5.私の不注意(前編)
今回は、前後半のうち、前編になります。
土曜日の朝。昨日は、祖母に『おやすみ』と言われた後、一睡もすることができないまま朝を迎えた。
眠れるのなら寝てしまいたかった。だが、瞳を閉じればそこには、あの日の男と姉がイチャついている姿ばかりが容易に想像できてしまい不快でしかなかった。
そして、そんな不快な光景が浮かんでくる度に私は心の中で何回も、私のお姉ちゃんで遊ばないで・・・と叫んでいたのだ。
姉にとっては、魅力的に思えるのかもしれないが私からしてみれば姉が私以外と仲睦まじくしているのが嫌で嫌でたまらなかった。ましてや、その相手が男だと思うと吐き気さえもよおしそうになっていたのだ。
(お姉ちゃんは、私とずっと一緒にいてくれると思ってたのに・・・)
なんてことを一日のうちに最低でも三、四回は考えてしまうこともあったのだ――
「あーぁ・・・おばあちゃんもまだ起きてないみたいだし、何しようかな・・・?」
私は、自分の部屋を出て居間のソファーの上に横たわるとわざとらしく呟いてみた。
視線の先の白い天井は、まだ薄暗く北の大陸にある雪原のようにすら思えた。そしてそこに私と姉の二人だけで訪れているといった妄想をしてみることにして祖母が起きてくるまでの時間を過ごすことにした。
・・・・・・・・・・・・
『お姉ちゃん、あっちにキタキツネの群れがいるの。見に行ってみない?』
『可愛い・・・けど、楓ほどではないわね。それに、野生の動物だから私達人間が近づいて驚かせてしまっても悪いわ・・・』
『それもそうだね、お姉ちゃん・・・』
『えぇ、私達は向こうに見えるキツネの親子でも温かい目で見守ってましょう・・・』
『うん、そうだね。でさー・・・私、見てて気づいたんだけど、あの二匹、実は親子じゃなくて私達みたいな仲良し姉妹なんじゃないかな?』
『そうねー・・・楓。もしかしたら親子じゃなくて私達みたいな恋人同士なのかもしれないわね・・・』
『そっか、その考えもあるね。それはそれでよきですなー・・・』
『楓、いつもとヒトが変わってるわよ?!まぁ、そんな楓も可愛いのだけど・・・』
『お姉ちゃんったらー・・・』
それから、私と姉の二人は二匹のキタキツネを横目に入れつつ互いの肩をくっつけて、しばし見つめ合う。辺り一面は銀世界だというのに私達二人の周囲だけは一足早く春の陽気が訪れているようであった。
――私は、そんなことを白い天井を見つめながら考えていたのであった。
「はぁー・・・今のは好かったな・・・。お姉ちゃんと私だけで誰にも邪魔されることのない空間。二人だけのキュン・・・とするシチュエーション。こんなこと、おばあちゃんには絶対に言えないな・・・」
私はそんなことを呟くと、なんとなくではあったものの彼氏のことについて祖母には一切伝えていない姉の心情が判ったような気がした。
だからといって、姉の彼氏のことを認める気は微塵もない。そして、合っているのかは不明ではあるものの姉の気持ちが想像できてしまった自分が憎くも思えた。
「楓ちゃん、おはよー・・・。早起きさんね・・・」
「あっ、あばあちゃんおはよ。そうなんだよ、なんか急に目が覚めちゃってさー・・・」
私は、また一つ嘘をついた。それに対し祖母は・・・
「そうだったのね。早起きもいいけど、ゆっくり寝れるときには寝なさいよ・・・」
と、私の嘘に気づいてか気づいてないのか、優しい言葉をかけてくれた。それがまた苦しく思えた。
「あっ、そうだわ。今朝は賞味期限が明日までのソーセージと紅ショウガ卵焼き、それと昨夜の残ったお味噌汁でいいかしら?」
「う、うん・・・。私はそれでいいよ。何か手伝おうか?」
「楓ちゃんは、そのままソファーでくつろいでるといいわ・・・」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね」
