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簿外作品

パーフェクトドリーム 改訂版

作者: 恵美乃海

投稿済の小説パーフェクトドリーム の改訂版です。

1.斯波史


 斯波 史は十六歳だが、すでに将来を誓い合った恋人がいた。彼女の名前は朝香 愛夢、二学年上、十八歳である。

 

 朝香愛夢は、「歴史的」「神秘的」というような最大級の形容詞をつけたくなるほどの美少女である。くっきりした二重の大きな目、さらさらと背中まで伸びた黒髪、華奢ではかなげな立ち姿。

そしてその美は、十八歳となっても、女性が大人になる前の短い期間でしか持ちえない清純なものを保ち続けていた。

性格も優しく穏やかで、いつも微笑みをうかべていた。


 俗界に降り立った天上の美少女。それが朝香愛夢であった。

 学園の男子生徒はみんな、いや女子生徒もまた朝香愛夢に憧れていた。

 

 季節は初夏。放課後、斯波史は朝香愛夢とともに、制服姿のまま学園からほど近い小高い丘に登り、彼らが住む街を見渡しながら、並んで座った。

 史は、愛夢に自分の夢を語った。

 夢といっても壮大なものではない。


 「僕が好きなのは、歴史と、文学をはじめとする芸術。それから哲学です。僕はそれらを学び続けていく人生を送っていきたいと思っています。学者になりたいのです。でも何か新しい理論や、学説を打ち立てたいという気持ちはないのです。これまでの人間の歴史で多くの偉大な人たちが創造し、遺した作品にふれ、学ぶことによって自らの精神を高めていきたいと思っています。

そして、世界の色々な場所を見て回りたい。そこで色々と感じてみたいと思っています。

愛夢さん、あなたといっしょに」

 

 愛夢はうなづいた。神秘の微笑みとともに。

 

 愛夢とともに歩むこれからの人生。それを思うと、史の心は喜びにふるえた。

 が、史と愛夢は永遠に少年と少女のままで、年齢を重ねることはなかった。



 2.神光優


 甲子園に、投打に傑出した才能をもつ少年選手が出現した。その名は神光優。兵庫県の愛優夢学園鳴尾高校の三年生である。


 夏の全国選手権大会兵庫県予選七試合で、投げては、全試合完封。

 

 奪三振は、六十三イニングで四十個。


 一試合平均五.七個。


 打っては、一番打者として三十三打席二十九打数二十安打。打率六割九分。ホームランは無し。


 上記の記録をひっさげて甲子園に登場した神光優は、開幕式直後の第一試合で、これまた三年生の、投打に傑出した才能を持つ選手、飛鳥優を擁する東京都の愛優夢学園早稲田高校と対戦した。


