権力を振りかざしたいときに
「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。
神に由来しない権威はなく、
今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。
従って、権威に逆らうものは、神の定めに背くことになり、
背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。
(中略)
権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、
悪を行うものに怒りを持って報いるのです。」
ローマの信徒への手紙 13章 1-4節
要約すると、
「下級民が貴族や聖職者を怒らせた場合、神の名のもとに斬り殺すべき。」
ということです。
唯一絶対である【主】は、この世の全てを知り、完全に支配しておられます。
つまり必然的に、この世のあらゆる権威は、【主】によって与えられたものです。
もしあなた自身が少しも聖書を信じていないとしても、関係ありません。
あなたが信じようと信じまいと、これは絶対的【真理】だからです!
当然、あなたを怒らせた下級民が、聖書を信じているかも関係ありません。
たとえ相手が異教徒であろうと、この唯一絶対の【真理】のもとに、
あなたは容赦なく神の権威を行使できます。
むしろ【主】によって選ばれ、〈権威という剣〉を与えられたあなたには、
《《自分を怒らせた下級民に罰を与える使命がある》》ことを自覚しましょう。
それこそが、【主】があなたという権力者を創られた理由であり、
あなたが生まれた意味なのです!
具体的な例を挙げて説明します。
『子は親を選べない』と言います。
確かに子の立場からすれば、怒りを持って権力を振りかざすような親を、
わざわざ選んで生まれたりはしないでしょう。
それでは、そんな権力を振りかざすような親のもとに生まれてしまった子は、
不幸なのでしょうか?
親は子に選ばれたのではないとしても、
せめて選んでもらえる親になれるように、努力すべきでしょうか?
違います!
それでも、あなたは『権力者としての使命』を果たすべきです!
なぜなら、【主】はその子自身よりもその子を理解しておられ、
その上であなたを『その子に相応しい親』として選ばれたからです。
たとえあなたが、どんなに理不尽な理由で怒り、虐待的な罰を与えるのだとしても、
この【真理】は変わりません。
その罰が子供にとって本当に必要な教育であることは、
【主】が保証してくださるでしょう!
愛の神である【主】が支配されるこの世界には、たくさんの苦痛があります。
あなたはこのことを、不思議に思っているかもしれません。
しかし信仰の目で世界を見るとき、
それらの悲劇の裏に【主】の愛があることに気付くはずです。
「かわいい息子を懲らしめる父のように
主は愛するものを懲らしめられる。」(箴言3:12)
なんと深い愛でしょうか!
ですから、あなたも同じように、あなたの下にいる者を愛するべきなのです。
ためらず、使命を果たしましょう!
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冒頭の聖句が書かれている『ローマの信徒への手紙』は、
イエスの十字架から約30年後のローマにいたキリスト教徒(当時は異端的ユダヤ教徒)に宛てられたものだと言われています。
当時のローマは、ローマ神話を国教とする国であり、
皇帝の権威もローマ神話の神に由来するものとされていました。
ですから当時のクリスチャンにとって、ローマの皇帝や警察といった公権力は、
偽りの神(偶像)を信じる異教徒でした。
そうするとローマ信徒の中には「私はローマ皇帝ではなく【主】を崇拝しているのだから、ローマの役人に従うべきではない」と考える者も現れたようです。
そんなローマ信徒に対して、「真の信仰者はどうあるべきか?」を説いたのが、
この『ローマの信徒への手紙』になります。
「【主】は異教徒であるローマ皇帝を含め、全ての権力を立てられた存在である。
その【主】に従うために、どんな権力にも従いなさい。」
ということです。
この手紙の対象が権力者ではなく、庶民のクリスチャンであったということは、
とても重要なことです。
これを無視して、権力者がこの聖句を振りかざそうとするとき、
聖書に込められた神のメッセージが歪み、悪魔が笑います。
エジプトの奴隷を解放することから始まったユダヤ教(キリスト教の元)は、
基本的には弱者救済の教えです。
エジプトではファラオが奴隷解放をかたくなに拒んだことで、
国中の長子が死ぬ等、十の災いを下されました。
もしあなたが権力を振りかざし、仕える者を奴隷のように扱うなら、
【主】はあなたを同じように裁かれるもしれません。
最後に、権力争いを始めた弟子たちを戒めた、イエスの言葉を紹介します。
「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
(マタイ 23:11-12)