分不相応な約束
ジャックに殺されかけた輝を救ったのは作中唯一のヒロインであるレイア。
ここまで正直影の薄かった彼女は活躍できるのだろうか。
時は遡り、9月10日─
実戦訓練開始から既に3日が経過していた。その日も俺は有栖さんに殴られ、蹴られ、ぶっ叩かれた。
だが初日に比べたらだいぶ躱せるようになり、初めてゲロを吐くことなく訓練が終了した。
「今日はこれで終わりだ。私は寝る。」
「お…やすみ…なさいませ…ぐへッ…」バタン…
有栖さんが部屋を出るまで全身の痛みに耐えていた俺は、彼女の退出と同時に膝から崩れ落ちた。
重たい身体をなんとか動かし、大の字で仰向けになる。10m先から照射されるLEDの白色光をボーっと眺めていると意識が深く沈んでいくような感覚に陥る。
連日の訓練と座学で既に身体はボロボロだ。高校の授業よりしんどい…と言いたいところだが、実技が多いので飽きはしない。でも疲労は溜まっている。
勝手に閉じていく瞼に抗っていると、急に視界が暗くなった。光が遮られ、代わりに整った金髪と白い額、そして金色の瞳が視界に入った。
「あの…大丈夫ですか?」
「……………レッ!?」
目の前に現れたレイアさんの顔に、俺は全身の痛みを忘れて飛び上がるように起き上がった。
「うわァ!?」
突如放たれた俺の頭突きを間一髪躱したレイアさんはそのまま尻もちをついた。
「あ、すいません!」
「い、いえいえ…此方こそ驚かせたようで…えと、治療します?」
「え…あ〜…お願い、します。」
俺は彼女の前にしゃがみ込み、レイアさんに右腕を見せる。再生出来ない程消耗した身体には青痣が大量に出来ていた。
レイアさんは自分の血を針のように細くして俺の痣の上に刺した。すると刺した所から広がるように痣が消えていく。
吸血鬼専門の回復なんて正直需要が無さそうと聞いた当初は思った。
だが人の血を自由に吸えない環境で同レベルの吸血鬼同士で戦闘になった場合、お互いに傷付け合って再生速度や精度はドンドン下がっていく。そんな時にレイアさんが居るだけで一方は継続して力を発揮し、再生に体力を割かなくて良くなるので圧倒出来る訳だ。
そんな話をドクターにされた。今もあまりピンとは来てないが、いずれ身を持って知ることになるんだろう。
さて話は変わるが、俺たちは主と眷属だ。
それだけ聞けば友達よりも深い関係に思えるだろう。
しかし、話す機会はそんなに無い。
まずレイアさんには任務、俺には有栖さんとの訓練に、ドクターとの座学が有るので自由な時間が全然ない。
そして異性なので施設内の部屋も階から違う。
よって通路ですれ違うことすら基本的に無い。
つまり2人きりで話すのは路地裏以来だ。
互いに思うことは1つ。
((何を話せば…))
施設の中で天気を話題にするのは微妙だし、好きな食べ物の話も「人の血です。」で終わる。
そこで俺は、自分の趣味であるゲームから話題を広げていくことにした。
「何か好きなゲームとかあります?」
「あ、やった事…ないです。」
「あ、すみませんでした。ではご趣味は?」
「月…見ることですかね…」
「御冗談を。」
「ほ、本当ですッ!」
「……すみませんでした。」
俺が悪いんだろうか。
悪いんでしょうね。
でも月見が趣味はトラップだろ。
月が綺麗ですねってか?