 この試合で、神光優は、被安打六、奪三振四での完封を成し遂げた。

 打っては四打席四打数二安打。


 二対ゼロで愛優夢学園早稲田に勝利した。


 飛鳥優は、被安打五、与四球三、奪三振六。

打っては四打席四打数一安打であった。


 この大会、愛優夢学園鳴尾高校はあとの五試合にも勝利し優勝した。


 神光優は投げては、六試合中四試合に完封。大会での通算失点二。


 奪三振は、五十四イニングで二十九個。

一試合平均四・八個。

打っては二十八打席二十二打数九安打。打率四割九厘。ホームランは無し、であった。


 神光優は高校を卒業して、プロ野球の世界に飛び込んだ。

神光優は、半宗教的思想団体「愛優夢」の会長の次男であったが、この愛優夢が新たにプロ野球チーム「愛優夢ダークブラウン」を誕生させた。

フランチャイズは、愛優夢ダークブラウン鳴尾スタジアム。

準フランチャイズは、愛優夢ダークブラウン早稲田スタジアム。

その団体の持つ各種主要建築物同様、

「静穏」「中庸」「受容」「謙抑」

という団体の基本概念が表現された、

静謐、質素、純朴でありながらも、高雅、端正、閑寂、枯淡といった高度で気品のある美意識が反映されたスタジアムであった。


 神光優と飛鳥優は、ともに新球団愛優夢ダークブラウンに入団し、その中心選手となった。神光優の背番号は2。飛鳥優の背番号は4。


 新球団の初年度は最下位。二年目は8球団中6位。

そして三年目のシーズン。


 神光優の投手記録は、十四勝八敗。

ストレートは、最速134km


二百二十四イニングで自責点は五十六。防御率2.25。


奪三振百十四。奪三振率4.6。


打撃成績は、五百二十七打数百五十六安打。

打率二割九分六厘。

ホームランゼロ本。

打点六十ニ。



 飛鳥優の投手記録は、十六勝九敗。

ストレートは、最速138km


 二百六イニングで自責点は五十九。防御率2.58。


 奪三振百四十九。奪三振率6.5。


打撃成績は、五百十打数百四十七安打。

打率二割八分八厘。

ホームランゼロ本。

打点六十八。


 シーズンの百四十試合を76勝58敗6引分で優勝した愛優夢ダークブラウンの日本シリーズの対戦相手は、昨年まで

三年連続日本一の鳴尾アークトゥルス(フランチャイズ:鳴尾球場)。


 今シーズンも、通算236勝の真柴(今シーズン十六勝五敗)をはじめ、

真木(十八勝六敗)、

椎名(十五勝七敗)。


通算423本のホームラン記録をもつ白鳥(今シーズン二割六分八厘、ホームラン二十八本)。

首位打者を四回獲得している朝比奈(ニ割九分三厘、十六本)。

高校卒業三年目、二十歳の首位打者となった美馬(三割四分二厘、八本)。

早稲田大学のエース兼主砲で、大学通算、二十四勝六敗。打率二割九分一厘、ホームランは二十本の記録を打ち立てた新人、沢渡(十勝六敗。ニ割八分五厘、十九本)。

(沢渡 颯 早稲田大学

1年春 出場無し 2位

1年秋 出場無し 3位

2年春 2勝1敗 4本 2位

2年秋 5勝2敗 2本 2位

3年春 3勝   6本 1位

3年秋 6勝1敗 2本 1位

4年春 4勝  2本 1位

4年秋 4勝2敗 4本 1位  )


 強力な投手陣、打撃陣を擁し、八十九勝四十七敗四引分。独走で四年連続リーグ優勝を果たした。


日本シリーズ第一戦(於:愛優夢ダークブラウン鳴尾スタジアム)

先発メンバー(年齢はシーズン開始時)


