シチュー
特にこれといったメッセージはありませんので、深く考えずにダラダラと読んで下されば幸いです。
「お母さん、今日はシチューがいいからね!」
中学二年の長女がそう言い、元気よく玄関を出て行く。
「あたしも!」
「ぼくも!」
その後を小学五年生三年生の妹弟が同じように元気よく出て行く。
いつも明るい笑顔の子供たち。
「俺も楽しみにしてるよ」
そして優しい笑顔の旦那様はキスをして玄関を出る。
みんなを送り出した後、食器を片づけてる間にお湯を沸かし、紅茶を入れ、一口飲む。
「今日の晩御飯はシチューね…」
ボソリと呟き、微笑む。
『シチュー』という言葉はいつも過去を思い出させる。
自分の青春時代の事だ──
その頃、わたしはグレていた──
今になって何が原因でそうなったのかを分析する事も出来、理由もわかったが、当時のわたしにはまるでわからず、ただ、大人に逆らう事、他人に迷惑を掛ける事が楽しくて仕方なかった──
──否。それしか楽しみがなかった──
わたしは真部佐和。年はアラサーと言っておこう。
今では平凡な主婦になっているが、違う人生もあったかも知れない。
三人の子供に恵まれ、優しい旦那様にも恵まれ、幸せ一杯だ。
子育ては自分をも成長させてくれるとても良い経験だし、譬え三人の子供がグレたとしても気持ちはわかるし、どう対処すればいいかもわかる。
旦那との摩擦だってない。
すべて自分の経験から基づき、とにかく良く話をする事を心掛けているからだ。
まぁ、浮気はどうだか知らないが。
最低限のおしゃれしか気遣ってはいないし、相手が平気で目の前でおならをかますので、こちらもかましてしまうが、女性として「ごめんなさい」とだけは言っておくので、多少は女らしさも残っていると受け取って貰っているとは思う。
料理だって食べられないモノは出してはいない。
故に旦那様はいつも毎度同じ時間に帰ってきてはくれているし、出掛ける前もいってきますのキスはかかされていないし、帰るメールもきっちり入るから浮気はないとは思うのだが。
手抜きではあるが、家の中だっていつ他人が来てもいいぐらい綺麗に片づけてはある。
そう、これらをわたしはすべて自分の経験から学び、実践してきている。
時を遡ってみよう。そう、まだ、自分の性が『黒田』だった頃──
両親は居酒屋を経営していた。
弟が一人という四人家族。
二階建ての家の一階がお店だった。
父はすぐに暴力に出る鬼のような怖さがあった。
それに対し、母も怖がりわたしたちを助ける事すらしなかった。
こう言うと、児童虐待と思われそうだが違う。
悪い事をした時のみ、げんこつが飛ぶし、勉強が出来なくてはたかれるといった所で、女のわたしと男の弟では扱いも違っていた。
何にせよ、子供の頃は毎日何かの理由で殴られていた記憶があるので、わたしは頭の悪い子供だったのだろう。今でも良いとは言えないが…。
しかし、そういう家庭環境にいると暴力を使う事はごく自然でもある。
弟とのケンカは殴り合いで終始していた。
それは他人にも同じで、さすがに同性を殴る事はなくとも気に入らない男子とはたき合いのケンカをするのが当たり前だった。
そして、たとえ負けたとしても涙だけは絶対に見せなかった。
そう。わたしは俗にいう男勝りというタイプだった。
それでも生理が来て、胸が膨らみ、自分が女の子である事を自覚してからは弟とも殴り合いのケンカをする事はなくなった。
よほど頭に来ない限り。
その頃でもあったろうか。
弟が親の金に手をつけるようになったのも。
たまたまその現場を目撃したわたしは、親に言いに行こうとして丸めこまれた。
「姉ちゃん、好きなモノが買えるんだよ?」
甘い誘惑だ。
欲しいものはたんとある。
商売をしていたから、レジの中にはお金もたんとあった。
が、それでも初心者であったわたしは三百円をドキドキしながら手に取った。
弟は常習だったのか千円札を二枚抜いていた。
親にバレるとは微塵も思わなかった。
やはり、バレた気配もなくそれは毎朝続けられた。
常習化してくると、小銭では満足できなくなるものらしい。
とうとうわたしは千円札に手を伸ばした。
その日の夕方。
弟が顔をぼこぼこに腫らしていた。
どうしたのかと驚きはしたものの、バレたのだとヒヤリとした。
案の定、母が涙を堪えて言う。
「バカな子…
盗んだお金を机の引き出しに貯めてるんだもの…」
正直、ウケた。
今思えばバカだけど手堅い子だったのだ。が、証拠を残してどうする?
