焦燥
「綺麗事だ…」
「そんなの上等だよ」
「世の中はそんなに甘くない」
今日もまた、僕は懲りずに物部君を説得する。
物部君の言葉は、僕に現実を突きつけている気がした。それでも、この世界を共に歩んでいきたいと思える人が出来た。綺麗事に縋り付いていたとしても。
「梓のこと、物部君は誤解してるんだ。話してみればきっと….」
「しつこい」
非難の声が、耳に届く。僕の胸が、ちくりと痛む。
こういう時こそ一歩ずつ。
物部君の厳しい視線が、突き刺す。
「あいにく、諦めの悪さが僕のとりえなんだ」
未熟な僕なりの答えだった。その答えの正誤はいらなかった。
物部君は、深いため息をつく。何も言わずに歩いていく。
梓とは、偶然か必然か互いの都合もあって、あれ以来数週間会えなかった。
体感時間の途方もない時間によって、恋しさが募り、ありもしない溝に恐怖を覚えていた。
初めてのデートの時よりも緊張していた僕は、例に漏れず待ち合わせよりも早く来てしまった。
待ち合わせの時間に近づいていく内に、胸の鼓動と共に時が刻むスピードが早まっていった。
僕の方に駆け寄ってくるワンピース姿の梓に、これまで以上に胸が高まった。
久しぶりのデートは、楽しすぎてあっという間に時間が溶けてしまった。
帰り道、少し口数が少なくなっていた梓が、足を止めた。
梓が、何か覚悟を決めた顔で真正面から僕を見つめてきた。
「もう逃げない。お父さんのこともこれまで生きてきた過去も」
梓の目に強い光が宿っていた。彼女は覚悟を決めた。僕が出来ることは、ただ一つ。これからの未来を共に歩むこと。僕は、彼女を抱きしめた。
「真人君、私今とっても幸せだよ」
彼女が笑った顔は、絵にも描けない美しさがあった。
「真人君に出会ってから、『日常』が『特別』になったよ」
「それは、僕も同じだよ」
夕日に照らされている君と一緒に歩いているこの時が、何よりも愛おしい。
不安と焦りが、いつまでたっても消えない。むしろ、膨れ上がっていた。
だけど、僕には梓がいる。最愛で最高の味方だ。
茜色の世界も、僕を優しく慰めてくれたから。