気まずくなった雰囲気をどうにかしようとキョロキョロしながら話題を探していると、地面に置かれたレイアさんの鞄の中から少しはみ出した物に目が止まる。
有栖さんが訓練前に身体に打つ注射器の入れ物に似ている…というか、そのものだった。
吸血鬼化の薬なんて俺達には必要無い筈だ。
良さそうな話題を見つけたと思い、俺は左腕の治療を開始したレイアさんに尋ねた。
「あれ…なんでレイアさんが?」
俺が入れ物を右手の指で差すと彼女の視線はその先に向けられた。
すると彼女の声色が少し下がった。
「『V.blood 60』は元々治療用に作られたんです。」
「治療用?」
「吸血鬼化直後の自然治癒を利用した応急処置の為に……まぁ、適性次第で効果にバラつきが出るのと、人によっては悪化に繋がるとされて廃止されたらしいですが…吸血鬼化すれば私の治療は効きます。」
話しながら俯いていくレイアさんを見て、俺は再び話題選びを間違えたと気付いた。
共通の話題ではあるが、雰囲気が更に重苦しくなるやつだ。
「だから、あの日もこれを所持していれば─」
「前にも言いましたけど、俺は生きてるだけ儲け物だと思ってるので大丈夫ですよ。」
そもそも好奇心に負けて路地裏に入ったのは俺だ。
仕事の邪魔して殺されかけて…それでレイアさんが悪いわけが無い。
「でも─」
「じゃあ…俺の気になる事に答えて貰えませんか?ずっと気になってた事があって…」
「え?あ、はい!私に答えられる事ならなんでも!」
なんでもと言われると下品な事を考えてしまうのでやめて欲しい。
俺は浮かんでくる邪な妄想を振り払ってずっと気になっていたことを尋ねた。
「レイアさんって…なんでGAVAに所属しているんですか?」
ずっと気になっていたが、聞いていい事なのか分からず、今まで誰にも聞けなかった。
俺はレイアさんがGAVAに所属しているから入れてもらえたが、彼女の主は見たことも聞いたこともなかった。
過去に彼女の主が所属していたのか、自ら進んでGAVAに来たのか。
何故、同胞を捕らえる組織に所属するのか。
ちょっと踏み込み過ぎな気もするが、俺たちは主と眷属。
友達以上恋人未満…とも違うが、血を共有する仲だ。
少し踏み込んだ位が丁度いい塩梅だと思う。
「………」
しかし、俺の質問にレイアさんは黙ってしまった。
俯いたまま時間だけが経過していく。
やはり踏み込み過ぎたらしい。
友達以上などと自惚れていた事を恥ずかしく思う。
同じ部に所属する先輩ぐらいの距離感で接するべきなのかもしれない。
三度も話題選びを間違えるとは…
「あ、言いにくいなら全然─」
「生きている意味が欲しかったんです。」
この言葉を皮切りに彼女は話し始めた。
「昔からあまり自由が無くて…常に誰かの監視下にいました。何もさせてもらず、ただ生かされ続けて…それって死んでるのと変わらないなって思って、それでGAVAに来ました。此処でなら吸血鬼の私でも、誰かの役に立てる。」
監視下にいた。
それが吸血鬼になってからか、人の頃からずっとなのかは分からない。
だが彼女は進んで此処にいる事を、誰かを救う為に身を粉にして戦う事を選んだ。
心底、この人に惚れて良かったと思う。
なら俺がやるべき事は1つだ。
「そしたら俺がレイアさんを守ります。」
「いえ…そういう主従関係みたいなのは無しです。私はあくまで輝さんを救う為に…」
「眷属だからとかじゃなく、俺がそうしたいだけです。レイアさんが誰かの為に自分を犠牲にしようとするなら、俺がレイアさんを守ります。そしたら皆助けられるんじゃないですか?」
「ッ…そうかもしれないですね!」
そう言って彼女は笑った。
子供の妄言程度にしか捉えられていないかもしれない。
だからもっと強くなって、いつか本当にレイアさんを守れる程強くなろうと心に誓った。
彼女の為なら人間性すら捨ててやろう。
──────────────────────
任務開始から1時間と18分。
再生能力が機能しない程消耗した俺を隠すように、レイアさんがジャックの正面に立つ。
普段の優しく見守る母の様な瞳は其処には無く、獣の様な金色の鋭い眼差しがジャックの姿を常に捉えていた。
「てっきり眷属も、僕らみたく見捨てるかと思ってました。」
しかし、殺気立ったレイアを前にしてもジャックの余裕は崩れなかった。
ナイフを使った手遊びをしつつ、微笑みを浮かべながら彼女を煽った。
「ジャック…なんで貴方が日本に─」
「そりゃレイア様を連れ帰る為っスよ。陛下ブチギレてんスから。」
そして彼女に刃の先端を向け、断られると分かっていながら提案を持ち掛ける。
「主様の面子の為にも、大人しく捕まって貰えませんか?」
「嫌で─」ダッ!
レイアさんが拒絶の言葉を告げ終える前に、ジャックが動いた。
俺と戦った時よりも更に素早く、10m以上はあった距離を一気に詰め、左手に持った血を纏うナイフを振り上げた。
ズシャ!!
鮮やかな血と共にレイアさんの右腕が宙を舞ったのを見て、息が詰まる様な感覚になる。
「レイアさんッ!!!」
「ッ…」
だが俺と違い、彼女は冷静だった。
ジャックからの追撃を躱して後退しつつ、右肩の切断面から流れ出る血を操作し、右腕を捕らえた。
そして右腕と右肩の切断面を繋ぎ合わせる。
再生における基本として神経や血管、骨など様々な部位を1から再生させるより、元々全て揃っている腕を繋いで損傷、壊死した部分だけ治した方が圧倒的に効率が良い。
結果、2秒フラットで彼女の腕は再起した。
パシッ…
そして振り下ろされたのナイフの軌道を見切って右手で逸らし、後ろを向くように身体を旋回させつつ右脚をジャックの腹部へ蹴り出した。
バゴッ!!
