8.私と姉(前編)
前編です・・・
深夜の誰もが眠りについているであろう時間帯。私は、自分の部屋を出て隣にある姉の部屋へと向かう。
「お姉ちゃん、まだ起きてるんでしょ?起きてるなら鍵、開けてくれないかな・・・?」
私は、夕飯のときに部屋から出てくることのなかった姉にドア越しではあったが声をかけた。
すると、ガチャリ・・・という鍵が開けられた音がした。
「おじゃましまーす・・・」
私はできるだけ音をたてることのないように注意を払いつつ姉の部屋のドアを開いていく。そして、静かにドアを元の位置へと戻す。
「・・・お姉ちゃん、彼氏と何かあったんでしょ?だから今日、夕飯いらないって、おばあちゃんに伝えたんじゃないの?」
私は、勉強机の前の椅子に座ってうつむいている姉にそう言った。それに対し、姉は力なくこくり・・・と小さく頷いた。
「・・・やっぱりそうなんだ。で、彼氏と仲直りとかしなかったの?」
私の言葉に対して姉は、首を横に一回ふってみせた。
「そうなんだね。でも、おばあちゃんがお姉ちゃんのこと心配してるからさ、せめて朝食だけでも三人でテーブルを囲まない?」
「私もそうするべき・・・ってのは分かってるのよ」
今度は、姉がそんなことをボソボソと乾いた声で呟いた。
「わかってはいても、今の精神状態じゃ厳しい感じなんだよね、きっと・・・」
私の発言に対して姉は、えぇ・・・とでも言うように頷いた。そこで――
「お姉ちゃん・・・。お姉ちゃんが嫌じゃなかったらでいいんだけど、夜風にでもあたりに行かない?きっと、嫌なことだってタンポポの綿毛みたいに吹き飛んでいくと思うからさ・・・」
私は姉に少しでも元気になってほしい、活気をとりもどしてほしい、そう思い提案してみたのだ。
「分かったわよ。とりあえず一人でいるのも心細いから楓に付いてくわよ・・・」
いつものような明るい性格の姉は現在、不在であり私は、やりづらく感じていた。
「お姉ちゃん、ほら、立って・・・」
「えぇ、もう少し待って・・・」
「・・・って、ほら、立つんだってば。もう一回座ろうとしないの・・・」
私は、なかば無理やり姉のことを立たせるように両脇あたりを軽く掴み引っぱった――
「いたい・・・それ以上は引っぱらないでくれるかしら・・・?」
「ごめん、お姉ちゃん・・・」
私は、無意識的に姉のことを強く引っぱってしまっていたらしい。そして、
「じゃあ、行きましょ・・・楓」
「うん、お姉ちゃん・・・」
私が姉の部屋に来たからなのか、少しだけ普段の姉に戻ったように感じられた。
――それから少しして、私と姉は玄関で靴を履き外へと出た。
上を見れば満天の星が輝いていて美しい光景が広がっている。それに、私の横には元気がなくとも憧れていて大好きな姉がいる。
私は、なんだかほんわかした気持ちになっていた。
「・・・で、外に出てみたはいいけど楓、私を外に連れ出して満足したかしら?」
「うん。お姉ちゃんが私のすぐ隣にいてくれるってこんなに幸せなんだな・・・って思えるから」
「そう、それはよかったわね。でも、私がいつまでも楓の傍にいるとは思っちゃダメよ。だって、今回は失敗したけど、またいつ私が彼氏とかとくっついていなくなるか分かんないんだからね・・・」
「・・・その口ぶりだと、もしかしなくても彼氏と別れたの?」
「えぇ、そうよ。今日ね、友達から聞いて知ったのだけど彼ね、私と付き合う前から二股してたらしいのよ。それでいて、彼が私に向かって『いい加減、お前の初めてを俺にくれないか?』って全然イケボになってない声で言ってきたからヘドが出るくらい気持ち悪くなって、大学の帰りに寄り道することもなく家に帰って来たんだけど、帰ってきたらなんかイライラしたり、どうしてあんな男の人と付き合ってたんだろう・・・って考えたら気持ちが安定しなくて・・・」
「だからお姉ちゃんは、自分の部屋に鍵かけてこもってたと・・・」
「そういうことなのよ。ほんと無駄な時間の使い方だったわ・・・」
「で、だよ・・・お姉ちゃん。その彼氏と、もう一回だけ付き合ってみようとか思ってないよね?」
「私は、そうしてみようと思ってたけど、楓が止めるのならもう会わないわ・・・」
「だったら、もう会わないで。それに、連絡先だってブロックした方がいいから、絶対だよ!?」
「そういうものなのかしらね。楓がそう言うのならそういうことなんだろうけど・・・」
そのとき、私のなかの何かが少しずつ壊れていく音がしたような気がした。
「もうさー・・・この際だから聞くんだけど、どうしてお姉ちゃんは、あんな男の人のことを好きになったりしたの?私なんか初めて自宅に連れてきたときからなんか嫌だなー・・・って思ってたんだからね」
「そう。でも、だとしたら、なんであのとき愛想よくふるまってたのよ?」
「それはそうでしょ。お姉ちゃんの決めた人生なんだから応援しなくちゃって思ったんだもの。私なんかがお姉ちゃんの人生に口出しちゃダメだって思ったから、あのときは頑張って私なりに接したの・・・!」
「でも、今は私のことに対して凄い口出してるわよね?」
「それは・・・そうなんだけど、これとそれとは違うんじゃない?」
「まぁ、どっちでもいいけど。とりあえず、ここじゃ場所も悪いから夜の散歩でもしながら話しましょ」
「うん、お姉ちゃん・・・家の鍵は?」
「さっき玄関を出るついでに持ってきたわ」