本人曰く、欲しいモノはとても高額で貯めなきゃ買えなかったとの事だった。
わたしも疑われたが、証拠は残してはいなかったからあくまでもシラを切り通した。
だが、二、三回はバレて殴られたのだが。
中学に入った時にはたばこを吸った。
こたつの上にいつも置きっぱなしで父は美味しそうに吸っていたから、試してみたかったのだ。
最初はただ口の中が辛く、何が美味しいのかわからなかったが、中学生ともなると、皆いろいろな事に興味があり、吸い方を知ってる子もいたので、その子の言う通りに吸ってみたら、噎せた。
喉にかかる負担は経験した事がないぐらい強烈で、正直死ぬかと思った。
だから、たばこは二度と吸うもんかと思ったのだが、翌日その友達に吸えたのかと聞かれ、見栄を張って全然平気だったと言ったら、その日にその子の家に連れていかれ、タバコを吸おうと誘われ、見栄を張ったまま、苦しいのを堪えて噎せずに煙を吐き出してから、未だにタバコはやめられないでいる。
その時から、誰かの家に行ってはたばこを吸い、最大限のボリュームでハード・ロックを聴き、踊り、騒ぎまくっていたのだが、自分の家には絶対に連れてこなかった。
なぜなら、家は豚箱のように汚かったからだ。と言うか豚に対して失礼な程、よりも汚かったと訂正しておこう。
足の踏み場はないし、それ故に歩くと画鋲が足の裏に刺さるというデンジャラス・ゾーンだったのだ。
母は、昼はパートに出掛け、夜は家の仕事で夜中まで働き、顔を見るのは食事の用意が出来たと伝えに来てくれる時だけだったので掃除する暇もない程忙しい人だった。
その点、父は昼は家で定食家を開いていたので、忙しくない時間帯に帰れば、アイスがあるから食えとか今日はどうだったとかいろいろとかまってくれた方だったので、怖くても好きな方だったのだが、やはり仕込み前まで睡眠を取っていたので暇はなく、お互い仕事人間で家の中の事はまるで無頓着だった。
だから母はいつもわたしたちに言っていた。
「友達を絶対に連れてきちゃダメ。
遊ぶなら外で遊びなさい」
母親がそんな人だったからなのか、当時のわたしは自分の部屋をこまめに掃除していて、絶対に自分の部屋以外は行かなかった。
まあ、そんな人だったからこそ、洗濯もろくにしないので着る物がなくわたしたち家族は着たきり雀でもあったが。
そういうのがイヤとも思わなかったのだから、当然自分が洗濯掃除をするという事もせず、料理には興味があったが、台所というモノは存在しておらず厨房は出入り禁止だった為、それもしなかった。
そして、昼食夕食は作って貰っていたのだが、朝食もなく、起こしてもくれなかったので、わたしと弟はいつも自主的に起きて学校に行っていた。
いまでも記憶に残っているのだが、弟がどうしてもお腹が空いたからと言って冷凍のマルシンハンバーグを焼く。と、厨房でフライパンを使いだした。
「姉ちゃんも欲しい」
と、言ったら作ってくれたのだが、出来あがったモノは中まで火が通っていなかった。
「冷たいね」
「うん」
そう言いあいながら平らげ、いざ学校へ行こうと玄関を出たら、突然ムカつき、二人して吐いたという事があった。
これは小学生の時の話なのだが、友達に笑い話としてこの話を聞かせたら、ひどく同情された。
その時は何が可哀相なのかもわからない程、そういう事は日常的でもあったのだけど、今はあの当時の自分たちは可哀相だったと思う。
かと言って、怒りや悲しみは湧いてはこないが。
ただ、自分の子供にはそんなわびしい思いはさせたくないと思うだけで。
日々、怒られて、泣いて、笑って、と過ごしてきたが中学三年生の時、出会った友達がいる。
名を松木 澄香と言い、彼女は完全にグレていた。また、嘘つきだという事も聞いていた。
先生に逆らい、親にも逆らい、学校にもときたましか来なかったのだが、友達の家に遊びに行ったらその子がいて、急激に親しくなった。