「はッ!」
彼女の蹴りをジャックは右前腕で受けたが、鈍い音が鳴り、新たな関節が生まれたような曲がり方をしていた。
素人目にはなるが、レイアさんは真っ向からジャックと戦えている。
ジャックの話が正しければレイアさんは第4席でジャックは第10席。
レイアさんの方が格上に位置している。
つまり彼女ならジャックを倒せるのかもしれない。
「ちょっと強くなったっスね。けど詰めが甘い。」
そう言ってジャックは俺達に見せつけるように折れた右腕の骨を繋ぎ、そして左手を見せた。
左手に握られていたナイフが何処にもない。そう気付いたのと同時に、ジャックは「上」と一言呟いた。
俺とレイアさんの視線はジャックの指差す方向へ視線を向いた。
ジャックなら何か仕掛けてくるという確信がお互いにあった。
「え?」
だが何も無い。
探してもナイフはおろか、何か仕掛けた様な痕跡も見つからない。
「ッ!」
レイアは俺より早くジャックの思考に気付き、視線を正面に戻す。
だが、その一瞬の隙をジャックは見逃さない。
ズシャ!!
背中に隠していたナイフに再度血を纏わせ、レイアさんの両脚を一撃で切り裂いた。
「ぐあッ!」
バタン…
脚を失い地面に落ちたレイアさんは腕を繋げたように脚も治そうとしたが、ジャックはレイアさんの両脚を持ち上げ、俺達の目に見えない所まで投げ飛ばした。
「ふぅ…これで治せないっスよ!」
「くっ…」
「貴女の評価されていた点は人の血を摂取することなく生き続けられる驚異的な生命力と、他の吸血鬼の再生速度を上げられる技だけ。戦闘能力は12席でも圧倒的に格下。半年ちょっと訓練しただけで、600年間引き籠もってただけのお姫様が、100年間ずーと前線で戦い続けた僕に勝てる訳ないじゃないスか。」
ジャックはレイアさんの上に座り、背中から何かを右手に取った。
革製のカバーを外すと細かいギザギザの刃がついたノコギリが姿を現した。
「無能な人間達に祀り上げられて、お山の大将を気取るのは楽しかったっスか?」
「ッ!皆さんは無能なんかじゃ─」
「《刃血・鋸》」
ジャックはノコギリに血を纏わせ、レイアさんの右腕を切り始めた。
肉を裂いて、骨が内側でゴリゴリと削れる音が彼女の脳を木霊する。
「うグッ…あぁ!?」
「斬り裂くんじゃなく、傷つける事に注力したら意外とどうとでもなるんスよね。」
「うぁ…ああああアアアアアッ!?!?」
レイアさんの悲痛な叫びに心臓が締め付けられる。呼吸が乱れて全身が冷えていく。
「やめろ…やめろッ!!おいッ!!!」
だがジャックは俺に目もくれず、レイアさんの腕を斬り続ける。
血の匂いが俺の下にまで届く程、彼女は血を流していた。
人間であれば間違いなく致死量だ。
いや吸血鬼でも、あの出血量は─
「レイア様を無抵抗な状態にして生きたまま連れ帰るのが僕等の任務。意思が有るから逃げ出す…なら心を殺せばいい。こうやって痛みを与え続けるのが最も効率的なんスよ。」
「ハァ…ハァ…ハァ…」
ジャックは切れた右腕を投げ捨て、今度は再生し始めている左脚を切り始めた。
「ほら、諦めてくださいって。こんな事、僕だってしたくないんスよ?」
「い…いや…嫌だァ…私は─」
「じゃ、続けるっスね。」
ゴリゴリッ…
「ぅ…いぁ…ぐううううッ!!!」
動け。今動かなきゃレイアさんが─
「ぐっ…ああああああああああッ!!!!」
傷だらけの身体で立ち上がろうとするが、瓦礫に潰された下半身が動かない。
俺は全身を治そうとするが、視界がチカチカし始める。
血液が足りず、脳に酸素が回っていない証拠。
これ以上の能力使用は命に関わる。
此処が俺の限界─
「ふざけんな…立て…守るって、約束したろ…」
守れ。
「レイアさん…嫌だって…言ってたろ…」
守り抜け。
「何が第10席だ…何がヴラドだ…」
守り抜けないなら、この戦いに意味なんて無い。
「オレがッ!!!!」
視界が真っ赤に染まって、そして暗転した。
次に意識を取り戻したのは3分後。
その3分間に起こった事は朧気で、詳細は任務終了後に教えられた。
此処からは俺の知らない『オレ』の戦いだ。
──────────────────────
バンッ!!!!
