17、俺はアイツの異変に気付けない
一角モグラ革の裁断を終え、俺はリュックから布に包まれたそれを慎重に取り出す。
巨大一角モグラの角膜である。遮光性と耐魔性が非常に高い希少素材だ。サンティエの革鎧と俺のエプロンにも貼り付けている。これは補修用と予備で持ってきていたものだ。
伸縮性に欠ける素材なので、貼り付けるのは心臓と肺の部分に限定する。それ以外は通常サイズの一角モグラの角膜を使用する。こちらは巨大サイズよりも柔らかい。
俺はベストの前身頃部分を手に取る。貼り付け場所を確認しようとした時、さっきの光景が頭を過ぎった。
あの時は苛立っていたから拒絶の気持ちが勝っていた。しかし時間が経って怒りが薄まると、彼女に触れられた感覚や匂いだけが残った。
幅の狭い小鼻や張りのある頬、艶めいた口元。サラッとした指先。脚や胸も少し当たっていた。
「何を考えているんだ、俺は……」
無意識に声が出ていた。何年も女とは無縁だっただけに、邪な妄想が流れ出して止まらない。
次に付き合うなら、俺の冒険稼業を理解し穏やかに生活を共にしてくれる地味で質素な女性が良いと考えていた。だけどレムーヴはその条件に当てはまらないし、容姿も実力もSSランク並の若い女に、俺が本命として選ばれるなんて有り得ない。
ならばせめて、彼女のお遊びに付き合って一晩だけでも夢を見せてもらうか? いや一度断った以上、自分から申し出る度胸は俺にない。
俺は作りかけのベストや素材をリュックに戻す。雑念で集中出来ないので、一旦休憩する。
「ん?」
リュックの中を整理していると、アストルム語会話集が見当たらないことに気付く。
「部屋に置いてきたか?」
俺はリュックを背負って工房を出た。
■■■■■
革の裁断に少し時間がかかったので、もうすぐ夕方になる頃だった。
畑を見ると花の彩りも香りも昨日より更に良くなっている気がする。霧がかかっているところと無いところが面白い程にくっきり分かれていて、サンティエがどこで作業しているかが分かる。
サンティエがいる間、否、霧が出て花が元気になっている内に収穫して加工しようとする農場従業員達のやる気溢れる掛け声が道中届いてきた。
クルーハウスの部屋に戻って本を探したが見つからない。
俺は硬いベッドに座り、今から昨日までの流れを遡る。
「車の中かも」
バーラエナ農場に向かう車の中で、俺はエグマリーヌのお喋りに疲れて、読書に逃げたのだ。疲労でちゃんと本を仕舞ったかうろ覚えだ。
「夕方に来ると言っていたよな」
俺はメインハウスに行くことにした。エグマリーヌが来ていれば、そこにいるはずだからだ。
その前に念の為トイレとシャワールームもサッと見ておこうとドアを開ける。
シャワールームでは、丁度浴び終えたサンティエが服を着ていたところだった。
「ベスト作りはどう?」
「ちょっと時間がかかってるが、夜に仕上げるさ。
サンティエはずっと畑作業を手伝ってたのか?」
俺はチラホラ本を探しながら喋る。
「うん、もうすぐエグマリーヌが来るはずだし、泥だらけになったから先にシャワー浴びたんだ。
何か探してるの?」
「アストルム語会話集をどっかに忘れたらしくて。
ここには無いな。メインハウスに行ってくる」
メインハウスのダイニングルームに行くと、バーラエナ夫人が奥のキッチンで大鍋3つも火にかけていた。
「先程シャボン玉が届きました。もう駐車場には着いてるかもしれません。
ディナーは少し待ってくださいね。従業員達にも今夜はたらふく食べてもらわないといけないので」
俺は夫人に礼を言ってメインハウスを出る。
駐車場でエグマリーヌと合流出来たら、車内を確認しやすくなるだろう。俺は走った。
まだ明るいが、日は傾き始めていた。畑の方は賑やかだが、出入口方面は静かで人もいない様子だ。
駐車場が見えてきた。広い敷地にポツポツと大小様々な魔法車がある。俺はエグマリーヌの車を見つけた。
「※※※※※、※※※※※※※」
「※※。※※※ ※※※※ ※※※※」
エグマリーヌとグルスが車の前で立ち話していた。アストルム語だから、何を言ってるか分からないが、仕事話だろうと想像する。
遮るのも悪いので、キリの良さそうなタイミングで声をかけようと、別の車の陰で俺は様子を見た。
「※※※、アルミナーティオ ※※ サンティエ……」
エグマリーヌはニタリと口端を上に歪ませ笑っていた。
彼女の発言から「アルミナーティオ」と「サンティエ」だけ聞き取れた。文脈は分からないが、アルミナーティオは使われているじゃないか。
2人が談笑を始めた頃に、俺は声をかけた。
「あら、ドーファン。本ですって?
