第2章 「殺すな!責めるな!捕獲せよ!」
さっき英里奈ちゃんが漏らした通り、この河内長野市滝畑地区ではツチノコによる獣害事件が発生していて、その対応をするために私達を始めとする公安系の公務員は動員されたんだ。
胴体の中央部が大きく膨らんだ姿が横槌に似ていて、瞼を閉じてイビキをかいて眠る変わり種の蛇。
そんなツチノコは昔から沢山の人に目撃されていたらしくて、縄文時代の土器の模様にも刻まれているし、江戸時代に活躍した寺島良安ってお医者さんが記した「和漢三才図会」という百科事典にも言及されているんだ。
このツチノコって呼び方は京都や四国を始めとする西日本の言葉で、他の地域だとバチヘビやノヅチとも呼ばれているみたい。
鎌倉時代に成立した仏教説話の「沙石集」や妖怪絵師の鳥山石燕が世に出した「今昔画図続百鬼」に紹介されている妖怪のノヅチも、現代ではツチノコの一種として解釈されているね。
だけど正確な生息が確認されたのは比較的最近なので、生物学的にはまだまだ歴史の浅い蛇と言えるだろうな。
ほんの少しまでは伝説上の生物だとされていたけれども、近年になって正確な生息が確認された。
この点だけなら、南米の吸血生物チュパカブラやフィリピンの馬頭怪人ティクバラン等にも当てはまるよね。
だけど獣害で深刻な被害をもたらす事で現地住民からも忌み嫌われているチュパカブラやティクバランとは違って、日本のツチノコは許容される傾向にあったんだ。
それは偏に、ツチノコが人間に対して比較的無害な蛇類だったからに尽きるね。
どれだけ大きな個体のツチノコであっても、体長は一メートルが精々。
赤ん坊だったら話は別だけど、ツチノコが人間を食べる事なんて有り得ないね。
獲物を捕獲するための毒を持っているから、牙で噛まれると少し厄介だけど、そんなのはマムシやハブみたいな他の毒蛇でも同じだよ。
ところが今回発生した獣害事件の張本人は、体長二メートル半はあろうかという特大サイズのツチノコだったんだよ。
この大ツチノコはサイズも並外れているけど、毒性も厄介なんだ。
普通のツチノコだったら噛まれても血清があるから大丈夫なんだけど、この巨大な個体に噛まれた場合、既存の血清を投与しても症状を緩和する役にしか立たなくてね。
現状では被害者は三人しか確認されていないけど、このうち山菜採りの老人とソロキャンパーの青年に関しては、意識不明の昏睡状態で入院中なの。
残る一人の被害者というのが、これが何と休暇を取っていた堺県第二支局の特命遊撃士なの。
当人達の証言によると、家族と共にアウトドアを楽しんでいた太秦栄華准佐は、この滝畑キャンプ場で巨大ツチノコに遭遇したんだって。
家族を始めとする民間人の避難誘導と友軍への応援要請は妹の太秦八千華少尉に任せ、自身は銃剣付きアサルトライフルで巨大ツチノコの対処を担当する。
太秦栄華准佐の判断は、決して誤っていなかったよ。
惜しむらくは、休暇中で普段着を着ていたためにツチノコの噛み傷を受けてしまった事だね。
特殊繊維製の遊撃服を着ていたら、あんな噛みつき攻撃なんて物の数じゃないのに。
太秦八千華少尉の呼んだ応援が駆け付けた時には、巨大ツチノコは山奥に逃げ帰っていて、後には足に噛み傷を負った太秦栄華准佐だけが残されていたんだ。
不可解だったのは、太秦栄華准佐の足を侵した毒が浄化されず、それでいて身体の他の部位に毒が回っていないって事だったの。
特命遊撃士である私達の身体は、脳松果体を根源に発現している特殊能力サイフォースと静脈投与された生体強化ナノマシンによって守られているから、多少のダメージなんてすぐに回復しちゃうんだけどね。
実際問題、太秦栄華准佐が巨大ツチノコとの交戦中に負った手傷は、その毒を除けば全てキチンと回復していたんだから。
素人判断だけど、まるで体内の免疫機能と毒の成分とが拮抗しているみたいだね。
本人の意識がハッキリしていて容態が安定しているのは幸いだったけど、太秦栄華准佐には大事を取って入院して貰ったの。
入院といえば聞こえが良いけど、堺県第二支局の付属研究所の地下に設けられた個室だから、実態は隔離だけどね。
単なる作戦行動中の負傷だったら人類防衛機構の付属病院である防衛病院で事足りるんだけど、今回の案件は特殊だから止むを得ないよ。
既存の血清では効果がイマイチなら、あの巨大ツチノコを殺さずに捕獲して血清を作るしかないよね。
それにツチノコはこの地域の生態系で重要な役割をしているから、野生の個体を無暗に殺してしまうと色々と不都合なんだ。
私達を始めとする公安職の公務員が巨大ツチノコ捕獲のために連携作戦を取る運びとなったのには、こういった複雑な事情が背景にあったんだよ。
「殺さずに捕獲ってのが面倒なんだよなぁ…英里奈ちゃんのレーザーランスで破壊光線砲をぶっ放したり、高出力モードにしたレーザーライフルで千里ちゃんが撃っちゃえば、一発でケリがつくのに。」
「確かにケリはつくけど…消し炭になった死体から血清を作るのは難しいよ、京花ちゃん。短気は損気だって。」
もどかしそうな京花ちゃんを窘めた私だけど、その気持ちはよく分かるよ。
標的を生きたまま確保するのは、殺すよりも遥かに大変なんだ。
向こうだって激しく抵抗するはずだからね。