祖母が朝食を用意してくれている数分の間、私はどこかホッとしてしまったようで目を閉じていた。
・・・・・・・・・・・・
『お姉ちゃん、寒いよ・・・。何か身体があったまるようなもの持ってない?』
『ごめんなさい、楓。この防寒対策のコートも雪のせいでびしょびしょなのよ・・・』
『そういうことなら仕方ないね。じゃあさー・・・お姉ちゃんが私のこと内側から温めてくれる?』
『楓、姉妹でそんなことはできないわ。それに、私には彼がいるもの・・・』
『そうだよね、ごめん・・・』
私と姉の二人は北の大陸の雪原にて迷い、身体中がびしょ濡れになっていた。そして、偶然か必然か近くにあった洞穴へと入ったところであったのだ。
それからほどなくして・・・
『あっ・・・桜輝ちゃんじゃん。こんなところで何してんの?俺と一緒にワイハ行かない?』
『えぇ、いいわね。そういうわけで悪いけど楓、あなたはお留守番ね。さよなら・・・』
(そんなの嫌、姉が彼と一緒にいるってだけでも吐きたいくらいなのに。私を一人にするなんて・・・)
『嫌よー・・・お姉ちゃーーーん・・・』
――そこで私は夢から現実世界へと引き戻された。私の右目からは小さな雫がポツリと流れ落ちた。
「・・・どうしたの、楓ちゃん?お姉ちゃんって叫んでたけど・・・」
「なんでもないから大丈夫よ、おばあちゃん。今ね少し悪い夢をみてしまっただけで」
「そう、ならいいのだけど・・・。私が朝食をお皿に盛りつけようとしてたら居間から楓ちゃんの叫び声が聞こえてきたから来てみたのよ・・・」
「そっか。心配させてごめん・・・」
「いいのよ。ただ、なにか辛いことでもあったらすぐ相談してちょうだいね・・・」
「わかったよ・・・」
私がそう言うと、祖母は台所の方へと戻っていった。そして、自分はなんて我が儘で欲求不満なんだろう・・・と感じた。
姉は姉で姉の人生があって、私や他人が邪魔していいものではない。私の人生だって、ときには助言もほしいが、お前は絶対に抗しなきゃダメだ、と勝手に決めつけられるのはウザいだけでストレスしかたまらない。それなのに私ときたら姉のことを一方的に従わせてやりたいとかなんとか思ってしまっている。
偉い人の書籍でも『執着は相手を困らせるだけで自分の成長を妨げてしまう・・・』とか書かれていたような気がするし、私はまだまだ未熟な果実のようなものでしかないのだ。
・・・・・・・・・・・・
「楓ちゃん、お待たせ。さぁ、一緒に食べましょ・・・。飲み物はトウキビ茶でいいわよね?」
「うん、私はそれがいい。逆に・・・」
「そう。なら食べましょ・・・」
「「いただきます」」
私は祖母と二人でテーブルを囲み朝食を摂った。今朝のメニューは、レモンバジルのソーセージをオリーブオイルで焦げ目がつくまでこんがり焼いたもの、紅ショウガと水で溶いた出汁を卵と混ぜ合わせて焼いた卵焼き。この紅ショウガ卵焼きは私のお気に入り朝食メニューであった。そして最後が、昨夜の余ってしまった大根とほうれん草のお味噌汁であった。
朝食は、どれもおいしい・・・美味しかったのだが、味がいつもより半減しているように感じられた。
これもきっと、私の感情が不安定になっているせいなのだろう・・・。
昼食後。私は家にいるのが嫌になってしまい街中を流れる川沿いの路をぶらぶらと目的もなく歩いていた。
・・・・・・何気に多くの人が歩いてるんだなー。とか、あの人達はどこへ向かっているのかな。
なんてことを考えながら私は、歩き続けていた。
そして、ときにはコンクリート護岸とその間をゆっくりと流れている川を眺めるために立ち止まることもあった。
(あー・・・あそこだったっけ?小さい頃にお姉ちゃんと私と母と父で遊んだのは・・・。たしか、私がヒルに足首を吸われかけて・・・ふふっ・・・)
