4.まだまだゲロの話をします
当初のストレスはもう大丈夫です。
公開ゲロしたエクスタシーで相殺できたようです。
ご心配をおかけいたしました。
ではもう少しだけセロについて語ろうと思います。
私が思う良い状態のセロとは、発酵が進んで原型をとどめないくらいにグズグズになってはいるけれど、セロ主の足取りを辿れるくらいにはルーツを残してくれているものが良いセロだと思います。
セロ主の食べたものを発見した時に、『そうか! これがあのときのあれか!』という気づきがあるくらいの残骸が残っていると最高です。
これはもう完全に私の主観ですけど。
自分でセロするときにも思うけれど、消化の進んだセロの方がセロするときに楽です。
スルスルと流れるようにセロリます。マーライオンみたいな感じでいくらでも出てきます。
で、自分の今メインでセロしてるセロのルーツってどこなんだろって、ちょっと考えたことがあったんです。
思い当たるのは、英国の児童文学作家の書いた魔法使いの物語。
私が初めて読んだ挿絵のない小説だったと記憶しています。
それが一応のところ現時点でセロっている私のセロの根幹なように感じます。
昔、母方の祖母の知り合いに教育関係の熱い志を持ってる人がいたらしく、その人が私や従兄弟のためにやたらと本を持ってきてくれた(……のか、祖母が買わされていたのか)ようです。
その中にあった本でした。
おそらく手に取った時期は小学校に入学するタイミングだったかと思います。
絵本はしこたま読んでたので、ボリューム的にも丁度良いのではと親が判断して選ばせてくれました。
なにせすぐに読み終わってしまって次のものを要求していたらしいので、読むのに時間がかかる本を飲んでほしかったんだと思います。
選んだ理由は単純。子供心に魔法使いの出てくる物語というだけで安易に手に取った気がします。
あと、表紙に貼ってあった銀メダルみたいなシールがかっこよかったんです。(なんちゃら賞受賞、的なシールでした)
でも実際の内容はすごく地味で暗くて、陰鬱な世界観の物語でした。でもなぜか惹き込まれてしまったんですよね。
結末も当時はとても納得できず、ずっと不満でした。
なんであんなラストだったんだろう。
絶対にこうした方が面白かったのに……。
ずーっと不満でした。
でも誰もその本を読んでる人が周りにいなかったので、誰ともその不満を共有できなかった。
そのまま、いつまでもその本のイメージが私の中に残ったままになっていました。
ほとんどの物語は一回読んでしまえば、もう興味なんてなくなるのに、その物語だけいつまでも私の中にずっと残っていました。
消化不良によく似た気持ちの悪さ。
それがいつまでも残っていました。
数年前、その物語の続編が発売されていることを知りました。
まさかのシリーズ作品だったそうです。
熱心なファンがクラウドファンディングをして、日本語翻訳版を書籍化することに成功したそうです。
この物語に強い思い入れを持ちながら大人になった同志がいた! すっげー嬉しい! でもどうせなら私もクラファン混ざりたかった! めっちゃ悔しい!
そんな思いを噛み締めながら読みました。
私が読んだ本も新装版として、表紙も新たに発売されました。でも装丁は初期の方が好きでした。残念。
一番心配だった翻訳者も、最初の翻訳者さんが担当してくれていました。それは本当に嬉しかったです。
大人になってから読み返してみて、子供の頃に納得できなかった部分もすんなりと受け入れられました。
その結末は、しっかりと物語の根幹に基づいたものであり、世界の秩序に矛盾しない結末でした。
文句のないエンディングです。
幼い頃は理解できなかった部分が、大人になった今なら理解できます。
でも子供はやっぱり、分かりやすいハッピーエンドを望むんですよね。
主人公は全員無傷で幸せになりましたとさ、みたいなやつを。
背伸びしすぎて少し大人向けの物語を読んでしまったのでしょうけど、良い作品に出会えたなと思っています。
そんな最初の出会いから30年以上経ってます。
それが今頃になってようやくセロとなってセロセロと私からあふれ出ている。
我ながらいい感じの熟成具合だと思っています。
セロってても全然苦しくありません。
むしろ気持ちがいいです。
そういえば、喉にも性感帯ってあるらしいですね。
ちょっと自分はまだそこは未開発なんでよく知らないんですけど。