5.しつこくゲロの話をします
セロが吐けない。セロを吐くのが苦しい。
そんなことを嘆いている人を見かけたことがある。
趣味でセロしてるのであれば、そんな無理やりセロする必要なんてないのになって思う。
えづいてもセロが出ないのであれば、おそらく中に吐けそうなものが何も入っていないから出てこないだけなのだと思う。
もしセロを売って金にしている仕事の人であって、セロを売らなければその日に食べるものが買えない。我が家には乳飲み子を抱えた病気がちの妻もいるんだ! そんなことを言うのであれば、そういう人なら仕方ない。
それはもう割り切って血反吐だろうが、胃液だろうが胆汁だろうが吐けるものを絞り出して金に変えなくちゃだね、と思う。
愛する妻と子供にうまい飯を食わせてやるためだ。応援する。がんばれ。
でも別に今吐いてるセロを換金するような契約を誰ともしてないのであれば、なにをそんなに追い詰められているのだろうと不思議に思う。
吐けぬなら 吐くまで待とう ゲロロゲス
世の中にはセロを吐いてそれを金にしている人がいる。芸能人とかクリエイターとか、最近だとYouTuberとかインフルエンサーとか。
すごく大変な仕事だと思う。
どんなに吐いても見向きもされない時代もあれば、ちょっとでも当たれば金になるうちにと、ひたすらセロ吐きを強いられることになる。
セロが吐けなくなれば用済みだ。
代わりはいくらでもいる。その世界に居座る以上はセロを吐き続けるしかない。
けれど、干からびてしまえばおしまいだ。結局は捨てられるのだろう。
能力の高い人しか生き残れない修羅の世界だと勝手に思っている。
私はこういう世界にはあんまりお近づきになりたくないけど、憧れる人は憧れるものらしい。
スポットライトの当たったきれいな部分しか認知できないのかもしれない。
ライトが当たっているのは、ほんの一握りどころかひとつまみ程度の人たちだけで、あとの有象無象がどんな地獄にはまっているかなんて、想像もしていないのだろう。
闇バイトに手を出す人と大差ない思考だと思うのだけれど、どうだろうか。
では自分のセロを売らずに金を稼ぐのはどういう仕事なのかと考えてみると、人のゲロ始末をして金をもらう人だと思う。
ここで呼び方をセロからゲロに戻すことにする。ゲロだけに。
創作物や芸事、技術には敬意を評してセロと表記したけれど、ここから先は敬意はなくてもいいかなって思うので戻してみた。ゲロだけに。
お金。お給料。お賃金。お給金。
人がやりたがらない仕事をやってあげる代わりに、支払われる報酬だと解釈している。私はね。
あとは人がやろうとしてもできない仕事をやってあげる代わりにもらえる報酬だとも思っている。
でもきっとそんな仕事のほとんどは、なくそうと思えばなくせる仕事なんだと思う。
何年か前にエアコンのクリーニングを頼んでみた。やろうと思えば自分でもできる。でもめんどくさいからお金で解決してみた。
対価である技術料や薬剤料、あとは専用道具の管理費用に対して、高いと思うか安いと思うか、人それぞれだとは思う。
今はYouTubeさえ見ればなんでも自分ひとりで分解して修理できちゃう時代だ。
やる気があればけっこうなんでもできるもんだ。
ただ専門知識って、本来ならきちんと情報料を取るに値する貴重なものだったと思う。
ずいぶんと知識を安売りする人たちが増えたけど、自分の知識にプライドってないのかなって不思議に思う。
まあ、中にはひどいデタラメをばらまいてる手合いも多いから、その情報の真偽を見極められるだけの知識は最低限必要になるのだろう。
セロ売りとゲロ売りの見極め。
それももしかしたらそのうち金になる仕事になるのかもしれない。
本来なら健康だって本人の努力次第でかなり維持ができるはずだけど、生活習慣を見直したくないし、好きなことを我慢するのが嫌だからとか面倒だからって理由で、医療機関に金を払って健康を買っている人たちがいる。
その明らかに破綻した食生活を見直すだけで、支出される金額も通院にかかる時間も節約できる可能性が十分に期待できるというのに、頑なにその元凶となっている行動を改めようとはしない。
明らかに生活の質が上がるはずなのにもかかわらずだ。
ありのままの自分に固執し続ける。
固執よりも執着かな。どっちでもいいけど。
働き始めたとき、そういう人たちの考え方が理解できなくて、もどかしくて、なんとかならないものかとあがいた結果、心理学やカウンセリングの業界に片足を突っ込んでみたりした。
今は理解している。
その思考も含めて病なのだと。
だから、割り切ることにした。
本人が変わろうと思わない限り、誰が何を言おうと変わるものではないと知ったからだ。
誰かのめんどくさいを肩代わりすることで、世の中の経済が回っている。
誰かのゲロを始末するための仕事が、この世界にはたくさんあふれている。
そして私も、そのゲロの連鎖の中に組み込まれて、ゲロによって仕事を得て、ゲロによって生かされている一介のゲロの塊なのだ。
もし人間という種族がもっと思慮深く、聡明かつ自律した生き物だったのであれば、今存在している経済活動はほとんど存在していないのかもしれない。
そんな世界をたまに空想することがある。
きっとゲロひとつない、美しい世界なのだろう。