鳴尾アークトゥルス


一番 ピッチャー沢渡 颯(敬介) 背番号22 22歳 .285 19本   10勝6敗 174cm 76kg

二番 レフト 美馬(靖夫) 背番号10 20歳 .342 8本

三番 サード 白鳥(明)  背番号6 35歳 .268  28本

四番 センター朝比奈(稔) 背番号4 37歳 .293  16本

五番 ファースト秋葉(敏治) 背番号8 32歳 .324 29本

六番 ライト 日夏(伸通)  背番号9 25歳 .283 24本

七番 ショート 賀集(正次)  背番号2 25歳 .292 18本

八番 キャッチャー高梨(浩介)背番号5 26歳 .255 26本

九番 セカンド 遊佐(充)  背番号1 31歳 .257 3本


その他のシリーズ出場選手


ピッチャー 真柴(輝幸) 背番号20 33歳  16勝5敗

ピッチャー 真木(久司) 背番号19 19歳  18勝6敗

ピッチャー 椎名(智清) 背番号21 22歳  15勝7敗

ピッチャー 御厨(昌一郎) 背番号18 25歳  12勝8敗

ピッチャー 南雲(泰輔) 背番号14 27歳  9勝7敗

DH 岩倉(正彦) 背番号3 31歳 .258 15本



愛優夢ダークブラウン


一番 ピッチャー  神光優   背番号2 20歳

                14勝8敗  .296 0本

172cm 78kg


二番 センター   飛鳥優   背番号4 20歳

                16勝9敗  .288 0本

172cm 74kg


三番 レフト    朝香旅人 背番号6 21歳

                9勝4敗  .292 0本

166cm 68kg


四番 ライト    秋月槙 背番号8 20歳

                6勝4敗  .286 2本

169cm 68kg


五番 ファースト  朝比奈光 背番号42 22歳

                2勝2敗   .262 8本

174cm 72kg


六番 ショート   朝比奈翼 背番号49 20歳

                8勝6敗  .284 4本

173cm 75kg


七番 サード    白鳥翼  背番号24 21歳

                0勝7敗  .167 0本

168cm 72kg


八番 キャッチャー 朝倉颯  背番号22 19歳

                    .224 6本

174cm 70kg


九番 セカンド   朝比奈翔 背番号46 20歳

                1勝2敗  .246 3本

173cm 74kg


その他のシーズン出場選手


ピッチャー 日高純  背番号64 19歳  10勝6敗

178cm 76kg


ピッチャー 立原美継 背番号26 21歳  2勝5敗

169cm 72kg


ピッチャー 秋里稜 背番号29 18歳  8勝5敗

181cm 75kg


ピッチャー兼野手

      芦名聖 背番号44 19歳  0勝0敗

                     .195 2本

170cm 73kg


野手    結城翔 背番号9 19歳  .268 3本

179cm 76kg


野手    雨宮歩 背番号62 18歳  .182 0本

172cm 69kg


野手    椎葉真幸 背番号48 18 歳  .253 4本

180cm 78kg


野手    平沼隼人 背番号28 18歳  .270 1本 

182cm 74kg

秋月槙 右投左打

秋里稜 左投左打

結城翔 右投左打

平沼隼人 左投左打


沢渡颯 右投左打

美馬 右投左打

真木 左投左打

秋葉 左投左打

日夏 右投両打


上記以外の選手は、右投右打


 

 シーズン成績から、戦前には鳴尾アークトゥルス有利と言われていたこの日本シリーズは、予想通り鳴尾アークトゥルスが四連勝で勝利し、日本一となった。


第一戦、沢渡、南雲(勝利投手)。

第二戦、真柴(勝利投手)。

第三戦、真木(勝利投手)。

第四戦、椎名(勝利投手)、御厨。


登板した投手

第1戦 11対3 神光優(敗戦投手)、朝比奈光、朝比奈翔、

白鳥翼、芦名聖

第2戦 7 対0 飛鳥優(敗戦投手)、立原美継、

朝比奈光、朝比奈翔

第3戦 7対1 朝香旅人(敗戦投手)、秋月槙、秋里稜

第4戦 5対0 朝比奈翼(敗戦投手)、日高純、秋里稜


 半宗教的思想団体「愛優夢」は、団体をあげてリーグ優勝祝賀会を挙行した。

そこには会長である神光。

会長夫人 神愛優。

会長の長男、神光聖。

長女、神光愛。

次女、神光夢。

三男、神光翔の姿もあった。


神光優、飛鳥優の野球人生は、その年で完結した。

「愛優夢」もまた、その活動を終えた。



3.秋月槙


「アレキサンダー大王の親友で、ペルシャ王の母が・・・」

「ヘファイスティオン」


「ナチスの機関紙・・・」

「フェルキッシャー・ベオバハター」


「ロセッティが見出し、ラファエロ前派の女神と・・・」

「ジェーン」


「谷崎潤一郎の小説「細雪」の四姉妹の名前・・・」

「鶴子、幸子、雪子、妙子」


「相撲で勝ち名乗りを受けた力士が行う手刀は・・・」

「天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神」


「ニックネームは王様。野球のメジャーリーグのオールスター・・・」

「カール・ハッベル」


「織田信長の傅役で・・・」

「平手政秀」


「山縣有朋が京都に・・・」

「無鄰菴」


「プロティノスを・・・」

「新プラトン主義」


「聖徳太子が執筆した三経義疏・・・」

「勝鬘経、維摩経、法華経」


ことごとく、秋月槙(牧)が解答した。


数多くあるクイズ番組の中で最も権威のある「クイズマスターズ」。

その中で「クイズマスターの称号をもつ強豪のみを集めた「グランドマスターズ第一回大会」で、特別参加の十六歳の少年が優勝した。


秋月槙がクイズ番組に出場したのは、そのときだけであった。




4.神王


横綱神剣(みつるぎ:本名、神光)の長男、二代目神剣(神光聖)は、中学卒業と同時に大相撲に入門し、初土俵、序ノ口以降勝越しを続け、負け越しなしのまま22歳で横綱に昇進した。


 神剣が入門した二年後の春場所。従弟にあたる、大横綱 桜舞おうぶ(桜山)の長男早桜舞(はやおうぶ:本名桜早飛が、中学卒業と同時に大相撲に入門。

 21歳で大関、23歳で横綱に昇進した。


 早桜舞が入門した六年後の初場所、プロ野球チーム「愛優夢ダークブラウン」に入団していた、大横綱神剣の次男、神光優が神王と名乗り、入門した。


その二年前には、

三男で高校二年生の神光翔が神翔を名乗り、大学一年生の朝香旅人が若旅人を名乗り、大相撲に入門していた。


 さらに、ともに金髪碧眼の、二人の格闘技で傑出した実績を持つ若者もその場所に入門した。

四股名は青翔、神優。


 新たに入門した五人と、神剣、早桜舞は、


 横綱の芙蓉峯、獅子王。

 大関の北斗王、安曇野、高千穂。

 関脇の飛鳥王、萌黄野。

 小結の雪桜、月桜


 などの強豪力士に互していき


 七人の力士が11勝4敗での、優勝決定戦となる場所があった。

 