まぁ、大変。どうぞご覧になってください」
グルスに後部座席のドアを開けてもらい、俺は車内を見る。本は座席下に落ちていた。
「見つかって良かったですわ。
一緒にメインハウスに行きましょう。街で限定品のブランビアを買いましたの。農場へ差し入れですわ」
グルスが小瓶入り1ダースケースを車から取り出した。
■■■■■
メインハウスのダイニングでは、バーラエナ夫妻とアラウダがディナーの支度をしていた。
今夜は従業員交えて軽くパーティーにするらしい。
「こんなに良い収穫が出来たのは1年振りですからね!
皆で労いとお祝いですよ」
バーラエナ氏が嬉しそうに言った。
「素敵ですわ。
でもそうなると、私達は街でお話した方が良いかもしれないわね、サンティエ」
エグマリーヌが言った。
「契約内容変更の相談がしたいのよ。現地ガイド手配で少しトラブルが起きたの。
費用の話にもなるので、ここで話すのは避けたいわ」
エグマリーヌの表情は暗く、困った様子で笑みを浮かべた。サンティエは彼女に穏やかに微笑む。
「分かりました。街に行きましょう。
折角だから、ドーファンはパーティーに参加したら?」
「ありがとう、サンティエ。
ええ、ドーファンはここに残った方が良いわ。私と貴方はサンティエから報酬を受け取る者同士。一方の報酬について知られるのはフェアじゃないわ」
エグマリーヌは優しく言いながらも、俺を制すように強い視線を向けた。金の交渉をされたら困るってことだろうな。裕福なサンティエなら、多少値上げしてもOK出すんだろうけど。
「俺はここでディナーをご馳走になるよ。サンティエ、ちゃんと契約内容を確認して、無茶はするんじゃないぞ」
サンティエは笑いながら、バーラエナ夫妻に挨拶して、エグマリーヌ達とメインハウスを後にした。
アラウダが落胆していたことに、あえて誰も触れないでいた。
■■■■■
ディナーはメインハウス前に机を並べて始まった。
俺は食べることに集中して、パーティーから早々に離れた。従業員達にとって一番歓迎したいサンティエがいないので、皆自分達で楽しんでいた。アストルム語とブランビアが飛び交う空間を抜け、俺はリュックを取りに戻ってから工房に行った。
気分転換出来たおかげで、防魔ベスト製作は順調に進んだ。トルソーにベストを着せて全体確認する。最終調整はレムーヴが来てからにしよう。
俺はクルーハウスに戻る。メインハウス前では、パーティーの片付けが始まっていた。
「サンティエは戻りましたか?」
俺はバーラエナ氏に尋ねる。
「まだですね。バスも終わってますし、泊まって翌朝戻るのでしょう。
我々も間もなく休みます。ドーファンもゆっくりしてください」
俺はブランビア小瓶残りを何本か頂戴し、部屋に戻った。ベッドの上で酒を飲みながら、のんびりとした夜を過ごした。
■■■■■
ガタッ!
ハッと俺の目が開く。何の音だ?
ドアの向こうでガタガタと物音がする。サンティエが帰ってきたのだろうか?
俺は手元ランプを点灯して、現在時刻を確認する。日付が変わって少し経ってる。こんな深夜にどうやって帰ってきたのだろうか。
サンティエへの疑問はそこそこに、俺は尿意が近くなりトイレに向かう。用を足して廊下に出ると、シャワールームから水の音がした。
「蛇口を締め忘れたか?」
俺がシャワールームに入ると、シャワースペースの一角でサンティエが水を出して立っていた。
「何やっているんだ? 風邪引くぞ」
俺はコイツの姿に驚いた。
服を着たまま頭からシャワーの水を浴びていたのだ。メガネのレンズも濡れて、向こうからは俺がボヤケて見えてるだろう。
「どうしたんだ?」
「ちょっと酔ったみたいで……。お休み」
タオルで服ごと身体を拭きながら、アイツはシャワールームを出た。
俺も廊下に出る。水で濡れた足跡や水滴が、サンティエの部屋のドアまで続いている。
アイツが酒を飲む姿を俺はほとんど見たことが無い。悪い酔い方をするタイプなのだろう。打合せの結果は朝聞くことにして、俺は欠伸をしながら自室に戻った。
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