皆、親の金は盗んだ事があるとは言っていたが万引きまではしていなかったし、シンナーや薬にまでは手を出してはいなかった。
そう、逆らうと言ってもやはり親は怖く、反抗した事はまだ一度もなかったわたしは、その子に誘われ、一緒に万引きをした。
「嘘つき」という噂が本当かどうかも確かめたかったから、彼女の誘いに乗ったのだ。
彼女は注意点を教えてくれた後、まず自分が、と実践してくれた。
わたしはそれで彼女の事を信じると決めた。
人に左右されやすいが、昔から自分で見た事しか信じない方だったので今回もそうしたまでだったが、それでもいつ寝首をかかれるかはわからなかったので、わたしのカバンにはいつも警棒が入っていた。
そう、わたしの中で「信じる」という意味は、その一瞬一瞬だけの事でもあった。
友達同士の団欒の中、K美はムカつく奴をまずは友達ヅラして近づき、仲間を集めておいてからそこに呼び出しボコった。という笑い話として聞かされる事があったので、明日は我が身というフレーズはきっとあの頃のわたしたちは誰もが常に心の中で口ずさんでいたのではないだろうかと思う。
かと言え、警棒を持ち歩いていたのは多分わたしだけだろうとは思うが。これが手に入ったのも家業に関係があり、お店の常連のチンピラ止まりで逃げてきたおっちゃんは弟と仲が良く、長距離運転手でもあった為、色々とお土産を買ってきてくれていたらしい。
その中に、二段式の警棒があったので、ポテトチップス一袋で譲って貰ったのだ。重さも充分あるモノだったので、アレで人を殴れば大けがを負う事は間違いないのだが、その頃のわたしはそこまで考えてはおらず、いざとなれば平気で使っていた事だろう。
幸い使う事はなかったのだが、今思えば本当に幸いだった。因みに澄香はカミソリの刃を何十枚と常に持ち歩いていた。
澄香は万引きは、スリルがたまらないと言うが、わたしはスリルを感じるのではなく、欲しいと思ったモノを手に入れる事が出来る方のが嬉しかった。だから、一人でも平気で万引きは常習化していった。
だが、そういう事での繋がりのせいか、澄香とは深い所までよく話し合った。
澄香の両親も仕事人間で、特に勉強には厳しく、だが食に関する事も厳しく(食費を浮かす方に)、毎日インスタント・ラーメンを食い続けさせられ、栄養失調で倒れた事もあったと言った。
そんな親を恨み、反抗しているのだとも言い。
わたしはそんな澄香に嘘つきだと聞かされた事があると本人にその真意を確かめた事があった。
澄香は、偽る事もなく、肯定した。昔は見栄っ張りだったのだと。
だからわたしもたばこの吸い始めの事を言い、皆同じで良かったと笑いあった。
夏休み、二人だけで夜中の小学校で肝試しと称して忍び込み、幽霊は出なかったねと笑いながら校庭でたばこを吸っていた時、突然、涙ながらに言われた。
「佐和だけだよ、こんな事まで話したの。
小学生の時にイジメに合ってから誰も信用出来なかったけど、
佐和だけは信用出来る。
お願いだから裏切らないでね」
わたしはイジメに合った事もなかったし、した事もなかったので、気持ちは全くわからなかったが、彼女のその真剣な様子に胸が熱くなった。
自分もこんな風に話し合った事はなかったし、一緒に悪い事をするのも彼女が初めてだったし、そんな彼女を大事にしたいと真剣に思った。
丁度、その頃、両親はよくケンカをし出した。
母は夜中に何度もわたしの部屋に掛け込んできては、
「殺される!
助けて!」
と叩き起こしてくれたし、人の部屋でケンカはするし、正直、ウザい事この上なかった。
けれど、そういう時、父はべろんべろんに酔っていたのでヘタに口を挟めば自分が痛い目に合うから、無視して布団に潜ってやり過ごしてきていたのだが、ある日、我慢の限界が来て、怒鳴った。
「ケンカするなら外でしろ!