一人、過去の懐かしき思い出に浸ってみたりもしたのだった。
あの頃が懐かしくて愛おしい。また、私と姉と母と父の四人でどこかに遊びに行きたい・・・その際には祖母も誘って五人で。
私は、そんなふうなことを思っているが、今もまだ彼氏とお愉しみの最中かもしれない姉は、あの頃の懐かしき日々のことをどんなふうに感じているのだろうか。
流石に忘れてしまってはないだろうし、幼い頃は私よりもお父さん大好きっ娘で、私が、パパあしょぼ・・・と言うと毎回決まって姉が、まだダメなの。楓はママと遊んでて・・・なんて言ってたのだ。
(あぁ、本当にあの頃が懐かしい。できることなら昔に戻ってもう一度、色んなことをやり直したい)
いくら私がそう思えど、私の願いが叶うことはない。だって自ら時間が逆行していくことはないのだから。そんな当たり前の常識的なことは私ですら知っている。だが、このときばかりはそう思ってしまうのだった。
――その後、しばらく水面を眺めると、私はまたどこかへとふらふらと歩き出した。
「ただいまー・・・おばあちゃん。楓いる?」
「おかえり、桜輝ちゃん。楓ちゃんなら二時間くらい前に散歩してくる、とだけ言って出て行ったわよ。そのうちにでもひょっこり戻ってくるんじゃないの?」
「そうね。じゃあ私は自分の部屋でレポートでもやってるから楓が帰ってきたら教えてちょうだい」
「分かったわ、お勉強頑張ってね・・・」
「有り難う・・・」
そう言うと、私は自分の部屋へと入り鍵を閉めた。
「・・・なにが今度、楓ちゃんのことも紹介してくれ、よ。私だけじゃ満足できないってこと?私は武くんにとって理想の女性だったんじゃないの?こんなんだったら昨日、泊まりに行くんじゃなかった。
よっぽど、楓と二人で同じ布団に入って身体を寄せ合って寝るべきだったわ・・・」
桜輝は、自分の部屋の椅子に座ると顔を机にうずめるようにしてボソボソと呟くのだった。
楓は、姉の桜輝がそんなふうに自宅にて嘆いていることなど知らないのであった――
・・・・・・その頃、楓はというと、
「はぁー・・・そろそろ帰らないとあれかなー・・・。おばあちゃん心配してるよね。お姉ちゃんはいつになったら帰ってくるのかわかんないけど」
私は、祖母の待つ家に帰ろうと思ったのだ。どれだけ同じような景色の続く路を歩いてきたのか判らなかったが、とにかく来た道を戻っていくことに決めた。
「お姉ちゃんに会ったらまず、なんて言おう?『昨日は、お愉しみでしたか?』それとも『どこまで進展したの?』なんてことは聞いても教えてくれないだろうし、だいいち私がお姉ちゃんの口からそんなこと聞きたくもないんだよなー・・・」
きっと、私の顔は引きつってしまうのだろう。憧れていて大好きな姉の幸せそうな表情を見てしまったら。だからといって、家に帰らずにどこかで野宿なんてことは小心者の私にはできっこない。姉だけでなく祖母にも余計な心配をかけてしまうだろうし・・・。
それに、私は家を出る際に財布を持たずに出てきてしまった。だから夜、お腹が空いたままじゃとても寝られそうにないだろう。夜風に吹かれれば風邪だってひいてしまうかもしれない。
そう思うと、私には家に帰る、という選択肢のほかないのだった・・・
「あ・・・雨だ・・・・・・」
空からは、ポツリポツリ・・・と雨粒が降ってきた。まるでそれは、今の私の心そのものを表しているかのように思えた。
「えへへ・・・私と同じなのかな、空の気持ちも・・・?私達、もしかしたら同じ気持ちなのかもしれないね・・・」
なんてことを作り笑いを浮かべながら私は、空を見上げて呟いた。
――それから少し経った頃。私は、赤信号を無視して突っ込んできたトラックにはねられた・・・。
最後までお読みいただき有り難うございました。また次回もぜひよろしくお願いします・・・