfectに遺伝したようだ。」
「それ…なら…良かった、です……スゥ〜!ハァ〜!」
するとレイアは大きく深呼吸をして息を整えた。お礼を言うなら今だろう。
俺はベッドの上で重力に逆らってなんとか身体を起こし、頭を下げる。
「あの…レイアさん。助けてもらって」
「違います!」
「へっ…?」
結構強めに拒絶された。
彼女の強い言葉に一瞬泣きそうになるが、彼女の顔を見て俺の涙は引っ込んだ。なんせレイアの目に大粒の涙が溜まっていたのだから。
「私のミスのせいで!貴方を吸血鬼にするしかなくなって…謝って済む問題じゃない…でも、本当に…ごめんなさい…!」
「ちょ…」
レイアさんは命の恩人だ。そんな彼女に頭を下げられたら俺はどうすればいいんだろう。
むしろあの時俺が路地裏に行かなかったなら、こんな状況にはなっていなかった。しかも路地裏に入る時、俺は危険を承知で突入した訳だし、こうなったのは自業自得だ。
「レイアさん…その、俺は本当に大丈夫なんです。」
「でも…貴方には─」
「死ぬよりはマシですし、レイアさんが無事なら俺も命張った甲斐があったってもんですよ!」
俺の説得を聞いてもレイアさんは未だに申し訳なさそうな表情をしている。そんな顔も可愛い。いや、それはどうでもよくて…
「あ。そういえば、俺っていつ帰れるんです?」
俺はイスで退屈そうに話を聞いていたドクターにそう尋ねる。
なんせ俺にも予定がある。来週の日曜には友達と夢の国に行くことになってるし、それに………そういえば未だに消化していない課題があった。
数学の授業は金曜と土曜だから残り数ページぐらい前日にやればいっか、と高を括っていたからだ。早々に帰って終わらせなければならない。数学の七瀬は学校怖い先生ランキングでも五本の指に入る女性教師だ。
「……What?何を言ってるのかな?」
ドクターはそう言って首を傾げた。
「………えっ…?」
自分でも気づかないうちに口から勝手に零れ出ていた。ドクターはさっきまでと変わりない笑顔だ。それなのに俺の身体は不思議と強張った。
「君は帰れない。なんせ、君はもう人間じゃないからねぇ…吸血鬼は人の世界では生きられない。」
「はぁ!?こ、困ります!!」
「ハハハッ!残念だけど、君には一生ここ─」
ゴンッ!
ドクターの頭に拳が振り下ろされ、鈍い音が部屋中を木霊した。
先程まで余裕の表情でふんぞり返っていたドクターの顔が歪み、そのまま椅子から転がり落ちた。
「ぐあああああッ!!!」
「おい総一郎。それ以上子供を虐めるのはやめておけ。」
「そ、総一郎って…呼ぶな…僕はドクター」
「そうだな、Dr.御手洗。」
「うわああああああッ!!!」
殴られたことより古風な本名を公表されたダメージの方がデカそうだ。
それはそうと、ドクターを殴ったこの人は誰だ?綺麗な金髪…レイアさんに似ているが1つ違うところがあった。
レイアさんが金色の目をしているのに対し、彼女の目は碧眼で、それに背も高い…170以上はあるだろう。かといって大柄というわけではなく、引き締まっている…有り体に言うとモデル体型だ。物凄い美人である。
「うちのバカが失礼したな。あれでも悪い奴じゃない。胡散臭くはあるがな。」
「あ、有栖…暴力は止めなさい…特に僕のようなか弱い人間には…」
「か弱い自覚があるなら身体でも鍛えるんだな。カップラーメンばっかり食べて…この前の健康診断でもコレステロール値が…」
頭を押さえて地面に転がり続けるドクターを有栖さん見下ろす形で痴話喧嘩が始まった。
内容もさながら、その様子は傍から見ると…まるで…
「あ、ドクターの彼女さんか。」
「っ!?ち、違う!こいつはただの愚兄だ!!」
「愚兄が出るかMy sister……よっこらせ。」
ドクターは丸椅子によじ登って座り直した。心無しかドクターの頭にたんこぶが出来てるように見えるのは気のせいだろうか?