いい晒しモンになりやがれ!」
驚いたのは二人とも。
父も母も慌てて部屋から出ていった。
その翌日、母は実家に帰ったらしかったが三日後には帰ってきていた。
それからちょくちょく母は実家に帰るようになっていた。
高校生になった時、母は離婚してもいいかと聞いてくるようになった。
ケンカは相も変わらず続いているし、そんな状態だから経営も上手くいってなかったらしい。
よくお金の事でも揉めていたので、本当にウザかった。
澄香とは違う高校になったが、毎日会っていたのでよく愚痴ってはいた。
ある日、久し振りに母がわたしの部屋へ助けを求めに来たのだが、上半身裸という姿。
父は母を押し倒し、母の乳房を握り、
「俺はこの乳さえあればお前なんかいらない!」
とまで言ったので、突き倒してやった。
そのまま、わたしは家を出て、公園で一夜を過ごした。
その時のわたしの心情は、早く壊れてしまえばいいだった。
だから、家の有り金すべて盗んで、澄香とハデに使った。
「佐和、この金どした?」
「家のを盗んだ。
今頃離婚してんじゃない?」
「…佐和はさ、よくそうやって離婚しろって言うけど、
ほんとに離婚したら寂しくなるよ?」
澄香の言った意味はまるでわからなかった。
とにかくあのウザいケンカがなくなればいいと思っていた。
結局、親は離婚などしておらず、父は泥棒に入られたと警察沙汰にしていたが、母はわたしが盗んだ事を知っていた。
「泥棒なら、現金だけ盗んでくなんてマヌケな事はしないの、佐和。
お父さんには黙っているけど、二度としないで?
学校に行けなくなるのよ?」
わたしは母の言った事を無視して部屋に帰り、壁をボコボコにしていた。
高校は何も楽しい事はなかった。加えて自分が何をしたいのかもわからなかった。とにかく今のこの状況はとてつもなくイヤな事だらけで、何かを、何かが壊れれば変わるのではないのかと思っていた。
そんなゴタゴタした家庭環境ではあっても、色恋話には花が咲くし、興味もあった。
わたしの好みは成人していて、でもどっかヤサグレ感が抜けてない人。
お店の常連客の中に、好みのタイプがいたので手伝うと言っては店に顔を出し、その人とよく話したりして、彼女にして貰った。当然、親にはナイショで。初めてのセックスには大いに期待していたが、これが現実か、と非常にショックを受け、すぐに別れた。
今思えば、ただ単に相手がド下手くそなだけだったのだが、カエルのひっくり返ったような格好にはされるわ、ただただ痛いわ、で、「好き」という感情は泡のように消えてしまった、そんな自分に対しても腹が立ったからだったのだが、あの時のわたしは常に好奇心優先で動いていたので、まぁ、相手が気の毒だったと反省はしている。
一方澄香の好みは決まっていて、一つ上の先輩で猛烈にアタックしていた。
セックスはしたけど、「彼女」にはしてくれないと泣いていたが、遊ばれてるだけだからとっとと諦めて違う男探せばいいのにと思っていた。
そして憂さ晴らしに二人して万引きしに行き、捕まった。
近所のデパートでの事だった。
いつもエスカレーターは使わず階段を使うのだが、その時、後ろにいたそのデパートの紙袋を持ったおっさんが気にはなった。
こちらを見ていたから。
でも、客だし、ミニスカートを履いていたのでエロ親父が覗き見してるぐらいにしか思わなかった。
因みにわたしたちも怪しまれない為に、マンガの本を数冊入れたそのデパートの紙袋を互いに持っていた。
服を数着選び個別に試着室に入り、その中の一枚。気に入った服の値札を引き千切り、その紙袋に入れる。
そして、残った服をまた元の所に戻し、暫くウロついてから帰るのが定番だった。
いつもの通りに出入り口に来た時、そのエロ親父がわたしたちを止めたのだ。
従業員室に連れて行かれ、紙袋の中身を出せと言われたので出した。
おっさんはまずわたしに全部盗んだモノだなと言ってきた。
だが、わたしは値札を取っていたので自分のだと言い張った。
強みは持っていたマンガの本で、それは本当に自分のだからだった。
わたしの真剣な瞳にそのおっさんもそうだったのかと小さい声ですまないと言ったが、だが、澄香は一枚どころか三枚程、袋の中に入れていて、しかも値札も付きっぱなしだった。
これでは言い逃れようもないので、服の前に髪飾りを一つくすねていた私はそれをポケットから出し、素直に謝ろうと思った。
だがエロ親父はここぞとばかりに厳しい口調で責めてきたので、金を払えばいいんだろ!?と言ったら、即、警察を呼ばれ、産まれて初めてパトカーに乗った。
派出所の中で別々の部屋に入れられ、警察官がどうして盗もうと思ったのかと聞いてくる。
パトカーに乗りこむ前、澄香が絶対に何も喋らないって誓って。と言ったのでわたしは何も語らなかった。
そこにもう一人の警察官が来て、お母さんが来たから。と言い、わたしは受付の奥の机に座らされた。
母親は泣きながら、どうしてこんな事しちゃったの?と聞いてきたが、無視した。
そしたら突然、後頭部を掴まれて机に押し付けられた。
それは警察官の人による行為で。
「お母さんに申し訳ないと思わないのか!?」
と、怒鳴られたがそれも無視した。
今度は髪の毛を引っ張られ、上を向かせられる。
「何も喋らなかったら、留置所行きだぞ!」
それでもわたしは澄香との約束を守り通した。
「もう、やめてください!」
突然眼の前が暗くなったと思ったら母がわたしを抱きしめていた。
「わたしたちが悪いんです!