それから、姉は手に持った鍵で施錠した。その後、私と姉の二人は歩き出した・・・。
歩き出してから約五分くらいが経過していた。
「さーてと、ここならおばあちゃんに聞かれてしまうこともないし、いいわよ、私と彼の馴れ初めについて話してあげる・・・」
「うん・・・」
それから私は姉と元カレが出会った経緯などについて聞かされることとなった。
「あれは、私が大学三年生に進級したばかりの頃のこと。私の方をずっとチラチラ見てくる男の人がいたの・・・」
「えっ?!まさかその人がお姉ちゃんの元カレ?」
「そうじゃないわ。もう少し聞いてて・・・私は、誰かがずっと見ている気配がしたから視線を感じた方向に振り返ったのよ。そしたら、私のことを見てたと思われる男性が私に気づかれたとでも思ったのか脱兎のごとく逃げ出していったの」
「うわー・・・最低な男だね」
「えぇ。それでね、私は一回溜め息を吐いてから講義の行われる教室へと向かおうとしたの。そしたら」
「そのときに声をかけてきたのが元カレ?」
「いいえ違うわ。私の目の前に教授が現れたのよ、たくさんの荷物を持ったね。それで、私が手伝いましょうか・・・って声をかけたら大丈夫だよ、と言って誰かが吐き捨てたガムを靴の裏につけて消えていったの」
「それで?」
「そのあとね、私は無事に次の時間に講義の行われる教室に到着したのよ。そこで私の隣に座ってきたのが・・・」
「そこで隣の席に座ったのが元カレなんでしょ・・・?」
「そうなのよ。私が席について教科書とノートをカバンから取り出してたら隣に座ってきた男性が『教科書もってくんの忘れたんで見せてもらえますか?』って見ず知らずの私に言ってきたの。まぁ、二年間は同じ学部で過ごしてきたんだろうけどね・・・」
「それで、どうして好きになったのさ?」
「なんかね、いきなりだったんだけど彼のことは私が支えてあげなきゃダメなんだな・・・って思って。そしたらキュン・・・ってね」
私は、姉のそんな言葉を聞いてたら自然と溜め息を漏らしてしまっていた。
「どうしたのよ、楓?私と彼の馴れ初め、つまらなかった?」
「そうじゃなくて、別れて正解だったなと改めて思っただけ。まぁ、正確に言えばまだ別れてないのかもしれないけど・・・」
「いいえ、彼とは確実に別れるから。楓にも言われてるし・・・」
「そう、ならできるだけ早めにね?」
私の言葉に姉は頷くと、
「楓からすればそんな男の人は嫌よね?」
「嫌に決まってるでしょ。まず、第一印象が最悪だし、それで好きになってしまったお姉ちゃんもお姉ちゃんだよ・・・」
私は、思っていることを質問してきた姉にそのまま伝えた。
「けど彼、付き合ったばかりの頃は私に優しくしてくれたのよ・・・」
「それは、逃げられたくなかったからでしょ、お姉ちゃんに。それに、最初は誰だって優しくするものでしょ!?で、時間がそんなに経たないうちにボロが出たっていうね・・・」
「そう言われてみると、最悪な恋愛だったわね」
「気づけてよかったじゃん。色々と手遅れになる前に・・・」
「手遅れってどういうこと、楓?」
姉は小首を傾げてそんなことを私に聞いてきたのだ。
「それはさ・・・気持ち悪い人にお姉ちゃんの初めてが奪われなくてよかったなってことだよ・・・」
私がそう言うと、姉は赤面した表情になっているのが月明かりに照らされたため判った。
「そうね。そう考えると、私はもう絶対によりを戻そうなんて考えないわ。でよ・・・楓、もう好きな人の一人や二人くらいできたんじゃないのかしら?」
「それは・・・前にも言ったけど、お姉ちゃん以外に好きな人をつくるつもりはないから」
「楓の言うそれは、家族としての好きであって恋とかとは違うんでしょ?」
そんなことを聞かれた私は、
「恋の方に決まってんじゃん。私は、お姉ちゃんのことが大好きなの!だから、彼とイチャついてるお姉ちゃんなんて見たくも想像したくもなかった。お姉ちゃんが彼の家に泊まりに行ったときなんて、私、呼吸するのもやっとってくらいで胸が詰まりそうだったの。だって、それくらいにお姉ちゃんのことが大好きなんだもの・・・」
想いの丈を、全て正直に打ち明けた。そして、私の目からは想いが限界値に達したからか涙が次からつぎへとこぼれ落ちていった・・・
「えー・・・と、それは・・・楓が私のことを愛してるってことよね?でも、私達は姉妹であって血縁関係にあるのよね。もしかして楓、高校のときに好きな男の人がいないって言ったのは私のことが好きだったからとか?そんなわけないわよね・・・」
「・・・そうだよ。高校のときだって最初こそ憧れてたんだよ、お姉ちゃんに。けど、今になってみるとわかるんだ。あのときも私は、お姉ちゃんに恋をしてたんだなって・・・」
「そうなの、そうだったのね・・・」
あからさまに姉の表情が引きつっているのが私には判ってしまった。そんな困惑する姉を見ていると、私は、ますます申し訳ない気持ちと辛い気持ちが込みあげてきた――
「ごめん。いきなり妹が姉のことを好きだ・・・愛してる、なんて言ったら気持ち悪いよね。ごめんね。でも、私にもどうすることもできない感情なんだ・・・」
「・・・・・・」
しばらくの間、私と姉から言葉が出てくることはなく、長い沈黙だけがその場にあった。
最後まで読んでくださり有り難うございました。次話は短めの後編です・・・