オレは身体から出てくる血液を操作して瓦礫を持ち上げつつ、全身を再生させて其処から脱出した。
血液操作を解除するとオレの後ろで破裂音が響き、土煙が舞う。
「え!?」
オレが既に限界だと考えていたジャックは、左脚を治して歩いてくる姿に驚きを露わにした。
「自然治癒すら出来なくなってたのに─」
「レイアから離れろ。」
「…まあいっか。逃げないでくださいね。」
ジャックはレイアを踏みつける脚を退け、彼女から距離を取った。
痛みで叫び続けたレイアは涙目で咳き込みながら、ジャックの前へ歩いていくオレを制止した。
「ゲホッ…ダメです…貴方は逃げて…」
「問題ない。オレが君を守る。」
オレのせいでレイアが傷ついた。
オレがレイアを守らなきゃいけないのに。
命を救ってもらった恩を返す。
眷属としての責任を果たす。
(目が据わって─「まさか…暴走…」
「暴走?あぁ…エリザベート様と同じタイ─」
ガッ!!
言葉を待たず、オレはジャックの首を右手で掴んだ。
「ッ!?」
反応出来ない速度で首を掴まれたジャックは、オレの右腕を血を纏わせたノコギリで斬り裂こうとした。
ギチギチ…
だが刃は骨に到達する前に停止した。
「なん─」(刃が動かない!?)
オレは傷口から流れ出ようとする血液を使って、真剣白刃取りの様にノコギリの刃を挟んで固定した。
ジャックはノコギリから手を離し、別の武器を取り出そうとした。
「うぜぇ。」ダッ!
バゴンッ!!
オレはジャックを掴んだままフードコートの壁に突っ込んだ。
壁が陥没し、ジャックの身体が壁にめり込む。
「がはッ…」
背中や後頭部に強い衝撃を受けて、ジャックは意識を失い掛けるが、ギリギリ堪えて─
「まだ生きてんのか。」
「ちょ…待っ─」
後頭部に受けた衝撃で朦朧とするジャックを、オレは何度も、何度も何度も何度も意識を失うまで徹底的に壁へ叩きつけた。
バゴンッ!!バゴッ!!バチャッ!!!
壁の破片に血が混じり始めてようやくオレは止まった。
ジャックは完全に脱力し、左手に持っていたナイフが滑り落ち─
「調子に、乗るな…!!!」
ズドッ!
ジャックは落ちかけたナイフを人差し指と中指の指先で掴んで引っ張り上げ、しっかりと掴んでオレの首に突き刺し、確実に頸動脈を貫いていた。
首元から流れた血がナイフを伝っていく。
「これで、終わ─」
「ごれでじぬどでも…おもっでんのが?」ミシ…
「かッ!?」
オレはジャックの首を力強く握りしめ、地面に叩きつけた。
バゴオオオオオオンッ!!!
コンクリートの床が砕け、ジャックの身体は地面を突き抜けた。
オレの一撃で発生した風圧はフードコートの机や椅子を吹き飛ばし、景観を良くするために設置されたであろう大窓にもヒビが入る。
吸血鬼の暴走については主に3パターン存在する。
まず吸血鬼化直後に暴走する場合。
現存する吸血鬼の約9割はこの過程を踏んでいる。
暴走する時間については個体差があり、1時間で終わる者も入れば暴走し続けて戻れず、短命で終わる者も居る。
これは吸血鬼の血への適性による。
2つ目が全く暴走しない場合。
吸血鬼の血への適性が高い個体の場合、吸血鬼化直後から精神的に安定しており、能力もすぐに扱えるようになる。
これが約1割に該当する。
そして3つ目が何かがキッカケとなって暴走する場合。
吸血鬼化直後に暴走する事は無いが、痛みや血を舐めることや嗅ぐことなど、些細な事で暴走し始める。
人造吸血鬼部隊の補欠である緋道紗理奈もこのタイプであり、彼女の場合は血を見ただけで暴走してしまう致命的な欠点から任務に派遣されなくなった。
またこのパターンに該当する個体は他2つに比べて極端に少なく、1%にも満たない希少な例である。
故に誰も俺が暴走する事なんて想定しておらず─
「ひ…輝、さん…?」
困惑しながら絞り出したレイアさんの声は、俺に届くことはなく、夜闇に呑み込まれて消えてった。
書いてる内にリョナ味が出始めて迷ったけど、突き進みました。
警告出たらどうしよう。
頼む…耐えてくれッ!!
そして…主人公は覚醒してナンボよね。