この子には二度とこんな事はさせまん!
ですから許してください!」
初めてだったかも知れない、母にかばわれたのは。
だが、わたしは別段嬉しいとも感じなかったし、どうしてこの人がそんな風に泣いているのかもわからなかった。
そこに少し貫禄のある警察官が来て、母を宥めてからわたしの目線に合わせ、優しく聞いてくる。
「お友達は自分の罪を認めてるよ?
君も強情張ってないで理由を話してごらん」
嘘だと思った。
澄香は何も喋るなと言った。そう言った人が喋るわけはない。
そうか、警察はこんなに汚いんだ。
こんなトコ、1分と居たくない。
わたしは素直に謝り、2度としないと言った。
警察もそれで許してくれた。まぁ結局わたしの盗んだモノは二百円の髪飾りだけという事になっていたし、初めてだからという事で大目に見てくれた結果だったらしいが。
同じ頃、澄香も親と一緒に部屋から出てきていた。
母は警察官に呼ばれ、何かの書類を書かされていた。
わたしは待合室で待っているようにと言われたので出入り口のイスに腰掛けようとした。
そのわたしに警察官が耳打ちする。
「乱暴にしてごめんね。
親の目の前でああいう事すると少しは効くからね。
負けるなよ」
と。
今、思えばその警察官は子供のグレる理由を知っていたのかも知れない。
だが当時のわたしは汚い大人としか見えなかった。謝るくらいなら最初からするなとしか思わなかった。
イスに座ると澄香も同じように促されて来た。
わたしたちはずっと押し黙ったままだったが澄香が小声で言った。
「家出しよう。違う場所でやり直そうよ、一緒に」
やり直すとは、これまでのくだらない自分を捨てるという事だと受け取ったわたしはコクリと頷き。だが、聞く。
「…お金は?」
「少しなら貯金がある。
K県に行こうよ。伯母がいるんだ」
「わかった。わたしもバイト代貰ってくる」
「明朝4時半に駅で」
「うん」
わたしは本屋でバイトをしていて、そこの店主とはフレンドリーになっていたので、家に帰り、父にこっぴどく怒られた後、バイト先に行って事情を説明し、協力して貰い、余分にお金を貰って、一睡もせず、家を出た。
澄香が本当に来るかはどうでも良かった。
もし、彼女が来なくても一人で出かけるつもりだった。
持ち金で行ける所まで。
そこで人生やり直してみたいと真剣に思っていた。
時間より少し前に澄香はやってきた。
「嬉しい。
ホントに来てくれたんだね」
わたしは人に裏切られた事がないので、彼女の言葉は少し理解出来なかった。
だから、尋ねてみた。
「警察には何も喋らなかったよ。
でも、警察は澄香は喋ったって」
「あたしもそう言われたよ。
でも、何も喋らなかった」
人を疑う人はその人自身が裏切るからだと思って不安だったが、澄香はきっぱりと言い切ってくれたので、やっぱり警察の誘導尋問に乗せられなくて良かったと思った。
そして、二人でお金を出し合って新幹線に乗り込んだ。
「何で行き先が伯母さんの家なの?
