砦の猫
そんなこんなで寒い冬は過ぎ去り、暖かい春がやってきた。
ビスマス砦から無事連れてきた猫が我が物顔でレニウムを闊歩している。レニウム砦に元々いた猫たちにも受け入れられたようだ。彼らは種類が違ったようでひと目で分かるから目立つ。
だからなのかビスマスから来た猫はレニウム砦では特に可愛がられた。ネズミは町の外からも延々入ってくるのでネコは食料を守る優秀なハンターだから重宝されたし、なにより見た目がカワイイ。もう少ししたらさらにカワイイ子猫たちが増えてくれるだろう。
ただしレニウム砦では猫に餌を与えることは基本的に禁止されていた。猫に回す食料はないというのと、ネズミを取ってくれなくなると困るからだ。けど時々懐っこい子がいて、たまにモフらせてくれる。
今は朝の散歩中。足が悪いからと動かないでいたらすぐに太ってしまいそうだから。それだけレニウム砦の食事は良い。ジュシュリにいたときは基本肉しかなかったし、香辛料もほぼなかった。味付けと言えば岩塩しかなかったからね。しかし今は帝国兵士と同じレベルの食事ができている。それだけでも感謝なのにたまに甘いお菓子なども流れてくるのだ。それは、本当にありがたいのだけど油断していると一気に太りそうで。
実際今の義足のサイズが合わなくなってきていて、今新しいものを作ってもらっているところだ。普段から私の義足の調整をしてくれているゼルン曰く、成長しているのだから仕方ない、とのことだったけど、太ってしまっただけかもしれない。油断はできない。
前を歩いていたゴブリンが急に道端にしゃがみこんだ。
「どうかしましたか? 大丈夫ですか?」
ゴブリンがびっくりしたかのように立ち上がって振り返った。
「あ……、これはリン姫様、気づかなくて申し訳ありません」
そのゴブリンは立ち上がったかと思ったら再びしゃがんだ。今度はこちらに頭を下げて。
「いえいえ、こちらこそ後ろから急に申し訳ないです。どうかしたのですか? 頭を上げてください」
ゴブリンはしゃがんで頭を下げたまま、答える。
「いえ、ここにいつもふんをする猫がいましてね。掃除をしていたのです」
見れば確かに木のスコップと取っ手のついた口の大きいつぼをもっていた。
「いつも掃除をしてくれていたのですね、ありがとうございます」
実際私はこの道をいつも通って散歩していたけど猫のフンなど見たことがなかった。
「せっかくリン姫様が助けてくれた命ですが、こんなことしか出来なくて申し訳ねぇ限りですわ」
その言葉で思い出した、その特徴的な髪型と顔つき。
ビスマス砦救援に向かった際、重症を負って戻ってきたゴブリンの一人だった。確か名前はクザナ。ゴブリンの中ではそうとう強いと『戦技』のグゲが言っていた老ゴブリンだった。
「そんなこと言わないでください、クザナ。帰ってこれなかった者もいたのです。貴方の持つその技術や知識をもっと後進に伝えてやってほしいのです」
「ははっ、リン姫様に名前を覚えられた上に期待までされちゃ敵わないですな。年寄りはとっとと去った方がいいとは思うんですがね。期待されてるんじゃ仕方ねぇ、せいぜい若い奴らを鍛えてやりますよ。……掃除が終わったらね」
クザナが老いたせいか茶色く変色してしまった犬歯を見せるようににやっと笑って下がっていった。
ゴブリンたちはその性質なのか文化なのかとにかく年寄りに厳しい。磨き抜いた技術や蓄積された知識よりも食い扶持を減らすことの方が重要であった時代が長かったせいだとガギは言ってた。だから体が動かせなくなる前に死ぬために前線に出たがり、またいつ死んでもおかしくないような無謀な戦い方をするのだそうだ。それによって種族として弱いゴブリンが生き長らえられたのも確かにあるのだろう。
しかし今は帝国の庇護に入り、またゴーレムという力を手に入れたので食い扶持の心配はとりあえずは要らないし、一か八かの捨て身の戦法を取る必要もない。少なくとも私が生きているうちは心配させる気はない。だから厳しい時代を生き抜いた年寄りたちには若い世代にその技術や知識を伝えてやってほしいとは思うのだけど、性質か文化かはなかなか手ごわい。
などと物思いにふけりながら歩いていると、一匹の猫が鳴き声を上げながら近づいてきた。全身黒の鍵尻尾だ。このタイプはここにはこの子しかいないため判別は容易でさらにこの子は懐っこい。実際早速私の右の義足にまとわりついている。
しかしこの子は懐っこいだけで私にまとわりついているのではない。よく見れば今日も少し怪我をしているようだ。喧嘩でもしたのかネズミから反撃を食らったのか。黒猫をなでながら軽く癒やしを使う。猫の小さな体と小さな怪我だとわずかの魔力でも一瞬で治せる。この子はそれを理解しているようなのだ。実際に怪我をしていないときはばったり出会ってもここまで絡んでこない。こっちがモフるのを所望してようやく仕方ないなといった感じで近づいてくるだけなのだ。しかも機嫌が良いときだけである。
まーそのへんが猫らしくてむしろ可愛いのだけど。なでながら癒やしてあげると、何度か鳴いて愛想のいいポーズをしたあと振り返りもせずに去っていった。実に猫らしい。
一通り見て回って、散歩を終える。あまり長い時間歩くと右足を痛めてしまうので。ずっと着いてきてくれた護衛に感謝と暫く休むように言ってから自室へ戻る。逆に私が帰ってくると出ていくゴブリンもいる。私が帰ってきたことをゼルンに伝えるための伝令だ。




