殻の中のヘーゼルナッツ
ロザリンドはオクタヴィアさんとテーブルをはさんで黙り込んでいると、ふいに声をかけられた。
「あれ、ロザリンド?いい所であったわ。お取込み中?」
友人のニムエ・フルーレティだった。
パールベル・カレッジの数学科大学院の博士課程に籍を置いていて、毎日難しい数式の証明に取り組んでいるらしい。一度説明を聞いたことがあるのだが、よくわからなかった。
連れ立って歩いていたテレサ・バルカさんは、偶然にもオクタヴィアさんのお友達だった。
煮詰まってきていたところだったので、正直いって大歓迎だった。
「座って座って」
ニムエとテレサさんは、近くのテーブルから椅子を持ってくると、同じテーブルを囲んだ。
テレサさんの夫のバルカ氏はレストランチェーンのオーナーなのだそうだ。
今度、大型ショッピングモールの中に、ビュッフェスタイルのシーフードレストランを開こうとしているのだが、それはなんとテレサさんがプロデュースしたのだそうだ。
「お店の名前はタカラブネ、というんです。日本語でトレジャーシップの意味。お披露目パーティを兼ねて、試食会を開こうと思っているの。おすすめはお寿司とテリーヌ。デザートも充実しているの。食材はこの地方の美味しいものを集めているの」
ニムエさんが後を引き取った。
「実は私の家のヘーゼルナッツもお買い上げなの」
「すごいわ。美味しいものね」
「はい、これチケット」
ありがたいことに、ロザリンドにも一枚もらえることになった。
ニムエはオクタヴィアさんのことを、じっと見ていた。
「なにかしら?」
オクタヴィアさんが問うと、ニムエは答えた。
「なんだか、貴方って、殻の中に入ったままのヘーゼルナッツみたい」
「どういうこと?」
「殻の中に閉じこもっていてはダメ。いつまでたっても人生が始まらないわ」
「こらこら、ニムエ。初対面の人にやめなさいって」
ロザリンドは慌ててとりなした。ニムエはときどきこういうことを言う。
高校の時の綽名は「不思議ちゃん」だった。
直感的に何かが見えるらしいが、それをそのまま本人に言うので気味悪がられる時もある。
ちょっと心が弱っているらしいオクタヴィアさんは、ニムエの言葉に深くうなづいた。
「そうね」
「ええ。だから、恋をしなくちゃ」
ニムエが、オクタヴィアさんの方に椅子を寄せ、力強く言った。
ちょっとめんどくさいことになったかも。ロザリンドは思った。
ニムエは、いつも誰かの恋のキューピットになりたがっているタイプなのだ。ジェイン・オースティンのエマの様に。
「恋、か。苦手だわ」
オクタヴィアさんは苦笑しながら言った。
「昔から、先輩はそうですよね。恋も苦手、おしゃれも苦手って、やってみないのは実にもったいない。あ、そうだ」
テレサさんはハンドバッグの中から、名刺入れを出すと、一枚をオクタヴィアさんに手渡した。
「これ、私の行ってる美容院です。ブティック併設だから、トータルコーディネートできますよ。今度行ってみてください。新しい自分を発見してください」
ニムエはスマホを取り出した。
「恋のお相手は、私にまかせてください。素敵なひと紹介しちゃいます。まずはこの人。ギャニミード・タープ」
ロザリンドは思わず飲んでいたオレンジジュースを吹きそうになった。
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「しょっぱなが私の兄さん?」
ニムエはしれっとした顔で言った。
「ええ。お似合いな感じだもの。ベリアル大学の医学部を出て、いま市民病院で働いているのよね」
ロザリンドは手を上げて、話を遮った。
「ごめん。兄はこの間から、私の友人と付き合い始めてて」
「えっ。聞いてないわよ。誰と?」
ニムエが不満そうに言う。
「シーリアと」
「聞いてないわよ。そんなの」
「はっきりとそう言ってるわけではありませんけど。でも、ほら」
ロザリンドは兄のインスタを見せた。
幸せそうな二人が、彼らの飼っているハリネズミと一緒にポーズをとっている。
アーチン&マロン。
ハリネズミたちがラブラブだというコメントだが、本人たちのことでもあると思う。
「ホントだ。二人だけの世界で割って入れない感じ。でもさ」
ニムエは、悦に入った笑顔で言った。
「これ私のおかげよ。シーリアがマロンを飼い始めたのは、ついこのあいだだもの。よし。カップル成立っと」
候補の一人目は残念ながら却下となった。
「じゃあこの人。ラウル・アリトン君。法学部卒業でいまロザリンドと一緒に働いているのよね。すごい美青年で、ファッション雑誌の取材を受けたこともあるんだって。確か、彼女はいたことないって」
「それもごめんなさい」
ロザリンドはまたしても遮った。アリトン君に彼女はいないが、彼氏が途切れたことはない。
「アリトン君は私と同じ事務所でチームで働いているので、急に付き合い始めても、でっち上げだと思われるかも」
「え。だめ?残念」
ニムエはすぐ、次の情報を繰り出した。
「じゃあ、この人。キマイリス君。機械工学科卒。エンジニア」
写真を見たとたん、オクタヴィア先輩は固まってしまった。
覗き込んだロザリンドもだめだと思った。
七色に塗り分けられたモヒカン。同じく7色のハーレーダビッドソン。
鼻にピアスが二つ。鋲のついた革ジャン。
「見た目ほど怖くないわよ。『バイク変えた。髪、染め替え中』って書いてあるから、少し地味になると思うけど」
ニムエさんの彼氏候補は、それでネタ切れだった。