バレちゃうじゃん」
「伯母ちゃんとこも荒れてるお兄ちゃんいるから協力してくれるって」
「…ふーん…」
K県につき、普通電車に乗って目的地に着き、わたしを玄関前に待たせ、彼女は伯母に事情を説明した。
暫くして、手招きされたので挨拶をしたら、優しそうな笑顔の伯母さんは、
「充分に反省したら帰りなさいよ」
と、言ったので何の事かわからず二人きりになった時にどう説明したのかを澄香に聞いた。
「親とケンカして、頭冷やす為に来たって言ったよ」
「は?
ちょっと待ってよ、帰るつもり?」
「現実見えてないの?
こんなトコで暮らしてけるワケないじゃん。
いつまでも伯母ちゃんちに居させて貰うわけにもいかないし、
アパート借りるのだって保証人がいるんだよ?」
澄香はいつも現実的な事を言うが、確かにわたしはそんな事も知らなかったし、正直、考えは甘かったとも思った。
だが、書き置きの手紙には、家にいても同じ事を繰り返してしまうかも知れないから、一人で生活してみるよ。そして、立派になって帰ってくるからね。とまで書いてしまったのだ。
おめおめと帰れるワケがない、恥ずかしくて。
「だからって家に帰るの?
やり直す為じゃないの?」
「今頃、めちゃくちゃ心配してるって。
帰った時にはハレモノ触るみたいになってんじゃないの?」
そこで彼女に初めてはっきりとした疑いを持った。
彼女は反省してはいないのだろうか。
いいや、むしろ…
「ねぇ、お菓子買いに行こうよ。
佐和、お金まだあるんでしょ?」
強引に連れ出され、近くの小さい雑貨屋さんに入り、取り敢えず、自分の食いたいモノをかごに入れると、澄香はガムをポケットの中に入れた。
「澄香、帰ろう」
わたしはかごをそこに置き、澄香を引っ張って外に出て、途中の人通りのない道端で聞いた。
「万引きしたね」
「したよ?
ガムくらいいいじゃん」
「警察に捕まった時、みじめじゃなかった?
他人から怒られて、机にでこぶつけられて髪の毛引っ張られて、
あたしはめちゃくちゃ頭にきたよ?
2度とこんな惨めな思いはしたくないって思うほどね!
だから、万引きは絶対にしないし、自分に恥ずかしくない生き方していこうって決めた!
澄香は違うの!?」
「…バカみたい。
たかがガムじゃん?
それに佐和はさ、値札取る事教えてくれなかったよね?
教えてくれてたら今頃ここにはいなかったのにさ。
結局佐和だって盗った事言わずに、あの服手に入れてるし?」
澄香は嫌味たらしい笑顔でわたしを見る。その顔にムカついた。
「帰る」
わたしたちはそこで決裂した。
澄香とわたしでは捉え方が違っていた。
それがわかっただけで充分だった。
派出所から帰ったあと、父は澄香と付き合うなと言った。どうせあいつが誘ったんだろうと。
その事についてはきっちり反論しておいたが、結局は父の言う通りになってしまった。
人のせいにするなと言っておきながら平気で人のせいにする親の元に帰るしかない自分。
親友だと思い、信じていた友も平気で裏切ってきた。
哀しさと悔しさの入り混じった涙を必死に堪え、自宅に戻った。
当然、帰ったあと、服の事を親に言い、残った金を渡し、その服は即効捨てた。
父はわたしに夢中になれるモノを見つけろと言ったが、どう見つければいいのかもわからず、とにかく今の自分は学校をやめて働きたいとしか言えなかった。お金を貯めて、一人で生活したかった。
だが、父は学校だけは出ろの一点張りで自分の中のフラストレーションは溜まる一方だったわたしには、人生がとてつもなくつまらないモノにしか思えなかった。
学校に行くフリをしては遊んでる友達の家に行って、夜中まで寝たり、二、三日帰らなかったり、前よりもくだらない人間になり果てていた。
母はわたしの事がまったくわからないと言って、顔すら合わす事はなくなったし、両親のケンカは続いていて、父もわたしどころではなかったのだろう、小言も言わなくなった。
それから半年後、両親は離婚。
澄香とも会ってはいなかったが、風の噂で家出したきり戻らないと聞いた。
わたしは高校をやめ、喫茶店でバイトしていた。
新たな彼氏も出来て、それなりに楽しかったのだが、母のいない家はわたしが掃除しまくっていて綺麗なのに、暗かった。