「怖がらせて悪かったね。ただ帰れないのは事実だ。」
「そ…そう、ですか…」
「様々な理由はあるけどね。僕らの仕事はそもそも人間社会に紛れて生きてる吸血鬼の特定と身柄の拘束。なのに捕えた吸血鬼を逃すなんて…それで人襲ったら僕らはthe endだ。」
「でも俺は人なんて…」
そんな俺の言い訳をドクターが指で制した。今度は真剣な眼差しで、眼鏡越しにこちらの目をしっかり見ながら。
「吸血鬼にはrandomな要素が多いんだよ。それに今は良くても食欲はすぐに湧いてくる。」
「っ…」
「だからこそレイアもあれだけ謝ったわけで。」
視界の端でレイアさんがさらに縮こまったように見えた。
彼女があれだけ謝ってきたのにも納得がいった。
俺はこの先、普通の生活は出来ないらしい。これまで築いてきた人間関係を一気に全て失うわけだ。家にも帰れなくなった。
ちゃんと寝ておけば、コンビニに行こうと考えなかったら、路地裏に入らなかったら…俺の人生はこうはならなかったのだろうか?
「…分かりました。あぁもう!!分かりましたよ!!」
本当はすごく嫌だ。寂しいし、怖いし…今になって当たり前の日常の有り難みを知った。この先もそれを痛感するんだろう。
…
…
…
…
あんな兄ですら、もう会えないと思うと少しは寂しいものらしい。
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目覚し時計を使っていないのに、いつもの起床時間に彼は目を覚ました。でも大学は9月の中旬まで始まらないので起きるメリットはない。
そうして彼は二度寝を始める。
「…」
カリッ…
「………」
ガリガリ…
「……………」
ガリガリ……ワンっ!!
「……起きますかぁ。」
餌を求める愛犬ノワの呼び声に彼は目を擦りながら、冷たい地面に足を降ろす。その冷たさで意識が一気に覚醒していき、同時に食欲が湧いてくる。
彼の名は汐原陽、陽と書いてヒナタと読む。
普通の大学2年生で生命科学を専攻している。
既に20歳でお酒は飲めるが父譲りの下戸と母譲りの酒好きというミスマッチにより、酔うと面倒くさい奴になるため控えている。
タバコは父親が吸っていたため、それを反面教師に吸わないことを誓っている。
身長は170…より、すこ〜しばかり低いが別に気にしていない。決して。
小学校の頃クラス1可愛い女子に恋をし、告白しなかったことで無駄に引き摺り、結果恋愛経験は無い。
友達はいるが、マイペースに生きているため一緒に遊びに行く事はない。あくまで学校で話す程度である。
そして彼は、弟である輝のことを邪険に思っていた。
父と母は輝が居ないことに気づくとすぐさま警察に連絡した。彼は両親や警察に事情を聞かれたが、『輝が夜に出掛けてるなんて知らなかった。』で乗り越える事にした。知っていると言えば責任を押し付けられる可能性があったからだ。
もし輝が見つかって、それで彼が知っていたと証言したとしても、寝ぼけていたと嘘付けば通せると考えたからだ。
『──の汐原輝君が行方不明になり既に3日が経ちました。警視庁は捜索範囲を広げ─』
しかし、失踪から3日が経過しても輝は見つからなかった。それを受けて彼は─
「お?今日のログボうま。」
ゲームに勤しみながらトーストに齧りついていた。彼にとって汐原輝の生死は心底どーでもよかったのだ。むしろストレスの種が消えて最高の生活を送っていた。昨晩も快眠である。
だが「弟君のこと心配だよね…」や「君が兄として注意しておけば…」と周囲から言われ続け、イライラし始めていた。
それに失踪当日に会っている手前、こうなってくると責任は自分にあるのでは…と、少しばかりの良心が痛んでいた。
幸い、大学生の夏休みは長い。比較的自由に動くことが出来た。
少し早めの昼飯に冷凍の炒飯を食べてお腹を満たし、外出の準備をいそいそと進めていく。
そこそこ遠出なのでゲーム機でも持っていこうか?と思って手に取るが、接触不良が原因で充電が出来ていなかった。
ランニングシューズとスニーカー…2足しかない靴のどちらを履くか悩みながら、彼は両親の寝室に声をかける。
「ちょっと出掛けてくる!夜までには帰る!」
「……いってらっしゃい…」
失踪して以来、母は精神的に参っていた。父も仕事を休んで車で捜索を開始していた。
そんな2人の心労を憐れみながらも、陽は心の中で(何を悲しむ必要があるんだか…)と頭の中でハテナマークを浮かべた。
「さ〜て…行きますか!」
俺は五千円チャージした定期券を使って改札を通り抜けた。