     身長  体重    最終優勝回数

神剣   25歳  178 134  横綱 優勝4回

早桜舞  23歳  183 145 横綱 優勝4回

神王   22歳  172 124 前頭

神翔   20歳  176 136 関脇

若旅人  23歳  174 142 関脇

青翔   24歳  182 140 関脇 

神優   23歳  184 152 大関 優勝2回


 勝利    敗北


 神翔    神王

神剣     若旅人

 神優    青翔

 早桜舞   神翔

 神優    神剣

 神優    早桜舞


 優勝  神優


 その場所を最後に七人は相撲界から去った。




5.エルサーナ


アルーサの王子、十六歳のエルサーナは、愛する白馬エターナルに跨り、

 国王である父エルラス、四歳上の兄エルラシオンとともにニ千騎の軍団の先頭に立った。


 かなたには八千騎の軍の先頭に立つ帝国ラグーンの皇太子、十八歳のラサリオンの姿があった。ラサリオンとエルサーナは、その容姿の美。その頭脳の天才。その性格の完全さにより同時代人から半神的な目で見られていた。そのふたりが初めて会いまみえた。


 が、同時代人が半神と見ていたもうひとりの人物、天上世界を現世に顕現させる十六歳の少年ユームが、ふたりの中間にその姿を現した。


 ユームの元にラサリオンとエルサーナが近づき、三人は至近の距離でお互いを視た。三人が微笑み、そこに光とともに、ユームが顕現させていた世界よりさらに高次の天上世界が顕現した。


その場に終結したひとびとだけでなく、世界中のひとびとが、完全なる歓喜につつまれ、至高の美をみた。

 

 永遠に等しい一瞬ののち、天上世界は消滅し、同時にエルサーナとラサリオンとユームもひとびとの視覚と記憶から消えた。




「昨日と同じ、今日と明日」


義雄は、ヘッドホンをはずした。そのヘッドホンは現実世界と何ら変わることのない仮想世界を、使用者の脳にもたらすシステムツール「パーフェクトドリーム」につながっていた。


 久しぶりにほぼ半日を「パーフェクトドリーム」がもたらす仮想世界での観念遊戯に費やした。


「パーフェクトドリーム」が誕生して、すでに相当な年数が経過したが、近年の「パーフェクトドリーム」の進化はすさまじい。


 その仮想世界に登場させるキャラクターは、使用者の希望の精緻な部分までも具現化し、時に使用者自身も気づいていない理想像をもシステム自身が生み出すようになった。


 今日、義雄は、最近特に時間をかけて詳細な背景世界を作り上げ、お気に入りとなっていた五つの仮想世界で、思うさま遊んだ。


 義雄は、中学卒業をもって、「パーフェクトドリーム」を使うことはやめようと決心していたからである。

「今日が最後」の決意のもと、義雄は、最後を飾るにふさわしいと自分が思う、五つの理想世界で遊んだのであった。


 思想団体の会長家族の名前と、兄弟力士等の名前が重なったな、と思ったが、ずっと、そのままにしてきたのだから、仕方がない。


 クイズの天才のキャラクターのときの、問題はなんだったのだろう。

 たしかに義雄が興味を持っているジャンルからの出題ばかりだったが、現実の義雄には全く分からなかった。


「パーフェクトドリーム」でのキャラクターとストーリーの詳細設定の中で、クイズの天才少年が並み居る強豪を打ち破って勝利するのにふさわしい問題とインプットしたら、ああいう問題だった。しかも、そこまで聞けば正解が推測できるポイントで答えるというご丁寧さだ。