時折、澄香の言った事を思い出す程に。
あんな母親だったのに、ケンカされるのはウザかったのに、家には隙間風が始終入り混んでいた。
そんな状況だったからなのか、わたしよりかなり遅れて弟がグレた。
彼はシンナー漬けとなり、一人で車上狙いして、相も変わらずそのお金を貯め込んでいたので、見つかった時、すぐに返す事が出来て良かったと父は苦笑していたが、わたしより手は付けられない状態ではあった。
弟が落ちぶれていこうとわたしには何の関係もなかったが、その弟の彼女である子がしっかりと管理するようになり、弟は少しずつマトモになっていった。
そんな時、澄香から電話が掛かってきた。
「助けて…
ヤクザに追われてる…」
あれから2年くらい経っていたのだろうか。
わだかまりはなく、助けた。
彼女はスナックで働いていて、彼氏が族のリーダーだったのでその族のマスコットにもなっていたらしい。
そして、そのスナックで知り合ったヤクザと少し揉めて、ここまで逃げてきたらしいのだが、地元のヤクザじゃなかったから、何とか細い路地を抜けつつ、家にまで来れたという所だろう。大通りはそれらしき車が結構走っていたし、その狭い路地もゆっくりと走り去る車を見た時は真剣に怖かった。
「ありがとう佐和…」
「いいんだけどさ、どうすんの?
こっちにだって支部のある極道じゃん?
ずっと家にいてもらっても困るし」
「うん、今電話して迎えに来てもらう…」
その後の展開は彼氏のつての力のあるヤクザの幹部さんが何とか沈めてくれたらしかったのだが、それからまた彼女と連絡を取り合うようになった。
彼女の家も両親は離婚していたらしく、母親は澄香を頼って近くにアパートを借り、男と一緒に住んでるとの事だった。
わたしの母は連絡一つよこさずに、やはり風の噂で再婚したらしい事は聞いていたが。
父からぼそりと聞いたのだが、母は浮気をしてたとの事だった。
だから、父と一緒にいるのが耐えられなかったんだろうと。
そんな事すらもわたしにはどうでもいい事だったが。
電車で1時間ぐらいの場所に澄香は彼氏とアパートを借り、住んでいた。
昼間なのにハデな化粧の彼女には多少困惑したが、既に家庭を持っていると感じる雰囲気を羨ましいと思った。
自分も早く結婚して家庭が欲しかった。
それこそ暖かい家庭が。
「お腹空いてる?
昨日、作ったシチューがあるんだけど食べる?
これがまた具は玉ねぎだけなんだけどね。
生活はきつきつだからさ」
両親が離婚して父は暫くは一人で居酒屋を切り持っていたが、客も入らず、工場で働き始めた為、厨房は台所へと変わっていた。
だが、マトモな料理を作った事もなく、教えてくれる人もいなかった為、コンビニ弁当が多かったから、彼女の作った料理が食べてみたかった。
「ありがとう、いただくよ」
温め直す彼女の後姿に母性を感じ、彼女は彼女なりに色んな事を経験してきて、ここで今頑張っている。
その姿に感動もした。
そう、自分は相も変わらず腹が立てばモノに当たって壊していた方だったし、心の中はいつも落ち着きがなかったから、危ない道を走ってるのは彼女の方だったが、その落ち着きが羨ましくもあり、尊敬もした。
「どうぞ。
ご飯もないんでコレだけでね」
湯気のたつシチューに両手を合わせ、いただきますと言い、一口入れる。
具はホントに玉ねぎだけ。でも、量はある。そのせいだったもあったのだろうか、それは今まで食べてきた中で、格別に美味しかった。
「うそ、すごくうまいよ…」
「良かった」
そこには初めて見る、優しい笑顔の彼女がいた。
思えばそんな笑顔の彼女に触れた事はなかった。
そして、彼女はぽつりぽつりと語りだした。
ヤクザに追われている時、助けを求めたがほんとに来てくれるとは思わなかったと。
自分はわたしを裏切り、見下してもいたと言い、けれど、いざという時に来てくれたわたしを大事にしたいとも言ってくれた。
わたしたちは再び友情を確かめ合った。
それからも紆余曲折しつつ、自分たちは寂しかったんだね、と気付きながら大人へとなっていった。
