13、俺はアストルム語を知らない
蒸気機関車が停車する。
列車内の乗客のほとんどが駅に降りていく。俺達の目的地シルワの一駅前の観光地駅だ。
静かになった車内で、俺はオングルから借りたアストルム語会話集を読む。
オングルが若い頃、アストルムへ冒険に行った際、父親が使っていたものをもらったらしい。
かなり古いが、文法や発音表記をとても分かりやすくエテルネル語で解説してくれている。元々このシリーズは長年ベストセラーだから、俺も安心して読める。
「※※ ※※※ アルミナーティオ。
(アルミナーティオをください)」
人がほとんどいないことを良いことに、俺はブツブツと声に出して例文を読んでいると、向かいでウトウトしていたサンティエをビクンッと起こしてしまった。
「ドーファン、何を読んでいるの?」
サンティエが驚いた顔で俺を見る。
「ああ、アストルム語会話集だよ。
俺の冒険の師匠から借りたんだ」
「かなり古い本だね。僕も改訂版は読んだことあるけど……」
「そうなのか! これ分かりやすいもんな!
この本は……50年前だ。そりゃあ古いわ」
「ドーファン、アストルム語の心配は不要だよ。
農場の人もエテルネル語が出来るし、困ったことがあれば僕かエグマリーヌに聞いてくれたら良いよ。
それと、さっきのは今は通じないから気を付けて。あれはブランビアのことだよ」
「あー、ブランビアかやっぱり。
白豆の芽や根茎を発酵させた酒って書いてあるからブランビアのことかなとは思ったけど」
サンティエは苦笑いを浮かべていたが、俺は無視して引き続き会話集を読んだ。
■■■■■
シルワ駅に到着し、俺達は駅ホームに降り立つ。
降りた瞬間花の香りが毛穴に入り込むような、そんな感覚になった。
瑞々しい香りが街全体を包んでいるようで、香水のそれとは全く異なる清々しさがあった。
「バーラエナ農場へは車で向かいますわ」
グルスの運転で俺達は花畑を横切る車道を進む。
左右に流れる花の種類は分からないが、色とりどりの花が咲いていた。
助手席でエグマリーヌトークショーが始まった。
ハイスクール時代に留学したのを機に、アストルムが好きになったこと。アティラン大学在学中にアストルム留学生と出会い、それが後の夫であること。起業前に就職したエテルネルの観光・冒険者ギルドの問題点等々。
こちらの発言を許さぬ一方的なトークに、俺達は適当に相槌する術を嫌でも身に付けることになった。
空がオレンジ色に変わる頃に、田舎の農場らしい、木の小屋や水車小屋が見えてきた。
前方奥には煙突のついた工場らしき黒い形も見える。
「バーラエナ農場に着いたよ」
サンティエは頬を明るくさせながら言った。
車を降りると、丸々っとした中年男女が待機していた。
「サンティエ! 久しぶりだね!
来てくれて嬉しいよ!」
「バーラエナさん! ご無沙汰してます!
