1.ゲロの話をします
いまからゲロの話をしよう。
まずタイトルで嫌悪感を覚えた人は、この画面になっていないだろうと思う。懸命な判断だ。
怖いもの見たさでクリックした方もいるかもしれない。
本当にゲロの話をするので不快に思ったら即時撤退していただきたい。
これから先、礼を失するほどの汚い話が続く。
読むんじゃなかった。
そんな後悔をする前に、ぜひ平和な日常へと戻っていって欲しい。
さらばだ。
さて、始めようか。
現在、私のリアルは繁忙期シーズン突入中である。
別の作品でも記載した記憶があるが、繁忙期の私はシラフで飛べる。
ただし今現在の状態は、アッパーというよりはダウナー系にキマっている感じだ。
というのもゲロの始末をしながらの繁忙期だからだ。
この場合のゲロとは直接的なゲロではない。
比喩表現としてのゲロである。
ゲロ散らかしたやつの後片付けをしながら繁忙期を迎えている。
ゲロした本人がきちんと後始末をしてからいなくなってくれるのが理想なのだが、本人はいない代わりにゲロだけ残されている。
それを残された人間がキレイに後始末をするわけだ。
人のゲロの始末をするのは気分の良いものではない。
でも不思議なもので、自分の子供のゲロなら平気だ。
なぜならそこには愛があるから。
同様に自分の子供と歳の近い子供のゲロも平気だ。それはもしかしたら庇護欲からくるものなのかもしれない。
だから薬局でゲロしちゃった子供には優しく接している。お母さんが必要以上に子供さんを叱らないように『大丈夫だよ、気にしないで。びっくりしちゃったね』と声をかけ、微笑みながらゲロの始末をしてあげられる。
換気、次亜塩素酸、ついでにおまけのファブリー◯。空気清浄機もフルパワーだ。
でもノロウィルス含有のゲロだったら、かなり危険だ。
ちなみに私は患者さんからノロをうつされて、せっかくの三連休が地獄と化したことが一回だけある。学会に参加したはずなのにトイレから出られなくなってしまった悲惨な思い出だ。
ちなみにここでのゲロは直接的表現によるゲロである。
なにはともあれ私は子供のゲロには寛大だ。
ゲロしたくてゲロったんじゃないって信じられるから。
同様に大人でも我慢して我慢して、それでも耐えきれずゲロしちゃった人に対しても許せる。
だってお互いさまだ。
世話になりたくなくても誰かの世話になってしまうこともある。自分だって例外ではない。
だからそういう人のゲロなら私は文句も言わず笑顔で片付けるだろう。
「気にすんなよ、お互いさまだろ」なんて言いながら。つらくないといえば嘘になるけど。
あ、ちなみにここでのゲロは、比喩表現のゲロです。
でも他の店でも、やっぱり誰かが誰かのゲロの始末をしている。
ゲロまみれで働いてるのは自分だけじゃない。
そう言い聞かせてゲロの始末をする。
だけどたまに、後始末をする側の残された人たちを困らせるかのような迷惑なゲロを残していくやつがいる。
すごくこれみよがしに。
『ゲロ見参!』とでも言うかのように。
本人はざまあ的なのをやったつもりになっているのかもしれない。
ただ自分の品格を落とすだけだから止めたほうがいいと思う。ダサい。大人げない。カッコ悪い。恥ずかしい。
不思議なものでゲロはゲロでしかなく、誰が出したゲロでもゲロに変わりはないわけなのだけれども、やっぱり人というのは感情の生き物だからゲロをした人間の行動や誠意みたいなものにも影響されて、同じゲロなはずが大丈夫なゲロと不快なゲロに区別してしまうようである。
ゲロとは奥が深いものである。
私は『来たときよりも美しく』とか『立つ鳥跡を濁さず』という言葉が好きだし、自分の子にもそういう大人になってほしいと思い、日々声をかけている。
『あいつ最低だな……』って、いなくなってから思われるより、『もうここまでやってくれたら十分っす! あざっした!』って送り出された方が、お互いに気分がいいと思う。
私がもしいなくなる時は、絶対に人にゲロの始末はさせたくないなって思う。
人にゲロの始末をさせて平気な人の神経は理解できない。
そんなゲロの話をこれから続けていく……つもりである。
ここまで読んだ人は後悔しただろう。
だからやめとけって言ったのに。
とりあえず今回はこの辺でやめておく。
あなたが食事中に読んでいないことを祈るばかりだ。
ではさようなら。
そしておやすみなさい。
どうぞ良い夢を。
物好きな方は続きでまたお会いしましょう。