あれから何十年と経ち、当時付き合っていた男性とではなく、お互い全く正反対の家庭で育った穏やかな性格の人とそれぞれ結婚をし家庭は持ったものの同じ場所で暮らしているわたしたちは今も友達を続けている。
料理の腕前もそこそこ上達し、あの時食べたシチューの味を再現してみようと何度もトライしているが未だ到達していない。
当然、作った本人にも作り方も聞いて、その通りに作って貰った事もあったのだが、あの時の味ではなかった。
「澄香はあの時のシチューの味を覚えてる?」
「覚えてはいるけど、出来ないんだよねぇ…」
最近になって思うのは、あの時の心情も関係あったのかも知れないという事だ。
一度失望した友人。
けれど、また友人になった友人。
お互い寂しがりで、けれど群れる事はしなくて、互いに互いの道を歩いていて、でも再び会えたあの時だからこそ、あの絶品の味のシチューを味わえたのではないだろうか…
寂しさと甘さ、優しさ、幸せの入り混じった不可思議な味のシチューは多分、もう2度と味わえない。
わかってはいても挑戦し続けている自分がいる。
お陰で子供たちからは『お母さんのシチューが一番美味しい』と、言われているが…
色んな可能性があった10代だった──
今、子供たちは青春時代でもある。その彼女たちはしっかりと『夢』というモノも持っている。
振り返れば、あの時のわたしに『夢』というモノがあれば、両親や友達、周りの環境に左右される事なく、自分のなりたいモノになれていたかも知れない。
若しくは両親がもう少し『家庭』というモノを大事にしてくれていれば、わたしも『夢』を持っていたかも知れない。
残念ながら今も自分には『夢』というモノはない。
そう、夢ではなかったが、やってみたいと思った事は数々の選択肢があった。
社長の愛人となり、店を出さないかと言われた事もあり、ヤクザの女となり一緒に組みを切り持ってみないかという誘いもあり、小さな喫茶店でもいいから自分の思う通りの店が持ちたかったりとあったが、やはり今の生活が一番、多分、過去の私も一番望んでいたモノだっただろうから後悔はない。
そして、子供たちの『夢』を応援してあげて、旦那様と穏やかな老後を過ごしていき、この平凡な幸せを生涯守っていきたいという思いは強く、その為に努力も惜しんでいないので、つまらないモノかも知れないが、わたしにはこれを守り続ける事が『夢』でもある。
なりたいモノにはなれなかったが、あの時欲しかったモノは手に出来ている今の自分には満足している今日この頃──
母が今どこにいて何をしているのかは、やはり知り得ない事ではあるのだが、父は弟家族の元にいてそれなりに幸せそうで、弟は当然幸せでいる──
ただ、自分が『母親』という立場になった時、わたしの母はまったく『母親』ではなかった事がはっきりとわかった。
母に会って、聞いてみたい事はある。
わたしたちの事、愛していてはくれなかったかのか?と。
愛があるから、人を思いやる事が出来る事を知った。
思いやれば、相手にとってベストな行動が取れる事も知った。
だからこそ、母はわたしたちの事をどう思っていたのか知りたかった。
だが、現実に対峙すればわたしは母を責める言葉しか出さないだろう事はわかっているし、何かにつけて大人の言い訳をする人だったので、こちらが幻滅するだけだろう事もわかっているので、このままでいいとも思っている。
そして、自分が幸せでいるのだから、母にも幸せでいて欲しいと願う。
まぁ、不幸であったとしてもそれは母の人生なのだから、わたしの知った事ではないのだけど。という思いもあるが。
ともあれ反面教師である両親の元に産まれ出た事は、幸だったのか不幸だったのか、未だにわかりかねてはいるが、こうしてたまに振りかえる自分の過去は、なかなかに面白いモノで、あの過去があったからこその現在でもあるから、感謝してしまったりする自分がいるのだ──
洗濯機の仕事が終わったブザー音が聞こえ、我に返る。
外は快晴。洗濯日和で布団干し日和。
午後は澄香と一緒にランチでも楽しもう。
話題はあの時の『シチュー』の味について──
END
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