「あれでは、僕自身のクイズの力量アップにはあらないな」と義雄は思った。


そして、朝香愛夢と力士たち。理想の美少女と理想の力士。最高のものにふれると、その感動に義雄の胸は高鳴る。


 だが、その感情は一時のもので充分だ。書物はいう「ドラマッチクなものを求める心を抑えよ」

と。


最高のもの、理想にふれたあと。


現実の世界はいとおしく、万象に対しやさしい気持ちになる。

それは義雄が何度か味わってきた感情だ。


義雄は翌日の自分の予定を思い浮かべ、ひとり微笑んだ。



 浜甲子園団地の中にあるアパートの三階が義雄の自宅である。


 季節は三月。土曜日の早朝、義雄は自宅を出て、阪神鳴尾駅に向かった。


 駅での待ち合わせの相手である道子は、同じアパートの五階に住んでいる。しばらく歩き、見通しのよい道路に出ると、百メートル程先を歩く道子の背中が見えた。


 義雄も十分前には駅に着くようにアパートを出ている。

「うーむ」義雄はうなった。

「やっぱり道子さんはいいなあ」

駅に着くころに追いつけるよう、歩くペースをやや速めた。


 駅に向かう途中で、道子が後ろを歩く義雄に気が付き、軽く手をふって、義雄が追いつくのを待った。

「おはようございます」

「おはよう、義雄君」


 義雄は先日、中学校を卒業した。

道子は高校一年生。

道子が一学年上だが、義雄が三月生まれなのに対して、道子は六月生まれなので、ほとんど二歳の年齢差がある。


 二人が付き合っているのは、近所に住む幼馴染であることとともに、共通の趣味を持っていることによる。


「あっ、道子さん、今まで見たことのないブラウスを着ていますね」

「うん、先週、出屋敷の古着屋さんで買ったの。八百五十円よ。」

「へえ。もしかして、今日、僕とデートだからですか」

「そういうことにしておくわ。似合っているかしら」

「はい、とっても。素敵です」

「ありがとう。義雄君もそのオーバーとセーター、素敵よ」

「ごっつぁんです」


 今日の義雄の装いは、道子も何度か見ているはずだが、道子に素敵と言われれば、嬉しい。


 電車の窓から、臨海部の緑に囲まれた工場群を眺めていると各駅停車の電車は尼崎駅に着いた。尼崎で急行に乗り換え、梅田に到着。義雄にとっては、久しぶりの大阪だ。


 梅田から地下鉄に乗り難波駅で降りた。


 地上にあがってしばらく歩き、ふたりは目的地である大阪府立体育館に着いた。

 建物は相当に古いが、体育館としては堂々たる大きさである。


 体育館で開催されているのは、大相撲の春場所。今日は十四日目である。

 ふたりは、二百円出してそれぞれ自由席の当日券を買い、館内に入った。


 館内全体でもお客さんは、まだ十名に満たない。土俵にもまだ誰もいない。取組開始までまだ十五分ある。


 折角、当日券を買って相撲を見るのだから、一番最初から全部見ましょう。と数日前に義雄と道子はふたりでそう決めた。二百円で朝の九時から夕方の六時まで楽しめるのだから、結構なことである。


 相撲に興味を持ち始めた幼稚園の時から、義雄は春場所開催中、毎年二回か三回は相撲を見物する。

 幼いころは家族で来ていたが、二年前からは、道子とふたりで見にくることが多い。

 ふたりの周りの親しい人の中に、彼らと同等のレベルで相撲が好きで、相撲に詳しい人物はいない。


 相撲は、自分と同じレベルで、好きで詳しい人と一緒に見るのが一番楽しい、というのは、これまでの経験から、義雄が実感していることである。


 過去に別の男友達と二回、ふたりで見に来たことがあったが、一回は、相手が退屈しているのを感じて、何かと気を使った。

 もう一回は、色々と質問してくるので、そのことは嬉しかったから、義雄は丁寧に答えたが、土俵の取り組みに集中できなかった。


 自由席は客席の一番上の数列だが、ふたりは一番前の桟敷席に陣取った。今日は土曜日だから満員御礼の垂れ幕が下がるだろうが、客席が埋まってくる幕下の取り組みの途中辺りまでは、桟敷席で見続けることができるであろうことは、これまでの経験で分かっていた。


 ふたりが、家から持ってきた水筒に入れていた熱いお茶を飲んで体を温めていると、土俵の上の照明がともり、呼び出しが拍子木を合わせて鳴らす析の音が館内に響き渡った。

先ずは、まだ番付に載っていない今場所が初土俵の力士の取り組みである。


 春場所は学校の卒業の季節なので、一年六場所の内、最も入門する力士の多い場所だが、十四日目ともなれば、大半の力士は既に、来場所序ノ口に四股名が載るのに必要なだけの勝ち星をあげ、出世を果たしており、以降は、今場所はもう登場しない。