夫人もお元気そうで何より」
サンティエは夫妻とハグを交わす。
まるで彼らの孫のように歓迎されている。
「ようこそ、バーラエナ農場へ。
私は経営者のバーラエナです。こちらは家内で農場内にある加工工場の工場長をやっております。
夕食の準備をしてますので、どうぞ家にお越しください」
俺やエグマリーヌが挨拶した後、一行は歩いて移動し、レンガ造りの家に入る。生花の香りから一変、肉の焼ける匂いに食欲が一気に湧く。
暖かなダイニングの真ん中に大きな木のテーブルがあり、様々な花が刺繍されたパッチワークのクロスが敷かれている。椅子の背もたれとクッションにも同じクロスがつけられている。ついでにバーラエナ氏のベストもパッチワークだ。
「力作ですね」と俺は椅子に座ってから言った。
「主人の最近の趣味なんですよ。
ついこないだまでは、革製品に夢中だったのに。コロコロ変わるから、困ったものですよ」
バーラエナ夫人はケラケラ笑いながらキッチンの方へ行った。バーラエナ氏がテキパキとボトルやグラスを出し、俺達をもてなしてくれる。夫人も木製プレート盛り付けた前菜をせっせと運んでくれる。
背丈も体型もほとんど変わらず、紅バラのような頬の色も形もそっくりで、髪型と服装を入れ替えたら、区別つかないのではないかと思う程よく似た夫婦だった。2人で同時に呼吸しないと酸素が取り込めないのかと思うくらい息の合った動きだ。
エグマリーヌはとても静かだった。しかし夫妻が席について食事に加わると、会話用の口を動かし始めた。
「ブルードラゴン生息地近隣の天候はいかがかしら?」
「昨日から少し荒れていましてね。明日いっぱいは様子を見た方が良いと思うんですよ」
「そうですか。現地ガイドと最終調整をしないと。
サンティエとドーファンはこちらで待っててくださいね」
エグマリーヌは非常に落ち着いた声で言った。
「その間にドーファンも革鎧の仕上げが出来るね」
とサンティエが言った。
巨大一角モグラで作った革鎧は、俺の要望で最終加工を残していた。湿度や気温に敏感な素材なので、現地の気候を確認してから仕上げたかったのだ。
「でしたら、家内の工場を使ってください。
私の趣味用の作業場があります。
鍛冶が出来るような炉は無いですが……」
「大丈夫です。場所を借りられるだけで有り難いです」
俺がそう答えると、氏はホッとした表情を見せた。
黒胡椒の効いた厚切りステーキをブランビアで流し込んでいると、誰かがドアを開けて中に入ってきた。
「※※※。 ※※※※?」
女の子の声だった。夫人もアストルム語で返答する。
「サンティエ、久しぶり」
ブラウンの肌の女の子はテーブルに近付き、客人の俺達に挨拶した後サンティエを見て微笑んだ。
四角いメガネをかけ、顎までの長さに整えた黒髪を波打たせながら撫でつけている。淡桃色のコットンワンピースを着た小柄で大人しそうな娘だ。
女の子は照れながらも笑顔を浮かべる一方で、サンティエは丸メガネの位置を戻しながら彼女を凝視していた。
「サンティエ、忘れたの? アラウダよ」
夫人が言うと、サンティエは「エッ?」と立ち上がった。
「アラウダか。しばらく見ない内に雰囲気が変わったから気付かなかったよ。もう、大学生だっけ?」
「ええ、シルワ農業大学に通ってるわ。
サンティエが来るって聞いたから、手伝いに来たのよ」
「ありがとう。凄く綺麗になったから驚いたよ」
サンティエはニコッと笑いながら言った。
アラウダはドギマギした様子で視線を逸らす。
夫人にアストルム語で話し、ダイニングを離れた。
「講義のレポートが残っているらしいの」と夫人は説明した。
「彼女はお二人の娘さんではないですよね?」
エグマリーヌが夫妻の顔を見ながら言った。
「ええ、私の姪です。私達夫婦には子はいません」
バーラエナ氏が言った。
「では、工場長のお仕事も楽ですわね。
てっきり家事に子育てとお忙しいのかと」
「いやいや、家内が工場を作って花の加工をするようになってから、良い商品を出せるようになりました。
彼女の努力には私も頭が上がらないですよ。我々からしたら花畑や加工商品が大事な子どもみたいなものです」
夫妻もにこやかにしているが、明らかに空気が変わった気がして俺は落ち着かない。
エグマリーヌは隣のグルスにブランビアをドプドプ注がせ、頭を振り上げながら飲む。
「花と人間を比べられたら困りますわ。
子どもの一人も産み育てられない女が仕事した気になるなんておこがましいです。
私は会社の発展と3人の子育てを両立させましたの。長男はマグナ医科大学に進学しましたし、次男はオブリガシオンハイスクールに留学、三男もマグナ最高位のパブリックスクールに通ってますわよ。
まぁ、田舎のシルワで子育てしても、シルワ農業大学が限度でしょうけど……」
ガシャーン!
ガラスの割れる音が、エグマリーヌの喋りを遮った。
「すみません、ビアグラスが……」
サンティエの声に即時反応した夫妻が立ち上がり、布巾や箒を持ってくる。
俺もこちらの波に乗るため、ナフキンで机上を拭く。
バタバタと夫妻が床を片付けている間に、エグマリーヌが「明日が早いのでそろそろ失礼いたしますわ」と言って、グルスと共に退出した。
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