 土俵下には、東西ふたりずつが立っている。五十八人入門した今場所で、最後に残された四人ということになる。

 だが、彼らの表情にさほどの悲壮感はうかがえない。相撲部屋は、稽古はかなり厳しく、番付順による序列も守られているが、年齢が上の力士であれば、関取でなくてもそれなりに敬意を払われるし、色々な雑用もみんなで分担している。


 男社会だが、部屋の雰囲気は、学生たちの合宿所に似た雰囲気のようだ。序列としては、部屋の力士の中で最も下になる新弟子であっても、毎日は結構楽しそうだ。


 二十世紀の終盤、ソビエト連邦をはじめとする社会主義国家の崩壊により、冷戦時代は終わった。

 世界史的にみれば、戦争の時代であった二十世紀に対して、来るべき二十一世紀は平和の時代になる。当時そのように予想し、未来に希望をもったひとは多かったであろう。


 だがそうはならなかった。二十一世紀になっても世界は混迷を続け、国家による、あるいは企業による大競争社会となっていったのである。


 日本もまた、世界経済の渦の中に巻き込まれていった。ひとびとは、人生の様々な場面で、否応なしに競争に加わらざるをえない。

 勝ち組、負け組という言葉が生まれ、かつては一億総中流社会と言われていた日本は、格差社会となっていき、その格差は広がっていった。


 連日残業を続け、休日もほとんどなく働き続ける会社員。

上流社会の一員となることを目指し、過酷な受験勉強を続ける学生。

一方、競争社会から脱落していく多くのひとびと。

学校内に蔓延するイジメ。緊張を要する人間関係。


「もっと住みやすい世の中にすることはできないのか」

それは多くのひとの心の中にある叫びであったろう。


 しかし、その社会は一方で、活気に満ち溢れ、日々興奮に包まれ、ますます便利になっていく様々なものに囲まれた社会でもある。

 今のこの社会以外にどんな社会がありえるのか。その時代に生きるひとびとにとって、別の社会を想像することは難しかった。


 2020年代。

 別のありえる社会を示すひとびとが世にあらわれた。


 最初の人がだれであったのか、を特定することはできないが、別のありえる社会を唱えるひとの数は増えていき。社会に対し、徐々に影響力を持ち始めた。

 

 彼らの主張の一部を列挙すると、次のようになる。


・世界経済から離脱した一国完結経済体制の樹立(経済に限定した鎖国主義)


・上記を実現するための食糧自給率100%、原子力にもよらないエネルギー自給率100%の達成


・上記を達成するための、第一次産業従事者の会社型組織化。脱石油エネルギー社会を実現させるまでの期間分の原油の備蓄


・時代の最先端技術を求めることは継続しつつも、それを実現化させる分野の限定


・ひとびとが生きていくうえで本当に必要な職業はなにか。その峻別と、余剰職業の段階的縮小による国民全体の総仕事量の軽減


・エコ社会の実現。社会全体の物量の抑制


・私有物の削減


 そしてこのような社会を実現させるためには、ひとびとに望まれる資質として


・穏やかであること


・和を尊ぶこと


・創造よりも伝統、古典を重んじること


・勝利に大きな価値を求めないこと


・家族、地域を愛すること


・年長者に対する敬意をもつこと


・ドラマチックなものを求める心を抑制し、日常を愛すること


といった点をあげた。


またこのような社会であっても


・勤勉であること


・自らの職業に対する責任感をもつこと


は、不可欠であり、それがなくなれば、怠惰に流れ、単に退嬰的なだけの社会になる危険を秘めた主張であるということも述べられた。


 隠れた主張としては、

ひとびとの中に生来的にある、自己実現、創造性、競争における勝利、理想を追求してやまない心などは、進化を続けるIT技術がもたらすバリエーションに富んだ仮想現実社会にて実現させることが奨励された。


ひらたくいえば


「現実の世の中に疲れたら、退屈したら、仮想現実社会の中で、思うままにふるまって、すっきりさせる。それからまた現実社会に戻って、穏やかに過ごしてください」


ということである。


 社会にこの主張の支持者が徐々に増加していった。

 

 穏やかな社会の実現を求める。その主張に共感、賛同するひとびとは、やがて政党を作った。その政党の名前は「保守平和党」


 いくどかの総選挙を経て、保守平和党が第一党となり、政権を担うことになったのは、今の世の中を「住みにくい」と感じるひとびとが「住みやすい」と感じるひとよりも、多くなっていたことによるであろう。


 保守平和党が使っていた標語で最も有名になったのは、


「昨日と同じ、今日と明日」


であった。


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